タンポポは2度成長する

タンポポは2度成長する

 

サクラが満開となり

上を仰いで歩く季節となりました

 

ふと足もとを見ると

土も無いような側溝の割れ目から

ぐいっと背を伸ばして

道路まで顔を出したタンポポ

 

タンポポは2度成長する

という言葉を思い出しました

 

タンポポの花の茎は短く

花が咲き終わると萎れて下を向いて

いきます

いったん枯れたかのように見えた茎は、また上に向かって力強く成長し

遠くへ綿毛を飛ばすために

もと咲いた花の位置より

長く高くなってゆくのです

 

なんとも勇気づけられる

自然界のシステムではありませんか

 

歳をとっても次の世代に残すもの

 

それを自ら発信することは

自然界の一員であるあなたにもできるんだよ

 

そんな言葉を道端のタンポポから

かけてもらって

また満開の桜を仰ぎ見ながら

歩き出す駅までの道。

あとちょっと

あと10分。

 

 

日の出時刻の6:50を目指して

ヘッドランプをつけて 

真っ暗な山道をひたすら登ってきた。

 

あとちょっと、あとちょっと。

 

腕時計を見ながら

前に出なくなってきたきた足に

神経を集中して言い聞かせ

筋肉に伝達させる。

 

気温はマイナス8℃だというのに

頭からは湯気を出し

ギリギリで間に合った日の出の瞬間。

 

歩を止めたと同時に

身体中が一気に凍りつき

吹き出していた汗は塩の結晶へと変わる。

 

熟したみかんのような濃いオレンジ色の太陽の光を目をつぶって

じっと全身に浴びる。

 

1℃、また1℃

気温が上がっていく。

山頂に据えられた温度計の

上昇する赤い水銀が

体内をめぐる血液と同化しているようだ。

 

4時間以上かけて

辛くて苦しい山道を登り

この太陽が上がる瞬間の数秒で

下界から持ってきた

腐った精神を吐き出し

この先数ヶ月分のエネルギーを

吸収する。

 

東京の空って

 

広い空に映る変化をフルスクリーンで見れない

 

でもこれが毎日見慣れた空だから

視界が狭くなってるなんて

全然気がつかない

そもそも空ってこんなもんで

夕焼けさえ目に入らない

 

 

どこから車が飛び出してくるか

周囲に変な人はいないか

都会は空なんか見るより

他に注意しなくちゃいけないことが

たくさんあるんだ

目の前の事にばかり気を取られ

先の方は人混みでまったく見えないのが都会

 

 

これって私の人生の縮図

 

 

時には頭上に広がる空を

山に登って

フルスクリーンで見てみよう

 

 

社会にも

人混みにさえも

自分の存在が「不必要」となった時

 

 

どうする

 

そんな質問を自分に投げつけて

町の灯の消えた夜中の帰り道、

ふと立ち止まって呆然とする自分

 

 

 

ずぅっと先まで見渡せる山に登って

果てしない空を見上げてみる

 

今まで見えていなかったものが

見えてくる

見逃していたものの形

知らなかった事の発見

気づかなかった人の心

 

 

所属するコミュニティから切り離された時

誰も信じられなくなった時

人の感情に振り回された時

 

 

誰もいない山に登り

空を見上げてひとりじめしてみる

 

 

自分が本当に大切にしたいものが

見えてくる

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過去を変える方法

時間は過去から未来に流れるもの。

 

飛ぶ鳥が私の頭上を飛んでいけば

「どこへ飛んで行くのだろう」

と思うし、

ベンチに座っている私の目の前に降り立てば

「どこから飛んで来たのだろう」

と思いを巡らせる。

でも鳥は飛んでいるだけだし、私は見ているだけ。

同じ時間に存在しても

鳥にとっての過去未来と

私の過去未来は同じじゃない。

 

動画を逆回転して過去に戻り

そこからリスタートできたら

二度と同じ間違いは起こさない、

あの時ああしていれば・・・

なんてしょっちゅう襲いかかる後悔の念。

 

時間は過去から現在、未来へと流れてゆくもの・・

そりゃそうでしょ。

昭和に生まれ、平成に生きてる。

 

でも待って。

川は上流から下流へと流れる。

 

上流でスタートしたカヤックが

どんどん目の前を通過して

未来である下流へゴールを目指して流れていく。

コースをクリアできなかったり

岩にぶち当たるカヤックだってある。

そして1着、2着・・と順位が決まる。

 

つまり原因は未来にあって

結果は現在に現れているのだから

変えるべきことがあるとしたら過去ではないの。

 

ゴールを設定すれば

スタートしてからのプロセスは変えられる。

つまり、あれよあれよと過去になっていく

現在進行形の私たちの行動は

思いもかけない潜在意識が働いた結果の

自分自身の未来の意思決定によってとらされている

ものなのではないの。

 

窮地に置かれても前を向いている?

障害物があったら諦める?

 

そんなイマイマの現在進行形の私たちの行動は

1着を絶対に勝ち取る!

2着でもいいか・・

3着なら万々歳。

といった意識の奥底に横たわる意思決定で

動いているのではないだろうか。

 

だとしたら過去は変えられる。

時間は逆方向にだって作用する。

 

一番自分が幸福を感じる方向へ時間は流れるんだ。

 

 

いつまでそのままでいる?

星の名前を覚えると

夜空を見上げるのが楽しくなり、

花の名前を覚え得ると

毎年その花の咲く時期が待ち遠しくなります。

でも毎日乗っている中央線と山手線の駅名を覚えても

通勤電車に乗るのはちっとも楽しくなりません。

フシギダネ。

ポケモンを捕まえながら

夕飯の買い物帰りに見える山のシルエット。

 

手相カフェ・テオのある青梅は奥多摩パワースポットへの入り口。

夕日が落ちるのは

ちょっといかり肩の大岳山の左、つづら岩のあたり。

御前山、日出山、御岳山と続いて

日本百名山のひとつ、雲取山。

そして登るのが辛かった川苔山。

縦走が楽しかった惣岳山、岩茸石山、高水山。

 

何万年も前からそこにある山はいつまでそこにあり続ける?

何万年も前から咲き続ける花はいつまで毎年咲き続ける?

 

山の斜面に立って耳を澄ませると

見えてくるもの、聞こえてくるものがあります。

 

落ちる夕日に取って代わって

今日の夜空に昇る月は

どうやら満月の面持ち。

 

自分の無意識に光が当たるような

長い長い光の帯です。

 

 

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結界を張る3つの方法

シーサーは守り神。

 

沖縄ではどこの家にも必ずオス、メス2頭のシーサーが

飾られています。

この2頭のシーサーの間に結界が張られているのです。

 

結界と聞くとおどろおどろしく感じますが

家の鍵を閉めるのも、横断歩道も、駅のホームの白線も

結界と捉えれば自分の身の回りのいたるところに

張られた結界に気づくはず。

 

さて、それでは自分自身の中の結界はどうやって張るのでしょうか。

 

ネガティブな思考や他人からのねたみ、

人間関係のよるストレス。

数え上げればきりのない魔物たちから自分を守る結界を張る方法とは。

 

1)自分の強いところを考える。

トラブルに巻き込まれたり、自信をなくした時には

どうしても弱い自分が顔を出してしまいがち。

そんな時こそ自分の強みを考えるのです。

早起きが得意、人より速く歩ける、人の顔と名前を忘れない・・

何でもいいのです。

自分の弱いところは数え上げたら無数に出てくるでしょうが

強いところはうなって考えなければ出てこないかもしれません。

でもどんな時でも自分の強みを考えられれば結界が張れます。

 

2)他人と比較せず、過去の自分と比較する。

となりの芝は青く見えるもの。

自分以外のたいていの人は幸せに生きているように見えるものです。

そんな周囲の人間を見るのではなく

1ヶ月前、半年前、1年前の自分を見てみましょう。

半年前にできなかった事ができるようになっていませんか。

年始めに掲げた抱負を遂行していますか。

他人ではなく自分と向き合う事を心がけていれば結界が張れます。

 

3)いつも鏡を持ち歩く。

そうは言っても・・と思われる方はまず物理的な結界を張ることで

自信を持つことから始めてみましょう。

鏡は反射の作用があります。

護身のお守りやブレスレットと同じですね。

自分にとって嫌な念を反射してくれると信じて小さな鏡をバッグに。

そんなことから始めてみると不思議なことに

思いもよらぬ効果があるものです。

 

 

さぁこれで貴方の力を邪魔するものはすべてシャットアウト。

いつでもリラックスできる自分だけの空間に守られていることを

実感しながら、なりたい自分に向かって集中力を発揮してみてください。

 

 

 

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ありのままの。

ありのーままのー姿見せるのよ

ありのーままのー自分になるの

社会現象にもなったアナと雪の女王の主題歌。

主人公がすべてから解放されて歌うさまは

小さな子どもから大人までの共感を誘いました。

 

さて、ありのままって?

 

難しいですよね。

だってものごころついてからありのままの自分を出すなんて

とっくにやめてしまっているはず。

今さらありのままって言われても

どんな自分がありのままなのかさえわからないのではないでしょうか。

 

対人関係が苦手、恋愛がうまくいかない、仕事の成果が上がらない、

こういう問題ってすべて自分以外の人間に意識が向かっていませんか。

自分の意見があっても口に出すと誰かから反対されたり、否定されたり。

ひどい時には馬鹿にされたりしてトラウマになっている自分がいたりします。

それが怖くて、わずらわしくて、口に出す前に

「いやいやそんなわけないし」「嫌われたくないし」「怒られるし」と

自分で先に否定をしてしまう。

そんなクセが知らず知らずのうちについてしまって

自分の意見、思考、感情を意識の奥底に沈ませています。

その意識は決して消えてなくなるわけではなく

潜在意識という名前に変わって何層にもなった心の底辺に横たわり続けます。

 

そう、ありのままって潜在意識のことだったんです。

 

この潜在意識をほじくりだして表現すること。

それがあのアナと雪の女王の主人公に皆が共感する理由なんです。

 

このありのままの自分は

過去の出来事、周囲の状況、自分の行動などの記憶、感覚的な印象、感動した思い出、

成功体験、失敗体験・・膨大なデータペースとなって休むことなく稼働しています。

そして夢の中や、とっさの判断、直感的なひらめき・・そんな具合にひょっこり顔を出す時があります。

でもそこにいつでも自由にアクセスして

そのデータを活用しない手はありませんよね。

他人のパソコンのデータをハッキングするわけではなく

自分だけの膨大で貴重なデータなのですから。

 

そこへアクセスする方法は、

根気よく回路を作ることが大切です。

今まで飲み込んでいた意見をその日のうちに自分に対して書き出すなり声に出すなりして表現してみる。

目の前のこと、皿洗いでも雑巾がけでも草むしりでも料理でもなんでも丁寧に無心で取り組んで見る。

腕組みする時、交差する腕を逆にする、靴を履く時の順番を逆にする、駅までの道順を変えてみる、など

いつもと違ったことをしてみる。

それだけじゃない、あなたに合ったいろんな方法があるのです。

人に肯定してもらう前にまず自分が自分を肯定してみる。

その方法に気づいた時、周囲を凍らせるだけではない、温めることだってできる

あなたの特別な能力が開花するのです。

 

応援しています。

ぜひやってみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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罪悪感

「自分が悪いんだ」「すべて悪いのは自分」「私は悪いことをしてしまった」

大きな社会的な罪ではなく、日常生活でそんな感情を感じる時、いや感じさせられる時がありませんか。

 

罪悪感を持たされた人は幸せになってはいけません。

毎日を笑って過ごしてはいけません。

罰を受けるのが当然なので、人から攻撃されても防御も反論もしてはいけません。

 

そんな感情を植え付けられた人間は「何かしてあげなければ」という感情を持たされます。

はい、そこで主人と奴隷の関係が成立します。

 

奴隷は自分を肯定してはいけません。

主人に対していつも恐れを抱いていなければなりません。

 

ある時は咳払いひとつで、またある時は陰湿な目つきで、ドアの開け閉めで

主人はいとも簡単に奴隷の恐怖を煽ります。

 

そんな奴隷が持たされた罪悪感を「無罪」にするためには・・

 

あなたがあなたでいること

 

そう、いつもどおりの愛情深いあなたでいること。

罪の意識を取り込まないこと。

あなたが苦しんでいたら周囲の人も幸せになれないことを理解すること。

 

「あなたのために」

ではありません。

「あなたがあなたでいるために」

です。  

 

「あの人のために何かをしてあげなければ」という感情はあなたがフィルターをかけてみているストーリー。

フィルターを外してみてください。

その物語は、主人公のあなたが「私が私であるためにこうしよう」というストーリーに生まれ変わります。

 

あなたの人生という小説の作者は

あなた自身なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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鏡の中の自分

手相カフェ・テオは2016年2月に一周年を迎えました。

写真はその時記念品としてお客様にお渡ししたコンパクト・ミラーです。

なぜ鏡を選んだのか・・

今日はそれについてお話ししたいと思います。

 

鑑定をしていてよく質問されることのひとつに

「あんな思いやりのない夫を変えることができるでしょうか」

「口うるさい母親を変えることができるでしょうか」

「何をしても自信のなさそうな子どもを変えることができるでしょうか」

などの「変えることができるでしょうか」シリーズがあります。

私は「できません」と答えます。

でも変えることができるたったひとつの方法を

この鏡の中に封じ込めてお渡ししました。

 

こんなふうに書くと「インチキ占い師」のレッテルを貼られてしまいそうですが

鏡はいたって普通の鏡です。お金もいただいてはおりません。

 

パカンと開けるとまずあなたが映ります。

左右の眉毛はきちんと対称に描けているでしょうか。

口のまわりに食べた物がついていたりはしませんか。

鏡をのぞきこんで確認します。

あら、たいへん!眉毛描いてくるの忘れちゃった!

とあわてて直そうとするのは鏡の中のあなたではなく

鏡をのぞきこんでいるあなたです。

鏡の中のあなたに眉毛を描いても

リアルなあなたは何も変わらないのです。

もうおわかりですね。

 

人は自分の中のコンプレックスや不快に思うこと、自信の無さを

無意識のうちに他人の中に見いだしています。

わかりやすく言うと「自分を棚に上げて」です。

ご主人に思いやりがないのも、親が心配性なのも、子どもがおどおどするのも

すべて自分の中にある、自分を許せない要素です。

それを自分が意識の奥のほうにしまい込んでいることを

まるで気がつかないふり、いいえ気がついていないのです。

 

眉を描き忘れるあわてんぼうだけど、ナチュラルな眉毛もなかなかいいかも!

夢中になってかぶりついたおにぎり、おいしかった!

と自分自身のその時の感情を大切にして

もう一度鏡をのぞき直してみてください。

自分自身を好きになって何度も鏡を見て

自分自身と対話をしてみてください。

 

人を変えようと思ったら

まず自分自身が笑顔とポジティブな思考を持つことです。

自分自身を好きになることです。

あなたが人に対して不快に思っていることは

まるで自分には無いようなふりをして

抑え込んでいる一番嫌いなネガティブな自分なのです。

 

 

リアルなあなたが変わらなければ、鏡の向こうのあなたも変わりません。

もちろん人も変わりません。

 

鏡はあなたを取り巻く人生そのものなのです。

 

 

 

 

 

 

 

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TGIF

Thank God, It's Friday!

今日は金曜日。

長かった一週間も終わり、やっと迎えた週末。

飲み会でしょうか、それともネットサーフィン?

 

4月からは新しい年度が始まります。

新入学生、新社会人もまた新しい人間関係を築いてゆくことでしょう。

 

さて新しい環境の中で、目的意識をもって始める生活。

人間関係でストレスを抱えたくはありません。

そのためには何を心がけたらいいのでしょう。

 

私はまず第一に

自分のものさしを持つことをお勧めします。

 

「人からどう思われているか」ではなく「自分はどうしたいのか」

「こんなことを言ったら嫌われないか」ではなく「どうしたらきちんと伝わるか」

人のものさしで自分を測ることはできません。

この1年のスタートでmyものさしを持つか持たないかの違いは大きいです。

 

大人になったあなたは人の価値観で生きていくのではありません。

自分の中で自分自身の価値観を築き、

人からほめられることを期待する自分を卒業してみてください。

 

きっと視界がひらけてくるはずです。

 

 

 

 

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やだな・・と思ったら

今や国民の名刺代わりとでも言うべきfacebook。

リア充が詰まったこのSNSに辟易している人が多いようです。

facebookを開くたびに

投稿者のリア充と自分の生活の格差を感じ

襲い来る自己憐憫の感情と闘う羽目になる人も。

 

facebookを通じて繋がる友達は

毎日会う友達でもなければ、親友でもない人達がたくさんいます。

そのコミュニティの中で受ける快、不快があるとしたら・・

 

もちろんリアルな生活の中でも

「この人やだな」と感じる人と

「この人といると時間忘れるわ」とか「元気になれる」と感じさせてくれる人がいますよね。

 

今日お伝えしたいのは、

自分にとって不快な関係は疎遠にしていきましょうということ。

なぜならその不快の渦に巻き込まれると

どんどん自分が価値のない人間だと勘違いさせられてしまうからです。

 

不快な人というのは

自分自身に対しての評価の低い人。

一見自信満々でプライドだけが高く

他人を批判したり、差し置いたりすることで

自分の価値を高めようとします。

 

周囲を見回してみてください。

何かにつけ文句を言っている人はいませんか。

自分自身の考えや価値観ではなく

ステータスや持ち物、家族を自慢ばかりする人はいませんか。

そんな人がいたらそっと距離をとって

決して巻き込まれないことが大切です。

 

写真は登山口に張られた結界です。

不快なものが近づけない目に見えない結界を張るたった一つの方法は

自分自身への評価を高めることです。

 

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残念な手相

手相鑑定をしていると

「娘はこの先大丈夫ですか」「息子は将来幸福になれますか」

そんな質問をよく受けます。

はい、わかりません笑。

 

詳しく言うと、

わからないわけではないけれど、ご自身の手相から子どもの将来を

わかろうと思った時点でアウトです。

娘さんや息子さんの人生はあなたの人生ではないからです。

もっと詳しく言うと、そんな心配が子どもさんを不幸にしてしまうということです。

これは「心配のタネ」というタイトルのブログを読むと

ご理解いただけると思っています。

 

この心配のタネの被害に遭われたお子さん達が

そのまま大人になってどれほどの苦しみを抱えていることか。

 

お子さんが幸せになるためには、お子さん自身のエネルギーが必要です。

おぎゃあと産まれたその時には生きるエネルギーに満ち溢れているのです。

そのエネルギーを吸い取るのが親の心配です。(心配だけではありませんが)

お母様がいくら心配しても幸せにはなれません。

それどころか心配すればするほど幸せが離れて行くとわかったら・・

そう、お母様自身の問題である心配のタネから育った苗を一日も早く

摘み取ることがお子さんの幸せにつながってゆきます。

 

お母様がしなければいけないことは心配ではなく

あの無垢なエネルギーに包まれた産声を聞いた瞬間に思った

「生まれてきてくれてありがとう」

という思いを持ち続けることだと思います。

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人生を動かすとき

公園の丘に立つ金木犀の大木の向こうに夕陽が沈みます。

 

臆病なマメタが真夜中に腹痛で苦しむジサマのために

勇気を出して夜道を医者を呼びに駆ける。

勇気を出したマメタが見たものは

今まで見たことのなかった

暗闇に光が灯るモチモチの木だった

という物語を思い出しました。

 

私は月に一度だけ営業するカフェをやっています。

まだレンタルスペースを借りてのトライアルです。

毎回毎回が試行錯誤の連続で

失敗ばかりの素人カフェです。

 

このカフェを出店する前は

ぼんやりと「自分が生涯関われる何かをやってみたい、な〜。」と

空想していただけで、このもやもやした形にならない考えは

いつも通り意識の底深くに沈んでいく予定でした。

 

そんなある日、

たまたま、本当にたまたまSNSで目にした

「古民家を自分たちの手で改築してレンタルスペースを作ろう」の投稿。

今思い起こせば、

自分のどこにそんな行動力があったのだろうと

不思議になるくらいの素早さで参加に名乗りをあげていました。

年代も違う、まったく見ず知らずの集団の中にたった一人で飛び込むなんて

今までの私には考えられないことです。

 

 

人は誰しもが何かの能力を持っています。

でも、自分を信じることができないと

その能力を見つけることも、気づくこともできずに

悶々とするのです。

「何をしたいのかわからない」

「進むべき道がみつからない」

それは自分を信じていないから。

 

自分を信じるというのは

リスクを取る勇気を持つことではないでしょうか。

 

敷居をまたげば七人の敵ということわざ通り世の中はリスクだらけ。

でもそのリスクをひとつひとつ検証してみれば、すべて自分の心の中に潜んでいる自分否定な思考ばかりだったりします。

 

上司に叱られたら・・

友達に裏切られたら・・

お客さんが来なかったら・・

どんどん湧き出る不安と失敗の仮説を立てると、もうそこで足がすくんでしまいます。

人が何かにトライする時、自分が傷つかないように最悪の状況を思い描くのは防衛本能。

当然の事です。

でもそれと同時に

こんなことをしたらこんなに喜んでくれる人がいるはず

という仮説も立てられますよね。

そのプラスの仮説で勇気は沸き起こるのです。

 

もちろんリスクを取ることを選択したわけですから

心折れたり、ズタボロになることだってあるでしょう。

でも、「勇気を出した」という事実は

何物にも代え難い自信となって自分の真ん中に根付きます。

心が折れたら次はどうしたら心が折れないかを考え、実行すればいいのです。

 

人生は選択、決断、行動のくり返し。

進むか、とどまるか。

 

進むことを選択したその時から。

 

なりたい自分への人生は動き出すのです。

 

 

 

 

 

 

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自らを輝かせるものは他人の中にある

自然は緻密で壮大なクリエイターだ。

 

吐く息も白い寒い朝、

草の先端にダイヤモンドに劣らぬ輝きを放つ氷のしずく。

そのきらびやかなジュエリーを身にまとった草は

朝日を細胞内に取り込んで

氷点下の寒さの中でも青々と若返ったかのようだ。

 

自らを輝かせるもの。

それは自分の内包する能力であることはもちろん、

その能力に外的な作用が生じてこそ初めて輝きを放つ。

 

たとえば・・・

オリンピック選手。

同じ競技で闘う相手がいるからこそ

自らの能力を発揮し、切磋琢磨した結果、人に感動を与え輝くことができる。

医者はどうだ。

病気に苦しむ人がいるからこそ

知識を高め、技術を磨き、尊い命を救うのだ。

そんな特殊な能力がなくったって

環境保護、教育、国際交流、夫婦になること、子どもを産むこと、天寿をまっとうすること・・・

そう考えるとすべての人間の存在がダイヤの原石と考えられる。

 

人生で意味のあることは

社会が「価値のあるもの」と捉えていることに貢献することだ。

その「価値のあるもの」は私達全員が包含しているものであり

お互いが与え、受け取れるものなのである。

 

道端の草に降りたからこそ

凍てつく朝に光り輝けた夜露。

その草もまた、夜露のダイヤを身にまとい

自らを輝かせているように。

 

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実体のない影

すっかり腰が曲がってはいるが、しっかりとした足取りで歩く。

シルバーカーの助けを借りてはいるが、目的をもった足取りだ。

 

老女の長い長い人生の足跡と同時に

これからの自分の人生に思いをめぐらせる。

歳を重ねれば重ねるほど

影のように襲い来るであろう喪失の哀しみ。

家族を失うかもしれない、夢や希望を失うかもしれない、

信じていた友人に裏切られたり、

お金や仕事、健康や身体的機能も徐々に失われていく日々を呪うかもしれない。

受け入れがたいことに

怒りに身を震わせることも、泣き叫ぶことも、

すべてをシャットアウトすることもあるだろう。

 

それでも日は昇り、一日が始まる。

シルバーカーに買い物袋をぶらさげ、

生きてゆくために老女は歩く。

 

すべてを受け入れた時

実体のない影に怯えることもなくなる。

 

これから何を失っても後悔のないように

しっかりと自分の影を落としながら

今を生きてゆくために歩く。

 

 

 

 

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バランス

今日も一日が終わり陽が沈む。

金色の夕陽が空を幾重にも彩る。

 

地上では寒さの中でも青く茂る葉が色を失い

山々がシルエットになり

夕陽をフレーミングしてゆく。

 

明と暗、陰と陽、光と闇のバランスの中に身を置くと

迫り来る闇への恐怖と

やがて明ける光への安堵が折り重なる。

 

闇があってこその光、女があってこその男、裏があってこその表。

誕生の喜びには死への悲しみがつきまとう。

どちらも決して欠けることのない森羅万象の法則。

完全無欠のバランスだ。

 

 

一瞬も止まることなく

刻々と変化する自然界の抜群のバランスを保つ秩序に気づく時、

絶望の後には必ず希望がやってくることにも気づくのだ。

 

夜が長ければ長いほど、闇が深ければ深いほど

希望の光は眩しく明るい。

 

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ダルマさんとにらめっこ

燃え盛る炎の中に放り込まれるダルマたち。

 

そう、昨年頑張って両目が入ったダルマさん達が

目出度く御役御免で供養されているのだ。

 

炎で顔が熱くなるのも、目が乾いて閉じれなくなるのも忘れて

じっと見入る。

 

めらめらと燃えてゆくダルマとにらめっこしながら

自分の腹わたから取り出してこの火の中に放り込みたいものが

あるのに気がついた。

 

「思い込み」

 

いちばん厄介で消し去りたい私の中の負の産物だ。

 

過去の記憶の中で刷り込まれた

削除したはずの不要なデータに付随して湧き上がってくる。

 

カッとなって思わず反論したい時、

思いもよらない言葉に凹む時、

コミュニケーションがうまくとれない時、

自分がみじめに思える時。

そんな時に条件反射で頭をよぎる

自尊心の裏返し、防衛本能のすり替え・・

 

こうでなくては、

こうあるはずだ、

私はわたし、

しょせんこんなもの、

どうせそうだろう、

私さえ我慢すれば・・

 

支離滅裂で本当の自分はどこへやら。

 

ダルマさんとにらめっこをしながら考える。

 

そうか、なるほどね、そういう考えもあるんだね、

ちょっと待てよ、私は何のルールに縛られてる?

私の常識はあの人にとっても常識か?

 

こんな問いかけを自分にしながら

去年の小さなダルマを

炎めがけて思いっきり投げこんだ。

 

今年は一回り大きなダルマを買って帰ろう。

 

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自分が自分であるために

南に面した山肌にはすっかり雪がない。

降り積もったまま、

まったく溶ける気配のない北面に立つ。

 

人工的な音が何もしない山の中では

吹く風が木から木を伝わって

冷気とともにゴォーっという音が回っている。

 

一本の木になってみる。

 

抗うでもなく、倒れるでもなく

吹く風に共鳴できるだろうか。

 

寒いと弱音を吐くでもなく

南面の木を妬むでもなく

不動で立ち続けられるだろうか。

 

枝の中に冬ごもりのために巣食った虫をついばみに来る鳥を

追い払うこともせず、

春の芽吹きを信じることができるだろうか。

 

音を感じ、風を感じ、

手袋もしていない手のひらの感覚がなくなる頃

ひとつの答えが降りてくる。

 

この場所を選んで根を張り、枝を広げ成長してきたのだ。

 

春は必ずやって来る。

 

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本当の自分に出会う旅

お堂にひと足踏み入れて息をのむ。

 

秋田男鹿半島の真山の麓にある真山神社。

なまはげで有名なこの神社に

一万三千体の木彫小仏が壁一面に納められているお堂がある。

 

手相をじっと見ていると

手のひらが語るストーリーが浮き上がってくるように

一万三千体の仏像が私に語りかけてくるようだ。

 

一人ひとりの手のひらが違うように

木彫の仏像もまた一体一体違う表情を持っている。

 

ひとつひとつ表情を見ていくと

ここにも私、あそこにも私がいる。

 

喜びも悲しみも妬みも怒りも

一体ずつの感情が丁寧に供養されているのだ。

 

まさに一万三千人の自分に出会う旅。

 

あまりにも有名ななまはげの影に隠れて

人っ子ひとりいない忘れ去られたようなお堂で

こんな出会いがあるとは。

 

自分の中の幾通りもの自分。

昔の自分、今の自分、未来の自分。

怒っている自分、泣いている自分、笑っている自分。

旧知の自分、見ず知らずの自分。

その一人ひとりに挨拶をするように

三方の壁に納められた仏像と会話をし

なぜか深い安堵を覚えて下る山道。

 

 

 

 

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心配のタネ

どこから飛んで来たの。

心配のタネ。

一つの袋の中に無数のタネが入っていて

心の中ではじけると確実に根付いて

気が付くと小さな心の中はあふれんばかりの心配の芽でいっぱい。

 

「ハンカチは持ったの?」

「雨が降るから傘を持っていきなさい」

「宿題はやったの?」

母親として当然と思えて実は呪いの言葉たち。

お母さんは心配してるのよ、あなたのことを。

そんな呪文を唱えながら

小さな心に無数の心配のタネを植え付ける母親たち。

 

「ほら、ハンカチを持っていなかったから困ったでしょ。」

「ほら、雨が降ったから傘が役に立ったでしょ。」

「ほら・・・」

 

子ども達から「自分で考える」という大事な作業を奪って

自分の心配を我が子になすりつけ、安堵する。

心配のタネを植え付けられた子ども達は

「あぁ、お母さんの言うことを聞かなかったから」

「やっぱりお母さんの言うとおりになった」

と不安の答え合わせをして心配のタネを大事に育てて

大人になってゆきます。

 

今年の目標は何ですか?

 

目標を達成するためには意思の力が必要です。

意思は筋肉と同じで

鍛えなければ役に立ちません。

運動不足でいきなりフルマラソンは走れません。

まずはストレッチから。

2km、5kmと距離を伸ばして行きましょう。

意思を鍛えるのも同じ。

一年の目標の前に明日の目標、一ヶ月の目標を立てましょう。

未来の事を心配する前に目の前の事に集中しましょう。

 

心配のタネを植えつけられた人は

自分の中で立派に開花した心配の花のタネを

よかれと思って他の人にも植え付けます。

こうして心配のタネはどこまでも遠くへ飛んでゆきます。

 

どこからでも飛んで来る心配のタネが

自分の心に根付かないように

意思の力を鍛えましょう。

 

さぁ、今年の目標は?

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カオスの中の秩序

ご存知、渋谷のスクランブル交差点。

外国人観光客も驚く観光名所となっている。

「It's crazy!」と叫びながら写真や動画を撮る外国人。


この一見カオスのような交差点。

事故も起こらず、転ぶ人も見かけない。

源平の合戦のように押し寄せる歩行者同士は整然とした秩序をもって

障害物を避け、ぶつかることもなく交差点を縦横無尽に渡り切る。


生まれて初めて覚えた交通標記、青は進め、赤は止まれ。

黄色の次は赤になるから少し急いで、周囲に注意して。

そうそう、危険を予測することも大事なこと。


避難訓練では「押さない、駆けない、しゃべらない」なんて教わったっけ。

幼稚園ではおもちゃを譲り合うことも覚えた。

小学校では思いやりを、コミュニケーションを。

中学校では部活動を通して最後までやり切ることの大切さ、チームワークを。

高校では目的を持つことを。


 

毎日の生活も同じ。

めまぐるしい日常で起こる出来事に

個人個人の知識や考え、行動がちゃんと体系付けられていて

たいていの事はこなしてゆける。


カオスのようでカオスじゃない。

センター街へ、駅へ、道玄坂へ。

知力と行動力を総動員して目的地へ。


目的さえしっかり持っていれば

幼い頃に学んだことを駆使して

道は開ける。


学校で学んだことは学問だけじゃない。

生きることを学んだのだということを思い出したスクランブル交差点。

 

 

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親が完璧だって誰が決めた?

cafeころんの庭にあるツリーハウス。


まっすぐとか平行とか均等とか、

左右対称とか垂直とか整列などといった言葉が

まったく通用しない。

同じ長さの木材は2本とないし、角度もバラバラ。

それでも上に登ってみると抜群の安定感。

なんて不思議!


人間もそうだ。

完璧なんてありえないシロモノを追求している人はいつも不安を感じている。

他人のものさしを借りて寸法を測っているのだから不安定きわまりない。


誰しも小さな頃は親の言うことが絶対で

親こそが完璧なものだと大きな勘違いをして育つものである。

でもある日、気がつく。

「親だって人間じゃん。」

その気づきのチャンスを失って大きな勘違いをしたまま大人になると

完璧主義人間の誕生である。


完璧なようでいていとも簡単に壊れるハリボテだ。


直角を保ちたかったら自分は70度を負担しよう。

あとの20度は誰かにおまかせだ。

自分が完璧でないことを認めることができた時、

相手の欠点をカバーする人間になれるだろう。


cafeころんの象が乗っても壊れそうにないツリーハウスは

直線でも直角でもない大木の持つ個性に寄り添って

びくともしない安定感を保っている。

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みてみて!

熊目撃情報!

こわごわとハイキングコースを歩いてみる。

無計画の極みで臨んだツケが回り、雨は降ってくるし、日は暮れてくるし。

本当に熊と出会いそうな状況になってきたので行程を半ばであきらめて脇道へそれ、JRの駅へ。

 

みてみて!

無人駅の改札。

遠くから高い切符を買って来た人にはなんとも「甲斐のない」改札である。

直立した見なれぬ改札機。その後ろにはひっそりと切符回収箱と書かれた箱が。

誰もいないし、誰も切符を受け取ってくれないのははなはだがっかりなものだ。

 

人は多くの場合、みてみて!という欲求を持っているものである。

頑張った自分を誰かに認めてもらうことで

目標達成を達成した時の大きな自信となってゆく。

成長の根幹となっているといっても過言ではないくらいだ。

 

しかしそのみてみて!の裏側にある真理にお気づきだろうか。

「誰か」に認めてもらう=他人からの評価

大幅なポテンシャルを見込める発育段階の幼少期においてはそれもいい。

しかし成人して、社会人となって目標を持った時、

「誰かの評価」に振り回されているとたいていの場合、自信の喪失につながってゆく。


「自分の評価」のものさしの目盛りは人からの「偉かったね、がんばったね」ではなく

「ありがとう」と感謝された時にマックスになるのではないだろうか。


人の役に立つこと。

困っている人を助ける、社会の発展に貢献する、悲しんでいる人の心の支えとなる

何でもいい。

自分の行動が、発見が、発明が、アイデアが、文章が、歌が、料理が、そして何より

自分の存在が誰かの役に立って「ありがとう」のコトバをもらえたら

「誰かの評価」が「自分の評価」に変わり

人は初めて自分自身の人生を行きている実感を持てるのではないか。




この無人駅の無言の切符回収箱も切符を入れたら「ありがとう」のひとことが

流れたらいいのにね、と思いながら小さな秋の遠足を終了した。





 

 

 

 

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逃げ道を断とう

「もうトシだから」「時代が変わったから」「昨日寝てないから」「お金がないから」

何かをやろうとする時、必ず頭をもたげてくるのがこの言い訳。


失敗しても「自分」のせいではなくなる魔法のコトバ。

成功したら「こんなハンデがあったのに」と自己評価も倍増。

こんな万能な言い訳だから誰もが使いたくなってしまうのもうなずける。


一方でこの魔法のコトバが常習化すると

問題に立ち向かう意欲が薄れてきて現実逃避ばかりするようになる。

自分の本当の能力や意欲を向上させることなく

真の達成感や満足感を得られないまま、

不安を山積みさせるだけの忌まわしの呪文となる。


何かに立ち向かう時にこのコトバが口から出たらご用心。

安心できるのはその時だけ。

プライドが保てるのはその時だけ。

自分を守れたように思えるのはその時だけ。


この呪文を唱えている限り

不安を根こそぎ断つことにはつながらない。

自分の背後に山のような不安を積み上げる作業をコツコツとしているだけなのだ。


自分への言い訳を用意しないことが

真の自分と向き合って成長できる最良の方法であることを覚えておこう。

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意味のある偶然

やっと出会えた。

以前から気になっていたビール、「東京ブルース」。

連休の最終日、福生の石川酒造まで出向いて、

いよいよ名前負けしていないか確認する時がやってきた。


敷地内のレストランや蕎麦処はすでに満員御礼。

かまわない、このビールに会うためだけにやってきたんだから。


売店で購入し、テーブルや椅子が置かれている木陰のガーデンへ。


シュポン。

オレンジの甘い香り。

一口飲むとその香りとは裏腹なドシンとした重み。

喉にフェイドアウトしていくグレープフルーツのような苦味。

「東京ブルース」の名にふさわしい。


あぁ、わざわざ醸造元まで来ただけのことはある。


なぜか誰も来ない静かな木陰のガーデンで味わう「東京ブルース」は

まるで今まで歩いて来た人生を反芻するかのような五感で味わえるビールだった。







さて、精神を思い切り開放し、満足して出口に向かうと「個展」の文字が目に飛び込んできた。


酒瓶が転がっている絵画のフライヤー。

あぁ、きっと絵を観たらもっと精神が喜ぶに違いない。


階段を上るとwoodyな建物はさすが酒造の蔵らしい。


ひと目で福生とわかる大ぶりの絵。

母子をテーマにした絵、裸婦、童話の挿絵、静物画、デッサン画・・

順々に堪能していると

製作者である画家の大山瞳さんとお話することができた。


飲み物やお菓子まで用意されていて

蔵に流れる音楽、絵画、照明、かすかな絵の具の匂い・・

五感をフル稼働させながらここでもまた精神が開放されていくのを感じることができた。


この個展を訪れたのはきっと「意味のある偶然」。

さてさて、大山瞳さんの個展ではお土産に素敵な作品のポストカードまでいただいて、

駅までの大きな幹線道路16号沿いを歩き始める。

ダンプがバンバン走るこの道には商店と思しきものはない。

と思ったらこれが摩訶不思議なお店が店先の商品に隠れるように1軒だけたたずんでいた。


上を見上げると「HAPPY COMPANY」とかかれている。

普通だったらきっちりと閉められた戸を開ける勇気が起きないような店構えだ。


それでも何か妖気のような、いや陽気だろうか、

なにかの気を感じておそるおそるドアを開ける。


意外にも中から店主の「いらっしゃいませ」ではなく「こんにちは、こんにちは!」の

明るい声に出迎えられる。


小菅村の村営住宅18,000円の物件に住むというスキンヘッドのこのご主人、

いつもは夜7時に店を開けるというのにこの日はたまたま5時に店を開けていた。


古着とアクセサリー、雑貨を扱うこのお店、なんと夜7時から夜中の3時までの営業という。

「なぜ夜?」の問いかけに「夜眠れない人のために」の答え。

あぁ、やっぱり。

私の五感は、いや六感は正しく作動していた。


通りすがりの冷やかし客である私に

旧知の知人であるかのようによもやま話をしてくれたこのご主人のお店のドアを開けたのも

私にとって「意味のある偶然」。



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prepared mind

ノーベル生理学・医学賞を日本人が受賞。

ニュースで受賞者の大村氏がインタビューで「prepared mind」という言葉を口にしていた。


「あ!それ!」

私自身がいつも心に留めていること。


「偶然は構えのある心にしか恵まれない」


偶然をどうやってモノにするか。

意味のある偶然は「prepared mind」を持った人のみに訪れる。

つまり、チャンスってやつはゴロゴロしていて、どこにでもあるのに

アンテナを張っていない人は気づかずにスルーしてしまい、

常にアンテナを高くもって受信状態を良好にしている人はそのチャンスを逃さない、

ということである。


博士はお財布の中にいつも土壌採取用のビニール袋を携帯していて

どこに行っても土壌を採取するのを忘れなかったという。


博士の高く張り巡らしたアンテナが一握りの土の中の微生物から

3億人もの人間を救うチャンスをもたらしたのだ。


私が手相に興味を持ったのは

長い通勤時間を読書して過ごすため、

ブックオフでふと手にとった100円の手相書がきっかけである。


あの時立ち寄ったブックオフで

100円で手に入れた偶然から伸ばしたアンテナは

いろいろなものを受信した。


あの瞬間、今はないあのブックオフ、そしてあの100円。

それらは私にとって意味のある偶然の連鎖だったんだと

実感している。

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岐路に立つ

どちらの道に進もうか。

誰しも人生の岐路に立つ時が来る。


迷い、不安が邪魔をして

進む道が見えなくなる。


右?左?まっすぐ?

それとも今来た道を引き返す?


迷いや不安は問題解決の第一歩。


気の済むまで悩んでみるといい。


他人の評価や基準や思惑を寄せ付けず

苦しいと思うほど悩んでみるといい。


自分の弱みを思う存分吐き出してみるといい。


からっぽになった自分をちょっと離れて見てみると

弱みだけじゃない自分が見えてくる。


進む道が見えてくる。



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一人だけの時間

現代社会は孤独を避けるためにいろいろなものが用意されている。


一人暮らしでも家に帰れば、インターネット、テレビ、メール・・

気ままに誰かと繋がるツールがあって時間を紛らわせてくれる。


それは決して悪いことではないけれど

自分と向き合う時間からの逃避とも言える。


忙しい、忙しいと動きまわることばかりに終始していると

客観的に物事をみることができなくなってくる。


まるでハツカネズミが狂ったように回し車の中を走るがごとく

目の前の作業しかできずに、周囲が見えなくなる。


トンネルの入り口から遠くの出口の光をとらえ

最初の一歩を確実に踏み出す。


そして長い暗闇の中で自分と向き合いながら孤独と親しむ。


それを十分に楽しむことができる人こそが

このカオスのような現代社会の中でも

自分を見失わず、価値のある日常を構築していけるのだ。


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手を合わせるとき

お寺や神社へのお参り。

あなたは何を思いながら手を合わせますか?

「試験に合格しますように」
「家族全員が健康でありますように」
ほとんどが七夕の短冊に書くお願いごとのたぐいではないでしょうか。
困った時の神頼み、誰でも経験があります。

でも今度お参りするときに
ひとつお勧めしたい手の合わせ方があります。
それは他力本願のお願いごとではなく、ただ感謝するだけ。

手を合わせた時に
「試験に合格させていただきありがとうございます」
「家族が皆健康でありがとう」
なんでもいいのです。
そうするとほら、こんないいこともあった、あんな嬉しいこともあったと幸せの再確認ができます。 
できないことや未来の不安を確認する思いを抱くより、ずっと気持ちが前向きになります。
幸せをつかむことができたのは貴方自身の努力のたまものです。
それを神様に感謝するという行為で確認するというわけです。
悪いことが起こっても良いことが起こっても
それは神様のせいでもおかげでもなく貴方の行動の成果なのです。

さぁ、今度はお寺や神社の賽銭箱の前、大きな鈴をガランガラン鳴らして
堂々とご自身の努力の成果を数え上げ、神様に報告してみてください。


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ラッキーのタイミング

「あの人どうしてるかなぁ」なんて思った時に、

偶然その人から電話がかかってきたり、メールが入ったことはありませんか。

 

「新しい仕事を始めようかなぁ」なんて考えていた時に、

偶然ばったり会った友人から仕事の話が舞い込んだ、なんてことは?

 

偶然とは思えないほどタイミングよく幸運が舞い込む時は

きっと貴方の強い意識が高まっている時です。

 

最初は小さなことから始まり、

それに気がついて自分の意識を高めていくと

もっとそれがひんぱんに起こるようになります。

 

その小さな偶然とも言える「よいタイミング」に

敏感に気がつくことが大きな必然につながってゆくのです。

 

意識のアンテナをピンと張って歩いてみてください。

タイミングは向こうから貴方を探してやって来ます。

 

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最高の自己紹介

私は人のことを知ろうと思う時、2つのことが気になります。

 

「行動」しているか。

その人自身の「目」でものを見ているか。

 

口先だけで決意表明することは誰にでもできますが、

行動に移すとなるとそう簡単にはいきません。

 

勇気と決断力が行動となった時、初めて人に気持ちが伝わると

考えるからです。

 

 

「お金がないから」「頭が悪いから」「時間がないから」と

自分への言い訳ばかりを探していたり、

他人からの評価ばかりをうかがっていると

自分の「目」でものが見えなくなります。

他人の目を通して見たものを、

さも自分の「目」で見たかのように

錯覚してしまいます。

 

自分の「目」で見たものを形にすることこそが実現。


自分がやりたいと思ったこと、わくわくすることを

行動につなげてみてください。

単純なことでも、毎日毎日信念を持って続けてみてください。

 

きっと自分の思いは人に伝わります。

 

貴方のことを知ってもらう最高の自己紹介だと思います。

 

 

 

 


 

 

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司令官は自分

「早く支度しなさい」「これ明日までにやっておいて」「ちゃんと勉強しろ」

何気ないこんな言葉、言ったり言われたり。

人に命令するのもされるのもいい気持ちはしません。

 

でも!

自分が自分に命令するなら誰にもいやな思いもさせず、

その結果が自分にも他人にも良い結果をもたらす効果がある!

そう!

その瞬間に自分の性格を希望通りに変えられるのは自分自身なのです。

 

毎日、毎日噴き出してくる不安、心配、怒り、不満、悲しみ。

その根源が自分の脳内にあるのだから、

その脳でいくら解決策を考えたって答えが出てくるわけがない。

 

自分の潜在意識に命令できるのは自分だけ。

 

でも自分でも意識していないから潜在意識。

その潜在意識を操作するなんて

これは他人にものを言うより難しい。

 

腕を組む時、どちらの腕が上になりますか。

靴を履くときはどっちの足から?

 

そんな日常の動作もすべて潜在意識に支配されています。

 

試しにやってみてください。

朝、玄関を出る前にいつもと違う足から靴がはけるかどうか。

自分の意思で自分の意識に命令するってそういうこと。

 

これでいいのかな、私大丈夫かな、と不安が不安を呼んで

いつまでもこころが晴れないのはそんな思考のクセがついているから。

そしてそれを変えられないのは、

そう考えるのが毎朝同じ足から靴を履くのと同じようにラクだから。

 

試しに考えてみてください。

これでいいんだ、私は大丈夫って。

 

何十年も同じ足から靴を履いてきたのを変えられないように

何十年もかけてつけてきた思考のクセは強い意思がなければ

なかなか変えることはできません。

今日出来たって、明日にはころっと忘れてまた同じことを考えている。

 

でも人に命令するより、人から命令されるより

ずっと良い結果をもたらすのは

自分で自分に命令することなのです。

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私の超リラックス方法

手相鑑定はとても集中力を必要とします。

 

最初はざわざわとした周囲の話し声や音楽が耳について

線が読めないのですが、ほんの数秒でまったく何も聞こえない状態になり

手相が浮き上がって見えてくるのです。

それからはその方のヒストリーが語りかけてくるといったイメージです。

 

日頃そんなふうに集中力を酷使しているせいか

無性に精神を解き放ちたくなる衝動にかられます。

 

そんな時は近くの山に登ります。

人はほとんどいません。音もありません。

 

いつものように一気に登り、見晴らしの良い場所の大木を背に寄りかかります。

目は遠くの稜線へ、口はたぶん半開き、

もしかしたらよだれまでたらしているかもしれないぐらい。

手足はだらしなく放り出し、絶対人には見せられないと思うほど弛緩した状態。

 

するとその半開きになった口から勾玉の形をした私の魂がすうっと出て

目を向けた先の稜線へと飛んでゆきます。

その勾玉の形をした魂は木々の間をくるくると回り、

苔むした岩の水分を吸い、

ひらひらと散る葉や花をかいくぐり、

落ち葉の下にもぐり、

山の中の精気を存分に吸い取って

出た時と同じようにすうっと音もなく私の口から体内に戻ります。

 

魂が戻ってくると、かすんでいたような目や頭の中に酸素が満ちたように

クリアになり、身体が軽くなり、なんとも言えない爽快感が体中に

満ちるのです。

 

ある日、そんなことを初めて人に話したところ「それは瞑想ですよ」と言われ

はっとしました。

 

瞑想だなんて意識したこともなく、ただただパンパンになった頭を抱えて

山に登り、座り込むだけ。

 

これが瞑想だとしたら、きっと誰にでも簡単にできることではないかしら。

 

人は常に頭の中で考えています。

「お昼は何食べよう」「今日の仕事の段取りは」「電車の中で大声で話すな」

次から次へと自分の意識がひとりごとをつぶやいています。

そんな雑念だらけの頭の中をクリーニングすると

集中力と行動力がよみがえります。

 

人によって方法はさまざまだと思いますが、

眠ったわけでもなく、食べ物を食べたわけでもないのに

身体中に満ちるあの感覚は何なんでしょう。

 

皆さんの瞑想の方法をぜひ教えてください。

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誰かの役に立つこと

ほんの少し水面から顔を出した意識の上で

あっぷあっぷしながら潜在意識の海でほぼ溺れかけている日常。

 

誰かの役に立っていますか。

 

誰かの役に立っていることを実感するって力がみなぎってきます。

 

でも、寝たきりのお年寄りや赤ちゃんは

誰かの役に立つ行為や行動なんてできません。

それでも小さい時の自分を可愛がってくれたおばあちゃん、

生まれたての泣いてばかりいる赤ちゃんだって

立派に周囲の人間の役に立っています。

それは「存在」。


そこにいてくれるだけでいい「存在」。

 

自分は誰かの役に立つ「存在」になっているのかな。

 

家族の中では出来の悪い「存在」だったり

おりこうさんでなければほめてもらえない「存在」だったり。

 

とても「存在」だけでは自分が人の役に立っているとは思えません。

 

だから一生懸命行動します。

誰かのささやく「あなたのため」という言葉の裏に隠された

「わたしのため」という事実に気がつくこともなく、

ほめられたい一心で、認めてもらいたい一心で。

 

それは「自分のため」の人生ではなくて「誰かのため」の人生を

生きているということ。

 

「存在」だけで誰かの役に立っていることを実感するたったひとつの方法。

 

それは、家族の中でも、友人の中でも、社会の中でも

対等の関係を築いてゆくこと。

 

「誰かのため」に行動するのではなく

「自分のため」に行動することが自信につながります。

 

その自信はめぐりめぐって人の幸せにつながります。

 

「存在」だけで人を幸せにすることができるように

自信を持って行動できる人間に私はなりたい。

 

「自分のため」に太陽の光をふんだんに浴び、

雨の恵みを受け、太い幹を育て、思う存分に枝葉を伸ばしたこの木が、

人々を日照りから守り、寄りかかる安心感を与える木陰を作ったように。


 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

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規格外

テレビで枝豆の選別をしているのを見ました。

さやにきっちり3粒入っているのがL、3粒入っていても形が悪いのがM、

2粒しか入っていないのがS、だそうです。

それ以下の小さなものは最初に機械ではじかれます。

小さなものだって実が入っているのにね。食べられるのにね。

 

背が低いから、ダミ声なんです、アトピー肌が気になって・・

などの身体的特徴だけでなく、

お姉ちゃんだから、女の子だから、長男だから、男でしょ、日本人たる者・・・。

自分が好んで決めたわけでもない生まれた順番、年齢、性別、国籍にいたるまで

どこかの誰かの既成概念にはめ込まれ、

幼い頃から生きづらい思いをしてきた人のなんと多いことか。

 

その概念は刷り込まれるうちに、いつしか誰かの概念じゃなくなって

自分の不安や心配になって大きく大きく重たく重たくのしかかってきます。

 

きれいな形のきっちり3粒入った枝豆でない自分。

ベルトコンベアの上ではじかれないように、

あたかも3粒入っているかのようにさやをふくらませて装い続け、

「3粒入っているね、優秀だね、Lだね、合格だね。」と言われることに

心血を注ぎます。

でも残りの1粒か2粒は不安や心配でふくらんださやです。

 

その心配や不安でパンパンになった空っぽのさやは

いつしかはじけます。

一歩も前に歩き出すことのできない自分が残ります。


自分はわかっていたのです。

規格外なのに3粒入りの立派な枝豆を装っていたのを。

 

2粒だっていいんです。

ちょっと形が悪くたって大丈夫。

規格外バンザイです。

 

そう思えたら生きるのが楽しくなります。

 

cafeころんのツリーハウスにかかった吊り橋。

規格外だって

100点満点がとれなくたって

早く走れなくたって

いい子じゃなくたって

ミライへの吊り橋を渡る勇気を持つことの方がどんなに大切か。

 

cafeころんでこの吊り橋を見て

ワクワクしてください。

きっと何かを感じることができると思います。

 

 

 

 



 

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原因と目的

行動を起こす時に必要なのは「未来の自分のためにこうありたい」

と強く思う気持ちです。

 

行動を起こす時に邪魔なのは「過去の自分はこうだったからできっこない」

と自分に言い訳する原因です。

 

生まれた時から刷り込まれてきた不安、心配、憂鬱、強迫観念・・・

そんなことが山のような荷物となって一歩が踏み出せません。

行動を起こすモチベーションとなるのは

過去の情けない自分を思い起こすのではなく、

かっこいい未来の自分を思い描くこと。

 

そこを切り分けて考えると、初めの一歩が踏み出せて

行動しているうちに霧が晴れ、向かって行く方向が定まってくるのです。

 

私は小さな頃から虫が大の苦手です。

そんな私が庭の木にできた蜂の巣を退治できるなんて!

 

庭に出るとブンブンと羽音をたてて向かってくる蜂に危険を感じ駆除を決意。

何日も前から巣に集まる蜂の生態を観察し、

駆除方法を調べ、シュミレーションをくり返し

とうとう一人の力で刺されることもなく駆除することに成功しました。

 

ちょっと「未来のかっこいい自分」というほどではありませんが、

苦手意識を克服し、行動に移したことでさまざまな手段を模索することができ、

虫一匹に大騒ぎをしていたかっこ悪い自分とは決別できたのです。

 

苦手だとか、不安なものって今までの環境の中で

刷り込まれていただけであって、立ち向かってみると

案外乗り越えられたりするものです。

 

あなたの苦手なことは何ですか。

その原因は過去のかっこ悪い自分ではないでしょうか。

 

 

 

 

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うまいっ!

先日カフェにお越しくださったご夫婦。

ランチを召し上がった後、

お酒を飲みながらゆったりとした時間を過ごされていました。

 

そのご主人様は何かを最初に口にされる時、

必ず「うんっ!うまいっ!」という第一声が飛び出します。

 

奥様もそれにニコニコとしながら相槌を打っています。

 

ランチを食べた時も、ビールを飲んだ時も、おつまみにお箸をのばした時も

気持ちいいほど周囲に聞こえる声で「うまいっ!」と声にされます。

 

私は驚きました。

料理を提供する私どもがうれしいのはもちろん、

それを聞いた奥様も周囲の人もそのひと声で笑顔になります。

ありきたりな料理でもそのひと声で極上な料理に生まれ変わります。

 

きっとご家庭での奥様のお料理にも

まずそのひと声を発していらっしゃるのでしょう。


料理の味そのものだけでなく、

その背景にあるすべてにこめられたその言葉から

ご本人のお人柄、

そして愛情に満ちあふれたご家庭を想像することができました。

 

「うまいっ!」は魔法のスパイス。

その場が愛に包まれます。

嫌なことが吹き飛びます。

 

皆様もコショウや醤油とともに

ぜひこのスパイスをご家庭にお揃えになってみてください。

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やろうと思ってた

ものごとをじっくり考える。

いいことですね。

でも考えてばかりで行動しないのは考えていないのと同じことです。

もったいない。

せっかく思考した時間が水の泡です。

 

「今やろうと思ってた」「暖かくなったら始める」「来年は頑張る」

こんな言葉を使う多くの人は行動しません。

「今」やらない人は、暖かくなっても来年になってもやらないのです。

 

テストで良い点を取った時、仕事で良い成果をあげた時、

「優秀だね、頭がいいね」とほめられる。

その時は気分がいいですね。

「頑張ったね、努力したんだね」とほめられたらどうでしょうか。

これもなかなかうれしいものです。

 

人はおもしろいもので、知性を褒められるとチャレンジをしなくなります。

でも努力を認められるとさらに高度な問題に挑んでいく勇気が得られます。

自分を賢く見せることに注力すると失敗や間違いを犯すリスクを回避する心理が

働くようになるからです。

思い当たるふしはありませんか。

 

誰でも失敗を恐れる気持ちは持っていますが、

失敗を失敗のままにしておくことが失敗そのものなのです。

成功だけをほめられていると、プライドだけが肥大化していきます。

失敗のリスクを取り続けることがチャレンジです。

失敗と向き合えば成功への道筋がみえてきます。

チャレンジは行動。

ネガティブだから行動できないのではなく、

行動しないからネガティブになっていくのです。

 

人生は選択、決断、行動のくり返し。

それに必要なものはポジティブで失敗を恐れないチャレンジャー精神なのです。

 

 

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叶屋

青梅の町は古くからの家が多く、あちらこちらに屋号の入った蔵をみかけます。

 

これは叶屋さんでしょうか。

 

「叶」は願望が実現するという意味です。

 

漢字の名言を引用すると、

口から出るのは+な事もあれば、−な事もあります。

だから口から出るさまざまな否定的な言葉は「吐く」とも言います。

でも、−な事を言わないようにすると・・

願いが「叶う」。

 

毎日の暮らしの中で口から出るネガティブ言葉は実にさまざま。

弱音を吐く、毒を吐く、つばを吐く、捨てぜりふを吐く・・

自分を振り返ってみると、言ってます、言ってます。

 

漢字の名言、わかりやすいですね。

嫌な言葉を口からひとつ出すたびに願いがひとつ逃げてゆく。

口から出すのは+なことだけ、と肝に命じておけば願いが

近寄ってきてくれるような気がします。

 

きっと昔は商売をやっていても弱音を吐かず、お客さんを大事にして

立派な蔵を建てた「叶屋」さんだったのでしょう。


自分も「叶屋」の番頭さんになったつもりの会話をこころがけ、

願いに一歩でも近づきたいものだと思わずにはいられない漢字遊びでした。

 


 

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心の窓と鍵

自己紹介というのが苦手。

小学校から現在に至るまで何度となく要求されてきた自己紹介だが

一度としてうまく言えた試しがない。

 

人間には心の窓がある。

 

大きく開いている人もいれば、ほんのすきま風が通る程度にしか

開けていない人もいる。

ぴったりと閉ざして鍵までかけている人だっている。

 

心の窓が大きく開いていればいるほど人との会話の接点が増え

アクセスの頻度が高くなる。

 

心の窓を大きく開けている人はきっと自分自身を理解している。

長所も短所も受け入れて納得している人に違いない。

 

短所には目を閉じ、耳を塞ぎ、受け入れることをしたくない、

ましてや気がつかない私の自己紹介がひどいのも

こうして考えてみるとうなづける。

 

この写真はナチュラル・ノスタルジーなカフェころんの窓。

庭につづくこの窓はいつもは開け放たれていて

玄関から抜ける風が心地よい。

鍵もちょっと壊れていて締めるのにひと苦労するほどゆるい窓だ。

 

そんな自己紹介が上手なカフェだから

人が集まり、人が笑い、人が育つのかもしれない。

 

 

 

 

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不安の正体

高い所が怖かった。

 

幼稚園でクラス全員がジャングルジムに上って撮った写真がある。

ひとりだけ皆と同じ高さまで上れず一段低いところで写っている。

何十年もたった今でも覚えているその時の気持ち。

 

高い所が怖かった。

 

今は高層ビルから見る夜景を美しいと感じ、

吊り橋も渡ることができる。

 

人間は高い所への恐怖感を本能的に備えていると思う。

高い所から落ちた経験があったり、

落ちたらどうなるかということを想像することができる。

 

鳥のような翼もなく、ボイスレコーダーのような頑強な作りの肉体でもない。

高層ビルや吊り橋から落ちたらどうなるかを想像するのは容易い。

「死」から身を守らなければ子孫を繁栄させることもできないのだ。

 

幼い頃は周囲に「死」というものに触れる機会もなく

万全と「死」への恐怖だけが大きく膨らんでいた。

 

大きくなるにつれ、生き物が死ぬのを見たり、葬式に参列したり、

病院へ見舞いに行ったりして「死」が誰にでも訪れるものだという理解が

深まると同時に「高い所」への恐怖も薄れていった。

 

私達の日常は死ばかりではなく、さまざまな不安や恐怖に満ちあふれている。

ただ恐れているばかりでは美しいものに感動する心や

楽しいことに触れる機会を逸してしまう。

 

その不安や恐怖の正体をつきとめてみよう。

 

きっと人生がひときわ輝いてみえてくるはずだ。

 

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3大がっかり

世界には、いや国内にも3大がっかり名所と呼ばれる所があったりする。

観光客が多い割には規模が小さかったり、

有名であるのに期待を裏切る要素が満載の名所である。

 

人間にも期待を裏切る3大言い訳がある。

お金がない。

時間がない。

自信がない。

自分自身でも過去に何度も言ってきた覚えがある。

 

だがこの3つの中で万人に平等に与えられているのに

失ったら二度と返っては来ないものが時間だ。


お金は一文無しからだってどうにかして増やすことができる。

自信もからくりさえ理解して努力すればつけることができる。

でも時間だけは目減りしていくだけのやっかいなシロモノ。

どうやって時間という無限のようで有限な財産を増やしていけばいいのか。

 

イライラして煙草を吸う時間。

凹んだ気分をヤケ酒で紛らわす時間。

あたりを見回すと皆が捨てている無駄な時間がゴロゴロ転がっている。

 

そうだ、ストレスで消費する時間をなくせば時間は増えるのではないだろうか。

すなわちストレスをなくす。

なんだか難解な方程式が解けたような。

 

やらなければいけないことを一番先にやる。

やりたくないけれどやらなければならないこと、

それはいつでも行動にブレーキをかけてしまって時間を消費する最大の原因。

いっそのことやらないか、一番先にやる。

 

すべてを一人でやらない。

一人でやったほうが早く終る、とか人に迷惑かけたくない、とか。

そんな理由で自分を縛り付けてやることを山積みにしているのも時間の浪費。

周りの人を味方につけて多くの力でやりとげる。


なんだか真剣に考えると考え方や行動で

時間という資産を増やすことも可能な気がしてくる。

 

世界3大がっかり名所のような人間にならないように

3大言い訳と向き合ってみるストレスフルな月末の帰り道。


 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

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はぐれ蛍

生きて光りながら飛ぶ蛍を見るようになって何年だろう。

 

都会で生まれ育った私はとしまえんの昆虫館でしか蛍を見たことがなかった。

 

ここ青梅では蛍が生育する絶好の場所があり、

この地に住むようになってから梅雨の時期になると

毎年ナマ蛍を鑑賞している。

 

さらさらと流れる小川の音だけの暗闇の世界。

 

淡い緑色にふわりと光っては消える蛍たち。


外敵を驚かすためとも求愛行動とも言われる明滅は

闇があるからこそ役立つ光のコミュニケーション。

 

闇は苦悩、忍耐、迷い、不安、貧困、病気、差別。

それらがあるからこそ光る希望。

 

明るい場所では必要とされない光だからこそ

闇の意味があるのだ。

 

人間が渡れない小川の向こう岸に光る蛍たちからはぐれて

飛んできた一匹をそっとつかまえて葉の上に乗せてみる。

 

ずいぶん道を間違えてしまった蛍はそれでも淡く淡く光りながら

仲間たちとコミュニケーションをとろうとしているようだ。

 

ちゃんと自分の居場所へ戻るのよ、と手のひらにのせてそっと空に放つと

安心したかのようにほわっと光り闇の中に消えていった蛍は

いつかの私だったのかもしれない。

 

 

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トマトの花が咲いた。

 

こんなに天気がいいのにうつむいている。

写真が撮りにくいし、どんな花なのかもよくわからないほど地味だ。

 

トマトの原産地アンデスでは標高が高く、

受粉を促すハチなどの昆虫がいない。

 

太陽に向かって咲く花が目立って美しいのは、

花粉を運んでくれる昆虫を引き寄せるためでもある。

 

そこで地味なトマトは考えた。

 

風。

 

うつむいて咲けば風が花粉を運んでくれる。

 

地味で目立たず、うつむいて咲く花にも

風は優しい。

 

 

 

 

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バランス

何日か前の夕焼け。

 

天地創造の日はこんなだったのではないだろうか。

 

闇の中から生まれる光。

昼と夜、月と太陽、空と海、そして男と女。

 

お互いが存在することで成り立つ森羅万象。

どちらも過不足なく見事にバランスがとれている。

 

勉強がはかどらない時、仕事がうまくいかない時、恋愛が成就しなかった時、

体内の細胞がすべて下降線をたどるような気がする。

そんな時に脳内で頑張ってくれるのが有名なやる気物質アドレナリン。

人間の脳でさえもバランスがとれる仕組みになっているのだ。

 

恋愛の賞味期限は3年といわれる。

ひとつの恋愛の中で媚薬ホルモンが分泌し続けることはない。

そう、森羅万象バランスがとれることになっているこの世界、

恋に落ちたときのようなドキドキ感が一生続いては困るからだ。

この媚薬ホルモン、分泌するのは長くても3年から4年。

だから3〜4年交際した男女であれば、ホルモンに惑わされることなく

お互いを理性的に見ることができ、結婚しても長続きするというわけだ。

 

でもドキドキ感が消えたならマンネリが待っていると考えるのはちょっと早い。

それなら媚薬ホルモンに代わるわくわくホルモンを互いに分泌すればよい。


行ったことのない場所、いつもとは違うファッション、

二人で新しいことを始めてみる。

 

「星の王子さま」を書いたサン・テグジュペリはこう言っている。

 

愛とは、お互いを見つめ合うことではなく、

ともに同じ方向を見つめることである。



 

 

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肯定文の威力

インパクトのある看板ですね。

 

「この先に行ってはいけません!」とか「立入禁止!」と書かれた看板より

ずっと抑止力があります。

絶対入りたくないです。

不思議です。


ちょっと意味合いが違いますが

駅前の放置自転車にも「ここに置いてはいけません」より

「どれでもご自由にお乗りください」と書いた方が

放置する人がいなくなりますね、きっと。

 

飲食店に入って少し手の込んだ料理を注文したとします。

「すぐにはできません」と言われるより

「少々お時間かかります」と言われた方が同じ時間待つのにも

気持ちの余裕が変わってきます。

 

肯定文ってすごいですね。

 

特に決意を表す時に肯定文は有効です。

 

「失敗しないぞ」と思うより「成功するぞ」「達成しよう」と

思う方が成功する確率が高くなります。

 

「失敗」という言葉に意識が集中してしまうと

あたかも失敗を達成するということにもなりかねません。

 

ネガティブな言葉より、ポジティブな言葉の方が脳に大きな影響を

及ぼすと言われています。

 

どうにもならない自分を救う究極の手段ともいうべきポジティブ思考。

 

あなたの使う言葉は否定文?

それとも肯定文?

 

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シンデレラの落としたガラスの靴も右足だった

右足から靴を履くと一日が幸せになる。

こんな言い伝えがヨーロッパにはあるそうです。

ギリシアの自然哲学者、ピタゴラスも「右足から歩み始めよ」と

言っています。

 

根拠があるのかないのかわかりませんが、

自分が毎日どちらから靴を履いているのか気になりました。

 

左!

これは由々しき事態です。

さっそく明日から右足から靴を履き、右足から玄関を出なければ

と心新たにしました。

 

しかし私はなぜ左足から靴を履くのでしょう?

右利きだから?

右手にバッグを持つから?

そうやって考えてみると靴下を履くのも左、足を洗うのも左足からと

日常の動作の順番が決まっています。

習慣とはおそろしいものです。

みなさんはどうですか?

 

これは何十年もの生活の中で、自分がやりやすい方法を無意識に

身体に刷り込んで覚えさせていったのではないでしょうか。

 

人間は、身体だけでなく心を安定させるためにも

いろいろな方法を使います。

 

イライラしたり、ちょっと不安になった時

音楽を聞いたり、歌ったり、自然の中に出かけたり。

 

でもそんな方法が何も見つからない時。

 

いつも毎日の生活の中でしている動作の順番を変えてみるのはどうでしょう。

 

嫌な気持ちというものは過去何十年もの間、自分の中に刷り込んできた

自信の無さの裏返しなのではないでしょうか。

人に認めてもらえなかったり、

良い子、良い人でいるためにいろいろなことを我慢したり犠牲にしてきたことが

長い時を経て不安やストレスとなって積み上がり、

ざわざわとした嫌な気持ちとなっているような気がします。

 

長い間積み重ねてきたものですから

そう簡単には考え方を変えることができません。

毎日靴を履く順番をすぐには変えられないように。

 

まず、強い意志を持って繰り返し繰り返し日常の動作を変えてみる。

潜在意識で行っていたことを書き換えることの練習です。

 

さぁ、私にも自然に右足から靴を履き、右足から玄関を出る日が

やって来るのでしょうか。

 

 

 

 


 

 

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ウッドデッキパーティ@cafe ころん

cafe ころんは、手相カフェ・テオが月に一度出店するレンタル・カフェ。

 

廃屋をリフォームして作り上げたカフェにはなんと庭があります。

今、その庭の大きなヒノキと柿の木を支えにしたツリーハウスを建築中。

 

費用はクラウドファンディング、労力は有志、

あとは協力してくださるみなさんの心意気で

ツリーハウスは完成に向かって着々と進行中。

https://faavo.jp/tokyonishitama/project/508

 

昨日はツリーハウスのウッドデッキ部分の完成を祝して

パーティが開かれました。

 

売上はもちろんツリーハウス建設資金に。

 

誰もが一度は憧れたことのあるツリーハウス。

ほんのちょっと高いだけなのに、

一瞬にして子どもの頃の自分に戻れるタイムマシン。

 

こども達に木の温もりを!

青梅杉で作る木のテーマパークを駅前に作りたい!

 

そんな思いの人たちが集まって作るツリーハウスは

大きな大きなタイムマシン。

たくさんの大人達のこどもマインドと

たくさんの子ども達の大人へのステップを積んで加速中!

 

毎週日曜日・月曜日はツリーハウスday。

どなたでもツリーハウス作りに参加できます。

 

7月の完成目指して一人でも多くの方に関わっていただければと思います。

もちろん完成後に遊びに来ていただくのも大歓迎です。

 

新しい青梅のランドマークとなる日をお楽しみに。

 





 

 

 

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真水より泥水

青梅には吹上しょうぶ公園という6月には見事な菖蒲で彩られる公園があります。

 

もう咲いているかと散歩がてら訪れてみると、勢い余って咲いてしまった感の

菖蒲が一列、二列・・

まだ少々早かったようです。

 

それでもところ狭しと飛び回ってはさえずるウグイスの声が菖蒲園を囲む山々に

反響して、彼にとっては格好のコンサートホールとなっていました。

 

その入口の沼地に咲き始めていた蓮の花。

 

泥水が泥水であるほど大輪の花を咲かせると言います。

 

人間界と同じじゃありませんか。

 

泥水の中を無呼吸泳法で成長し、立ち上がって水面に顔を出し

なんとも神々しく咲く大輪の花。

 

澄んだ真水では小さな花しか咲かせることができないと知り、

猛然と力が湧いてきました。

 

苦しくても辛くても悲しくてもそれはそれでいいんだ、

それがドロドロとしていればしているほど成長することができ

水面から顔を出したときには満面の笑顔をたたえることができるんだ。

 

蓮の花が住処のお釈迦様はきっとこれを知っていたんですね。

 

咲き始めた蓮の花の中に、ちらりとお釈迦様が見えたような気がして

満開の菖蒲が見られなくても得をした気分になりました。

 

お釈迦様の宗派さえ知らない私にも微笑んでくれた蓮の花。

思わず手を合わせてから帰る散歩道。

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暗い岩屋から抜け出すために

コンビニというには少し抵抗のある酒屋なのか、パン屋なのか、

八百屋なのかわからないひなびた総合食料品店の店先に

店主の趣味なのか大きな水槽が置いてあります。

 

赤や白のヒラヒラと泳ぐ金魚の水槽とは別の水槽にひとりぼっちの生物。

どうやらナマズのよう。

岩と岩の間にじぃっと身をひそめ、

こちらが水槽に顔を近づけてジロジロ見ても微動だにしません。

 

山椒魚・・

井伏鱒二の作品を思い出しました。

 

山椒魚は悲しんだ・・

で始まるこの物語はぼーっとしている間に大きくなりすぎて

岩屋から出られなくなった可哀想な山椒魚のお話です。

 

「何たる失策であることか」

とうめいた山椒魚の後悔、焦り。

 

なぜぼーっとしていたの。

多分そこが安心できる場所だったから。

安心ってなぁに。

与えられた場所で言われた通りのことをして誰かにほめられること。


そう、人間ってほめられるとうれしい。

でもほめられるためにはいい子でいなくちゃいけない。

 

いい子でいるってぼーっとしていることと同じこと。

自分で考えなくてもいい、誰かが言った通りのことさえしていれば

いい子ね、お利口ね、ってほめてもらえる。

 

でもほめてもらう代償に考える力を奪われる。

自由な行動を制御される。

抜け出せなくなって初めてわかる暗くて狭い世界の哀しさ、

自由の尊さ。

高価な代償を支払って得るものは無気力、自信のない自分、

そして絶望。


もっと広い世界に出てごらん。

身を守りたければ隠れていないで武器をもちなさい。

広い川を泳ぐために自由自在に使いこなせる武器を持ち

自分の意志で泳ぐんだよ、

と水槽の中のナマズに心の中で語りかけた昼下がり。

 





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上れるはずの階段

駅までの道。毎朝上る階段。

この一段目の手前まで来ると頂上を見上げて身構える。

 

「うへぇ・・。いつになったら軽快に上れるんだろう。」

「右端を上る?それとも左端?

坂道はジグザグに登るとラクだと聞いたことがあるぞ。」

「途中で一回休む?いやいやそんな時間ないし。」

などなど頭の中は階段征服のことでいっぱい。

 

上り終えると心拍数は上がり、しばし息を整える。

やっぱり今日もダメだった・・の繰り返し。

 

急がば回れの言葉どおり、ちょっと回り道をすればこんな階段上らずに済む。

しかし自虐的性分なのか、負けず嫌いなのか、回り道はしない。

人間苦しい道を選べば能力が開花するはず、

こんな階段上れなくてどうする、これは修行だ、などと

自分に言い聞かせながら、階段を睨みつけ

飽きもせず上ってはハァハァと惨敗に終わっている。

 

ある日。

家を出てから足は勝手に駅に向かっていたが、

夢中で考え事をしていて問題のポイントにさしかかったのも覚えていない。

もちろん頂上を見上げることもなければ、ジグザグ上りもしていない。

気がついたのは階段を上り終えて、モッコウバラが美しく咲く次の曲がり角だった。

息が乱れていない。

なぜ?

 

潜在意識・・?!

若くないんだからこんな階段駆け上がるなんてできるわけないよ。

毎日繰り返し上り続けているのに一度も成功したことがないし。

どうせ私なんか・・・

 

頭の中では威勢のいいことを考えているふりをして

潜在意識ではそんな失敗経験の確認作業をしていただけなんじゃないのか。

 

潜在意識おそるべし。

 

待てよ・・

それじゃあその逆に、上れることを潜在意識に刷り込めばいいんじゃない。

どうやって・・?

自己暗示?無理無理。

だって暗示をかけた時点で顕在意識として存在してしまう。

 

たった一度の成功は無意識の下で達成することができた。

そうだ!無意識だ!

失敗も成功もない。階段も平地もない。気負いも落胆もない。

あるのはただ駅という目的地に向かって進むという行動だけ。

 

すばらしい解答を片手に意気揚々と家を出て明日の朝も階段に臨む。

らくらくと上れるはず・・だ。

 

あぁ、手に負えない潜在意識と格闘の日々。


 

 

 

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FANCL銀座スクエア初出店

HAPPY MOTHER'S DAY!

 

今回は美と健康をテーマにしたFANCL銀座スクエアに出店いたしました。

 

手相カフェ・テオではマルタからのオーガニック食材を多く使っています。

http://maltaste.com

 

今日はマルタからのワインや食材の試飲試食のためのプレートを

担当させていただき、特別イベントとして手相鑑定も!


ワインやプレートを銀座の真ん中とは思えないゆったりとしたテラスで

楽しみながら手相鑑定ができるなんて・・と多くのお客様に

嬉しいご感想をいただきました。

 

青梅で起業を目指すレンタル・カフェで営業している私達にとって

ここ銀座での営業はいつも以上にたくさんの学びの空間となりました。

 

青梅で学んだこと、銀座で感じたこと、毎回さまざまなトライ&エラーを

繰り返しながら大きく成長していきたいと思っています。

 

おかげ様で銀座でも料理、手相鑑定共々ご好評をいただきましたので

次回も出店の運びとなりそうです。

 

出店の折には、ウェブサイトにてお知らせいたしますので

お近くにお住まいの皆様、どうぞお立ち寄りくださいますよう

お願い申し上げます。

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青梅大祭

青梅の街にはこんなポテンシャルがあるんだ!

と思い知らされた5月3日。

 

駅前から青梅街道を埋め尽くす人、人、人・・・

 

山車の競り合い、喧嘩囃子。

血気盛んな男衆のパワーが町中にあふれ、

そのエネルギーに酔いしれる13万人の来場者。

 

いつもは指で数えられるほどの人間しか歩いていない通りに

こんなに人が集まるなんて。

 

おかげさまでお祭り支度をしたテオにも

たくさんのお客様がお越しくださいました。

 

いつかお祭りと同じパワーをこのcafeころんから、手相カフェ・テオから

放って、青梅の町が毎日お祭りのような活気に満ち溢れる日が来ることを

願っています。


 

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パワスポ天国 青梅

青梅にはパワースポットが随所に点在しています。

 

1300年の歴史を誇る名刹塩船観音寺薬王寺は御朱印ガールも多く訪れる

パワースポットの代表格。

 

境内には2万株を超えるつつじがこれから盛りを迎えます。

 

赤、白、ピンクと色とりどりにつつじが咲きほこる5月3日の大祭には

真言宗修験道の柴燈護摩がたかれ、法螺貝を吹きながら山伏達が行列で現れると

真っ赤になった火の中を真言を唱えながら火渡りの荒行が行われます。

一般の方も参加することができるそうです。

 

天気がよければつつじの丘のてっぺんからスカイツリーが見えることもあります。

 

壮大なつつじと火渡り荒行を同時に見れるチャンスは5月3日の一日だけ。

 

本来は厳しい修験を行って初めて得られる力を、その場所を詣でるだけで

身分性別を問わず得られるというパワースポットでの大イベント、一年に一度の大チャンス。

 

どうぞお見逃しなく!

 

 

 



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刹那

里は葉桜となる頃、最後の桜、そして桜の最期を観るために近くの山へ。

 

日頃の運動不足を呪いながら、あえぎあえぎ山を登り見晴台にへたり込むと、

人の気配のまったく無い山はプッと耳が詰まるほどの静寂に包まれていました。

 

緑深い山のところどころに混ざる桜が淡い霞のよう。

 

思考を停止してだらしなくポカンと開けた口から吐き出した魂が

尾根を伝って山の中に吸い込まれてゆきます。

 

日常にまみれて汚れて歪んだ魂が、

春の霞の中をさまよって、桜の刹那の精気を浴びてまた私の身体に戻ってくる頃

静寂な山にひらひらと音が聞こえたような気がしました。

 

桜の最期に間に合った。

 

ほんの数日だけの花霞。

 

人間が100年生きたとしたって宇宙から見れば

桜の花びら一枚散る時間にも値しないほどの刹那。

 

その刹那にできること。

 

桜のように、雨上がりの虹のように

儚く消えてゆくものがその瞬間に放つもの。

 

このちっぽけであさましい人間にもそんな瞬間を迎えることができるでしょうか。

 

 

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ご来店ありがとうございました

4月3日、4日には手相カフェ・テオも3度目の営業日を迎えることができました。


予約のお客様をはじめ、たくさんのお客様にご来店いただいたにもかかわらず、

時間が足りず、お待たせしてしまったり、鑑定できずにお帰りいただくことになったお客様、

本当に申し訳ありませんでした。


誠心誠意の鑑定を心がけたい気持ちが先に立ち、ご来店頂いた多くのお客様にご不便をおかけしてしまい

営業するたびに抱える課題が山積みになっています。


このレンタル・カフェは起業を志す人々のトライアルの場ではありますが

ひとつひとつ課題を解決しながら、皆様に心地よくお過ごしいただけるカフェを目指していきたいと

思っております。


お越しいただいたお客様全員が鑑定を体験いただけますよう

お問い合わせフォームからのご予約をよろしくお願いいたします。

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御岳山に登ったことがありますか

青梅の街を散策しているとよくこの扉に貼ってあるお札をみかけます。


牙を剥いた犬のようですが・・・


これは東京の西の最果て青梅、御岳山頂上にある「武蔵御嶽神社」のお札です。

武蔵御嶽神社に祀られている主祭神は

「櫛眞智命」(くしまちのみこと)といってなんと占いの神様です。


この地で占いを始めたことに運命を感じてしまいます。


毎年1月には非公開で

(行っても見れませんよ。非公開というだけで霊験あらたかに思えてしまいますね)

太占祭(ふとまにさい)が行われます。

太占・・高校の日本史で習ったような記憶が。

それもそのはず、現在では富岡製糸場で名高い群馬県貴前神社と、

この「武蔵御嶽神社」だけに伝わる日本最古の占いだそうです。


男鹿の肩の骨を焼いて作物の豊凶を占うのだとか。

だから今でも青梅の農家や民家には作物の豊作を願って

この御岳山「武蔵御嶽神社」のお札が貼られているということです。



さて、本題の牙を剥いた犬のような絵が描かれたお札に戻ります。


この占いの神様の他にも何体かの神様が祀られていて、

そのひとつ「大口真神」という神様は通称「おいぬさま」と呼ばれていますが

実はオオカミなのです。


まだまだ日本ができたばかりのころのお話でしょうが

日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征のとき、

この御岳山から西北に進もうとしていました。


もうヤマトタケルがここ通ったんだ!

と知っただけでパワースポット感満載であります。


そしてこの深い山奥の邪神が大きな白鹿と化して道をふさぎました。

(神話にありがちな設定ですね)

ヤマトタケルは山蒜(やまびる)で邪神を退治したものの、

その時山谷が鳴り響き、雲霧が発生して道に迷ってしまったそうです。

そこへ忽然と白狼が現れ、ヤマトタケルの軍を西北へ導いたそうです。


この神話、あながち作り話ではないと感じるのは

ここ青梅では今でもちょっと山に分け入ると鹿を見かけることがあるし、

(白くはないです。どちらかというと黒っぽいワイルドな鹿です)

昔はそりゃオオカミだっていたでしょ、というぐらいの深い山なのです。

ちょっと気温差が生じると川だって滝だってたくさんあるから

濃霧だっていとも簡単に発生するのです。


というわけで妙に納得してしまう狼信仰。


その時ヤマトタケルはオオカミに「此の山に留まり、地を守れ」と仰せられたそうな。

以来、「おいぬさま」と崇められ様々な厄除け

道中で難を救う旅行安全の神として信仰を集めています。


「おいぬ」は「老いぬ」にも通じて長寿の神様としても、

また戌は安産・多産の神様として有名で、

昔から妊婦さんは「戌の日」には安産のお参りにいきますね。


休日ともなれば、多くの愛犬家が可愛いワンコを連れて

登山をしています。


さてゴールデンウィークも間近。

東京の西の最果て、御岳山に登ってみるのはいかがでしょうか。




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僕の前に道はない        僕の後ろに道はできる

高校の教科書に載っていたような・・

高村光太郎の作品「道程」の一文です。


去年の2月には大雪が降り、cafeころんのあるここ青梅の駅裏手にある山の上には

3月でもまだこんなに雪が残っていました。

人間はおろか猫や犬の足あとさえ一つもついていません。

一歩一歩踏み出すと、高校時代に出会ったこの詩が頭の中に舞い降りてきました。


手の平には「運命線」と呼ばれる線が手首から中指方向へ立ち上がっています。

流年法というものさしのような方法を使って何歳でどんなことが起こったとか起こるとか

人生のストーリーを読み解いていきます。


まるでこの雪野原を歩く足あとのように手の平にも運命が刻まれていきます。

転ばずに歩けるでしょうか。

転んだ時には誰かが救いの手を差し伸べてくれるでしょうか。

道が二手に分かれた時にはどちらの道を選んだらよいのでしょうか。


迷いながら、決断しながら刻々と物語が描かれていくのです。


ああ

人類の道程は遠い

そしてその大道はない

自然の子どもたちが全身の力で拓いていかねばならないのだ

歩け、歩け

どんなものが出てきても乗り越して歩け

この光り輝く風景の中に踏み込んでゆけ


僕の前に道はない

僕の後ろに道はできる




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色のない景色に少し色がつく瞬間

3月7日(土)2回目のPalm Reading Cafe THEOの営業を終えました。

 

前回に引き続きたくさんのお客様にお越しいただきありがとうございました。

今回はこのホームページからのご予約もいただき、そして開店時間も早めての営業となりました。

 

これはお客様が撮ってくださったTHEO営業中の写真です。

夕暮れ時のあたりがモノトーンになる時。

暖かい灯りがともされると、そこだけが血の通った体内のように色みを帯びる時間です。

 

 

生きていると楽しいことばかりではありません。

もう勘弁してくれと放り出したくなることが山のよう。

自分が楽しいと思う時ってどんな時でしょう。

友達と遊んでいる時、買い物している時、家族とのだんらん・・・

たしかに!

 

自分が楽しく思えることを一生続けられたらいいな。

人のためじゃない、自分のため。

でもそれは人を喜ばせることだったり、楽しませることだったり。

結局自分が本当に楽しいと思えるのは自分の考えたこと、提供したことやものが

「人に喜んでもらえること」なのがおかしい。

 

人間社会ってなんてよくできた仕組みなんだろう。

 

楽しい事を探して頭の中をぐるぐるぐるぐる回っている回遊魚のような考えが

お刺身となってお皿に上がる。

そんな時、目の前のモノトーンの風景が少しだけ暖色を帯びて色を認識できる感覚になります。

 

それをイメージできた私にとって記念の一枚です。

 

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If Winter comes, can Spring be far behind?

冬来たりなば春遠からじ。


寒さの苦手な私は秋風がそよそよとする頃から

冬の気配を感じて、もう翌年の春を待ち遠しく

思いこの言葉を呪文のように唱えます。


日本は四季がはっきりしていますから春夏秋冬は

行儀よく並んでいて順番が狂うことがありません。

春→冬→秋→夏なんてことがないので安心です。


冬さえ来てしまえばこっちのもの、

焦らなくたってその次に並んでいる春は確実に

やってくるのです。


外に出ると春の気配はあちらこちらに。


見てください、この背筋をピンと伸ばして

まっすぐ前を見据えたこの梅の花。

希望に満ちたミライにアンテナを張り、視界を

広げているように見えませんか?


梅の花を観てこんな勝手な解釈をしていると

明日からの行動力につながるような気がしてきます。





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トライすること

起業を目指す人がトライアルで事業を起こせる場という環境を得たことは、私にとって大きなチャンスでした。

 

自分の手相を観てみると「今でしょ。」と言っています。

そのチャンスの時期だけでなく、この企画を考える源となった人物や協力者の線もしっかり現れています。

そこは自称palm reader(手相を読み解く人)、何のためらいもなく、負の要素を感じることなく出店を決意しました。

 

準備の段階でワクワクすることはあっても

不安を感じることは全くありませんでした。

 

なぜ私が不安を感じなかったのか。

 

それは実践を一度も踏んだことのない無知の塊であったという一言につきると思います。

 


「情報は知識ではない。本当の理解は実験に始まり実験に終わる。」

 というアインシュタインの言葉通り、出店までの準備期間中は経営に関する情報や心理に関する情報、本やネットに氾濫する情報を詰め込んだだけのただのハリボテですから不安や恐怖など感じようもないはずです。

 

そしてなんの不安もなくワクワクする気持ちだけで迎えた手相カフェ・テオ初出店の日。

 

サインボードを出したとたんに続々とご来店くださったお客様。

気がつくと日が暮れて、空はオレンジ色に変わり、空以外の物体は影となっていました。

 

無我夢中で過ごした一日はオレンジ色の空と同じ心地良い達成感と疲労感、

そしてその風景は同時に自分を覆い始めた影に気づかせてくれました。


 

無知な愚か者が何かに気づく・・

それは無謀な実体験であったりします。

あぁ、あの本で読んだことはこういうことだったのか。

あの人がアドバイスしてくれたのはそういうことなのか。

初めて情報と行動がマリアージュして理解となる瞬間です。

影に色がつく瞬間です。

その影は日がまた昇れば色のついた実体としてよみがえるのです。

 


目や耳から得た情報を行動を通して理解につなげていくこと、

それは人間にとって永遠の課題であると思うのです。

 

幼い少年がたくさん転んでケガをして学習し、

自分の身長の倍もあろうほどの幅の川を飛び越すことができるまでに成長するように。

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手相カフェ・テオ オープン

Palm Reading Cafe "THEO"

JR青梅駅近くのシェアスペース@cafeころんで初出店しました!(2015.02.07)

 

初日からたくさんのお客さまにお越しいただき

本当にありがとうございました。

 

このシェアスペースはだんだん人通りが寂しくなる青梅の商店街に活気が戻るよう、起業のトライアルの場として「自分のお店を持ちたい」人たちの手で廃屋をリフォームして作り上げたものです。

 

どことなく懐かしく感じるナチュラル・ノスタルジックなカフェは人と人との間隔を少し近づける作用も働くようです。

 

カフェの中で知り合った見ず知らずの人同士が

お茶を飲みながら、ランチを食べながら

自然に会話をしたり、写真を撮ったり。

 

店内のそんな様子を見ながら、

青梅の街だからこそ起こる化学変化を感じました。

 

手相鑑定にも多くのご依頼をいただき、

本当にありがとうございました。

 

次回は2015.3月7日(土)を予定しております。

 

どうぞお気軽にナチュラル・ノスタルジックなカフェ、THEOで起こる化学変化をお楽しみください。

 

※手相鑑定の予約状況確認はこちらを▶予約状況

 予約のお申し込みはこちらから▶お問い合わせ

 

 

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手相って?

手のひらを開いてみてください。

無数の線が刻まれていて世界に一つだけの自分の手相。

この手相から何がわかるのでしょう。

ドキドキしますね。

 

性格、思考のタイプ、健康状態、転職や結婚など人生の転換時期、

その他人生にまつわるいろいろな事がわかります。

これから自分の身に起こる、または既に起きたことも伺い知ることができるので、

当たるとか当たらないという占いの範疇に入っているのでしょう。

 

でも単なる「占い」で終わらないのが手相の奥深いところ。

なぜなら過去のことはともかく、未来に関しては手相を変えることができるのです。

手相を変えることができるですって?!

・・・と疑心暗鬼の方もいらっしゃると思います。

もちろんサインペンで描いたりするわけではありません。

もしあなたが何かに気づき、そして行動を起こせば手相はどんどん変わっていきます。

当たる、当たらないで一喜一憂するよりも、今現在の手相を読み解いて、

自分の力で未来をデザインしていくということが可能なのです。

 

手のひらに描かれていることはもちろん良いことばかりではありません。

将来起こりうるアンラッキーなことだって正直に描かれています。

よく言われるのが「良いことだけ教えてください!」

え?それってもったいないです。

だって悪いことが起こる予測ができるのですから、そのアンラッキーの種から

ラッキーの花を咲かせることだってできるんです。

良いことだけ知らされてもうれしいのはその時だけですからね。

 

だから私は「占い師」と呼ばれたくありません。

恐山のイタコのように霊が憑依して私の口を通して語るわけではありませんし、

私自身に特別な霊能力があるわけでもありません。

英語では「palm reader」(手相を読み解く人)って言います。

ちょっとカッコいいですね。

 

私が手相を読み解いて、手のひらを開いたご自身が納得する最良の方法で

未来をデザインしていく。

 

そんな形でやっていければ最高です。

 

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「信じる」か「すがる」か

山の中を歩いていると、何かの植物のツルがにゅるにゅると弧を描きながら伸びて、よりどころを探しています。

人間も同じです。

これがひどくなると依存に発展し、
酒や煙草、買い物やギャンブル、日常生活にまで影響をきたしてしまうシンドロームの始まりです。
何かにすがらなければ生きていけない状態です。
それにすがっていれば、不安を感じない、不快を感じない、というニセモノの満足感。
それらは全て自分の外側にあるものを満たすためのものです。

では自分の内側にあるものを満たすためには?

自分の直感に従って自分を信じて行動する。
すがるのは自分自身。

そう考えて行動すると、一時的なよりどころを探してニセモノの安定を求めずに、真の満足感を得られるものです。

こうありたい、と強く思う気持ちを持ってみてください。
よりどころを自分自身の中に持つことが、
すべての問題解決の糸口になるはずです。


タンポポは2度成長する

タンポポは2度成長する

 

サクラが満開となり

上を仰いで歩く季節となりました

 

ふと足もとを見ると

土も無いような側溝の割れ目から

ぐいっと背を伸ばして

道路まで顔を出したタンポポ

 

タンポポは2度成長する

という言葉を思い出しました

 

タンポポの花の茎は短く

花が咲き終わると萎れて下を向いて

いきます

いったん枯れたかのように見えた茎は、また上に向かって力強く成長し

遠くへ綿毛を飛ばすために

もと咲いた花の位置より

長く高くなってゆくのです

 

なんとも勇気づけられる

自然界のシステムではありませんか

 

歳をとっても次の世代に残すもの

 

それを自ら発信することは

自然界の一員であるあなたにもできるんだよ

 

そんな言葉を道端のタンポポから

かけてもらって

また満開の桜を仰ぎ見ながら

歩き出す駅までの道。

あとちょっと

あと10分。

 

 

日の出時刻の6:50を目指して

ヘッドランプをつけて 

真っ暗な山道をひたすら登ってきた。

 

あとちょっと、あとちょっと。

 

腕時計を見ながら

前に出なくなってきたきた足に

神経を集中して言い聞かせ

筋肉に伝達させる。

 

気温はマイナス8℃だというのに

頭からは湯気を出し

ギリギリで間に合った日の出の瞬間。

 

歩を止めたと同時に

身体中が一気に凍りつき

吹き出していた汗は塩の結晶へと変わる。

 

熟したみかんのような濃いオレンジ色の太陽の光を目をつぶって

じっと全身に浴びる。

 

1℃、また1℃

気温が上がっていく。

山頂に据えられた温度計の

上昇する赤い水銀が

体内をめぐる血液と同化しているようだ。

 

4時間以上かけて

辛くて苦しい山道を登り

この太陽が上がる瞬間の数秒で

下界から持ってきた

腐った精神を吐き出し

この先数ヶ月分のエネルギーを

吸収する。

 

東京の空って

 

広い空に映る変化をフルスクリーンで見れない

 

でもこれが毎日見慣れた空だから

視界が狭くなってるなんて

全然気がつかない

そもそも空ってこんなもんで

夕焼けさえ目に入らない

 

 

どこから車が飛び出してくるか

周囲に変な人はいないか

都会は空なんか見るより

他に注意しなくちゃいけないことが

たくさんあるんだ

目の前の事にばかり気を取られ

先の方は人混みでまったく見えないのが都会

 

 

これって私の人生の縮図

 

 

時には頭上に広がる空を

山に登って

フルスクリーンで見てみよう

 

 

社会にも

人混みにさえも

自分の存在が「不必要」となった時

 

 

どうする

 

そんな質問を自分に投げつけて

町の灯の消えた夜中の帰り道、

ふと立ち止まって呆然とする自分

 

 

 

ずぅっと先まで見渡せる山に登って

果てしない空を見上げてみる

 

今まで見えていなかったものが

見えてくる

見逃していたものの形

知らなかった事の発見

気づかなかった人の心

 

 

所属するコミュニティから切り離された時

誰も信じられなくなった時

人の感情に振り回された時

 

 

誰もいない山に登り

空を見上げてひとりじめしてみる

 

 

自分が本当に大切にしたいものが

見えてくる

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過去を変える方法

時間は過去から未来に流れるもの。

 

飛ぶ鳥が私の頭上を飛んでいけば

「どこへ飛んで行くのだろう」

と思うし、

ベンチに座っている私の目の前に降り立てば

「どこから飛んで来たのだろう」

と思いを巡らせる。

でも鳥は飛んでいるだけだし、私は見ているだけ。

同じ時間に存在しても

鳥にとっての過去未来と

私の過去未来は同じじゃない。

 

動画を逆回転して過去に戻り

そこからリスタートできたら

二度と同じ間違いは起こさない、

あの時ああしていれば・・・

なんてしょっちゅう襲いかかる後悔の念。

 

時間は過去から現在、未来へと流れてゆくもの・・

そりゃそうでしょ。

昭和に生まれ、平成に生きてる。

 

でも待って。

川は上流から下流へと流れる。

 

上流でスタートしたカヤックが

どんどん目の前を通過して

未来である下流へゴールを目指して流れていく。

コースをクリアできなかったり

岩にぶち当たるカヤックだってある。

そして1着、2着・・と順位が決まる。

 

つまり原因は未来にあって

結果は現在に現れているのだから

変えるべきことがあるとしたら過去ではないの。

 

ゴールを設定すれば

スタートしてからのプロセスは変えられる。

つまり、あれよあれよと過去になっていく

現在進行形の私たちの行動は

思いもかけない潜在意識が働いた結果の

自分自身の未来の意思決定によってとらされている

ものなのではないの。

 

窮地に置かれても前を向いている?

障害物があったら諦める?

 

そんなイマイマの現在進行形の私たちの行動は

1着を絶対に勝ち取る!

2着でもいいか・・

3着なら万々歳。

といった意識の奥底に横たわる意思決定で

動いているのではないだろうか。

 

だとしたら過去は変えられる。

時間は逆方向にだって作用する。

 

一番自分が幸福を感じる方向へ時間は流れるんだ。

 

 

いつまでそのままでいる?

星の名前を覚えると

夜空を見上げるのが楽しくなり、

花の名前を覚え得ると

毎年その花の咲く時期が待ち遠しくなります。

でも毎日乗っている中央線と山手線の駅名を覚えても

通勤電車に乗るのはちっとも楽しくなりません。

フシギダネ。

ポケモンを捕まえながら

夕飯の買い物帰りに見える山のシルエット。

 

手相カフェ・テオのある青梅は奥多摩パワースポットへの入り口。

夕日が落ちるのは

ちょっといかり肩の大岳山の左、つづら岩のあたり。

御前山、日出山、御岳山と続いて

日本百名山のひとつ、雲取山。

そして登るのが辛かった川苔山。

縦走が楽しかった惣岳山、岩茸石山、高水山。

 

何万年も前からそこにある山はいつまでそこにあり続ける?

何万年も前から咲き続ける花はいつまで毎年咲き続ける?

 

山の斜面に立って耳を澄ませると

見えてくるもの、聞こえてくるものがあります。

 

落ちる夕日に取って代わって

今日の夜空に昇る月は

どうやら満月の面持ち。

 

自分の無意識に光が当たるような

長い長い光の帯です。

 

 

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結界を張る3つの方法

シーサーは守り神。

 

沖縄ではどこの家にも必ずオス、メス2頭のシーサーが

飾られています。

この2頭のシーサーの間に結界が張られているのです。

 

結界と聞くとおどろおどろしく感じますが

家の鍵を閉めるのも、横断歩道も、駅のホームの白線も

結界と捉えれば自分の身の回りのいたるところに

張られた結界に気づくはず。

 

さて、それでは自分自身の中の結界はどうやって張るのでしょうか。

 

ネガティブな思考や他人からのねたみ、

人間関係のよるストレス。

数え上げればきりのない魔物たちから自分を守る結界を張る方法とは。

 

1)自分の強いところを考える。

トラブルに巻き込まれたり、自信をなくした時には

どうしても弱い自分が顔を出してしまいがち。

そんな時こそ自分の強みを考えるのです。

早起きが得意、人より速く歩ける、人の顔と名前を忘れない・・

何でもいいのです。

自分の弱いところは数え上げたら無数に出てくるでしょうが

強いところはうなって考えなければ出てこないかもしれません。

でもどんな時でも自分の強みを考えられれば結界が張れます。

 

2)他人と比較せず、過去の自分と比較する。

となりの芝は青く見えるもの。

自分以外のたいていの人は幸せに生きているように見えるものです。

そんな周囲の人間を見るのではなく

1ヶ月前、半年前、1年前の自分を見てみましょう。

半年前にできなかった事ができるようになっていませんか。

年始めに掲げた抱負を遂行していますか。

他人ではなく自分と向き合う事を心がけていれば結界が張れます。

 

3)いつも鏡を持ち歩く。

そうは言っても・・と思われる方はまず物理的な結界を張ることで

自信を持つことから始めてみましょう。

鏡は反射の作用があります。

護身のお守りやブレスレットと同じですね。

自分にとって嫌な念を反射してくれると信じて小さな鏡をバッグに。

そんなことから始めてみると不思議なことに

思いもよらぬ効果があるものです。

 

 

さぁこれで貴方の力を邪魔するものはすべてシャットアウト。

いつでもリラックスできる自分だけの空間に守られていることを

実感しながら、なりたい自分に向かって集中力を発揮してみてください。

 

 

 

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ありのままの。

ありのーままのー姿見せるのよ

ありのーままのー自分になるの

社会現象にもなったアナと雪の女王の主題歌。

主人公がすべてから解放されて歌うさまは

小さな子どもから大人までの共感を誘いました。

 

さて、ありのままって?

 

難しいですよね。

だってものごころついてからありのままの自分を出すなんて

とっくにやめてしまっているはず。

今さらありのままって言われても

どんな自分がありのままなのかさえわからないのではないでしょうか。

 

対人関係が苦手、恋愛がうまくいかない、仕事の成果が上がらない、

こういう問題ってすべて自分以外の人間に意識が向かっていませんか。

自分の意見があっても口に出すと誰かから反対されたり、否定されたり。

ひどい時には馬鹿にされたりしてトラウマになっている自分がいたりします。

それが怖くて、わずらわしくて、口に出す前に

「いやいやそんなわけないし」「嫌われたくないし」「怒られるし」と

自分で先に否定をしてしまう。

そんなクセが知らず知らずのうちについてしまって

自分の意見、思考、感情を意識の奥底に沈ませています。

その意識は決して消えてなくなるわけではなく

潜在意識という名前に変わって何層にもなった心の底辺に横たわり続けます。

 

そう、ありのままって潜在意識のことだったんです。

 

この潜在意識をほじくりだして表現すること。

それがあのアナと雪の女王の主人公に皆が共感する理由なんです。

 

このありのままの自分は

過去の出来事、周囲の状況、自分の行動などの記憶、感覚的な印象、感動した思い出、

成功体験、失敗体験・・膨大なデータペースとなって休むことなく稼働しています。

そして夢の中や、とっさの判断、直感的なひらめき・・そんな具合にひょっこり顔を出す時があります。

でもそこにいつでも自由にアクセスして

そのデータを活用しない手はありませんよね。

他人のパソコンのデータをハッキングするわけではなく

自分だけの膨大で貴重なデータなのですから。

 

そこへアクセスする方法は、

根気よく回路を作ることが大切です。

今まで飲み込んでいた意見をその日のうちに自分に対して書き出すなり声に出すなりして表現してみる。

目の前のこと、皿洗いでも雑巾がけでも草むしりでも料理でもなんでも丁寧に無心で取り組んで見る。

腕組みする時、交差する腕を逆にする、靴を履く時の順番を逆にする、駅までの道順を変えてみる、など

いつもと違ったことをしてみる。

それだけじゃない、あなたに合ったいろんな方法があるのです。

人に肯定してもらう前にまず自分が自分を肯定してみる。

その方法に気づいた時、周囲を凍らせるだけではない、温めることだってできる

あなたの特別な能力が開花するのです。

 

応援しています。

ぜひやってみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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罪悪感

「自分が悪いんだ」「すべて悪いのは自分」「私は悪いことをしてしまった」

大きな社会的な罪ではなく、日常生活でそんな感情を感じる時、いや感じさせられる時がありませんか。

 

罪悪感を持たされた人は幸せになってはいけません。

毎日を笑って過ごしてはいけません。

罰を受けるのが当然なので、人から攻撃されても防御も反論もしてはいけません。

 

そんな感情を植え付けられた人間は「何かしてあげなければ」という感情を持たされます。

はい、そこで主人と奴隷の関係が成立します。

 

奴隷は自分を肯定してはいけません。

主人に対していつも恐れを抱いていなければなりません。

 

ある時は咳払いひとつで、またある時は陰湿な目つきで、ドアの開け閉めで

主人はいとも簡単に奴隷の恐怖を煽ります。

 

そんな奴隷が持たされた罪悪感を「無罪」にするためには・・

 

あなたがあなたでいること

 

そう、いつもどおりの愛情深いあなたでいること。

罪の意識を取り込まないこと。

あなたが苦しんでいたら周囲の人も幸せになれないことを理解すること。

 

「あなたのために」

ではありません。

「あなたがあなたでいるために」

です。  

 

「あの人のために何かをしてあげなければ」という感情はあなたがフィルターをかけてみているストーリー。

フィルターを外してみてください。

その物語は、主人公のあなたが「私が私であるためにこうしよう」というストーリーに生まれ変わります。

 

あなたの人生という小説の作者は

あなた自身なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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鏡の中の自分

手相カフェ・テオは2016年2月に一周年を迎えました。

写真はその時記念品としてお客様にお渡ししたコンパクト・ミラーです。

なぜ鏡を選んだのか・・

今日はそれについてお話ししたいと思います。

 

鑑定をしていてよく質問されることのひとつに

「あんな思いやりのない夫を変えることができるでしょうか」

「口うるさい母親を変えることができるでしょうか」

「何をしても自信のなさそうな子どもを変えることができるでしょうか」

などの「変えることができるでしょうか」シリーズがあります。

私は「できません」と答えます。

でも変えることができるたったひとつの方法を

この鏡の中に封じ込めてお渡ししました。

 

こんなふうに書くと「インチキ占い師」のレッテルを貼られてしまいそうですが

鏡はいたって普通の鏡です。お金もいただいてはおりません。

 

パカンと開けるとまずあなたが映ります。

左右の眉毛はきちんと対称に描けているでしょうか。

口のまわりに食べた物がついていたりはしませんか。

鏡をのぞきこんで確認します。

あら、たいへん!眉毛描いてくるの忘れちゃった!

とあわてて直そうとするのは鏡の中のあなたではなく

鏡をのぞきこんでいるあなたです。

鏡の中のあなたに眉毛を描いても

リアルなあなたは何も変わらないのです。

もうおわかりですね。

 

人は自分の中のコンプレックスや不快に思うこと、自信の無さを

無意識のうちに他人の中に見いだしています。

わかりやすく言うと「自分を棚に上げて」です。

ご主人に思いやりがないのも、親が心配性なのも、子どもがおどおどするのも

すべて自分の中にある、自分を許せない要素です。

それを自分が意識の奥のほうにしまい込んでいることを

まるで気がつかないふり、いいえ気がついていないのです。

 

眉を描き忘れるあわてんぼうだけど、ナチュラルな眉毛もなかなかいいかも!

夢中になってかぶりついたおにぎり、おいしかった!

と自分自身のその時の感情を大切にして

もう一度鏡をのぞき直してみてください。

自分自身を好きになって何度も鏡を見て

自分自身と対話をしてみてください。

 

人を変えようと思ったら

まず自分自身が笑顔とポジティブな思考を持つことです。

自分自身を好きになることです。

あなたが人に対して不快に思っていることは

まるで自分には無いようなふりをして

抑え込んでいる一番嫌いなネガティブな自分なのです。

 

 

リアルなあなたが変わらなければ、鏡の向こうのあなたも変わりません。

もちろん人も変わりません。

 

鏡はあなたを取り巻く人生そのものなのです。

 

 

 

 

 

 

 

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TGIF

Thank God, It's Friday!

今日は金曜日。

長かった一週間も終わり、やっと迎えた週末。

飲み会でしょうか、それともネットサーフィン?

 

4月からは新しい年度が始まります。

新入学生、新社会人もまた新しい人間関係を築いてゆくことでしょう。

 

さて新しい環境の中で、目的意識をもって始める生活。

人間関係でストレスを抱えたくはありません。

そのためには何を心がけたらいいのでしょう。

 

私はまず第一に

自分のものさしを持つことをお勧めします。

 

「人からどう思われているか」ではなく「自分はどうしたいのか」

「こんなことを言ったら嫌われないか」ではなく「どうしたらきちんと伝わるか」

人のものさしで自分を測ることはできません。

この1年のスタートでmyものさしを持つか持たないかの違いは大きいです。

 

大人になったあなたは人の価値観で生きていくのではありません。

自分の中で自分自身の価値観を築き、

人からほめられることを期待する自分を卒業してみてください。

 

きっと視界がひらけてくるはずです。

 

 

 

 

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やだな・・と思ったら

今や国民の名刺代わりとでも言うべきfacebook。

リア充が詰まったこのSNSに辟易している人が多いようです。

facebookを開くたびに

投稿者のリア充と自分の生活の格差を感じ

襲い来る自己憐憫の感情と闘う羽目になる人も。

 

facebookを通じて繋がる友達は

毎日会う友達でもなければ、親友でもない人達がたくさんいます。

そのコミュニティの中で受ける快、不快があるとしたら・・

 

もちろんリアルな生活の中でも

「この人やだな」と感じる人と

「この人といると時間忘れるわ」とか「元気になれる」と感じさせてくれる人がいますよね。

 

今日お伝えしたいのは、

自分にとって不快な関係は疎遠にしていきましょうということ。

なぜならその不快の渦に巻き込まれると

どんどん自分が価値のない人間だと勘違いさせられてしまうからです。

 

不快な人というのは

自分自身に対しての評価の低い人。

一見自信満々でプライドだけが高く

他人を批判したり、差し置いたりすることで

自分の価値を高めようとします。

 

周囲を見回してみてください。

何かにつけ文句を言っている人はいませんか。

自分自身の考えや価値観ではなく

ステータスや持ち物、家族を自慢ばかりする人はいませんか。

そんな人がいたらそっと距離をとって

決して巻き込まれないことが大切です。

 

写真は登山口に張られた結界です。

不快なものが近づけない目に見えない結界を張るたった一つの方法は

自分自身への評価を高めることです。

 

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残念な手相

手相鑑定をしていると

「娘はこの先大丈夫ですか」「息子は将来幸福になれますか」

そんな質問をよく受けます。

はい、わかりません笑。

 

詳しく言うと、

わからないわけではないけれど、ご自身の手相から子どもの将来を

わかろうと思った時点でアウトです。

娘さんや息子さんの人生はあなたの人生ではないからです。

もっと詳しく言うと、そんな心配が子どもさんを不幸にしてしまうということです。

これは「心配のタネ」というタイトルのブログを読むと

ご理解いただけると思っています。

 

この心配のタネの被害に遭われたお子さん達が

そのまま大人になってどれほどの苦しみを抱えていることか。

 

お子さんが幸せになるためには、お子さん自身のエネルギーが必要です。

おぎゃあと産まれたその時には生きるエネルギーに満ち溢れているのです。

そのエネルギーを吸い取るのが親の心配です。(心配だけではありませんが)

お母様がいくら心配しても幸せにはなれません。

それどころか心配すればするほど幸せが離れて行くとわかったら・・

そう、お母様自身の問題である心配のタネから育った苗を一日も早く

摘み取ることがお子さんの幸せにつながってゆきます。

 

お母様がしなければいけないことは心配ではなく

あの無垢なエネルギーに包まれた産声を聞いた瞬間に思った

「生まれてきてくれてありがとう」

という思いを持ち続けることだと思います。

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人生を動かすとき

公園の丘に立つ金木犀の大木の向こうに夕陽が沈みます。

 

臆病なマメタが真夜中に腹痛で苦しむジサマのために

勇気を出して夜道を医者を呼びに駆ける。

勇気を出したマメタが見たものは

今まで見たことのなかった

暗闇に光が灯るモチモチの木だった

という物語を思い出しました。

 

私は月に一度だけ営業するカフェをやっています。

まだレンタルスペースを借りてのトライアルです。

毎回毎回が試行錯誤の連続で

失敗ばかりの素人カフェです。

 

このカフェを出店する前は

ぼんやりと「自分が生涯関われる何かをやってみたい、な〜。」と

空想していただけで、このもやもやした形にならない考えは

いつも通り意識の底深くに沈んでいく予定でした。

 

そんなある日、

たまたま、本当にたまたまSNSで目にした

「古民家を自分たちの手で改築してレンタルスペースを作ろう」の投稿。

今思い起こせば、

自分のどこにそんな行動力があったのだろうと

不思議になるくらいの素早さで参加に名乗りをあげていました。

年代も違う、まったく見ず知らずの集団の中にたった一人で飛び込むなんて

今までの私には考えられないことです。

 

 

人は誰しもが何かの能力を持っています。

でも、自分を信じることができないと

その能力を見つけることも、気づくこともできずに

悶々とするのです。

「何をしたいのかわからない」

「進むべき道がみつからない」

それは自分を信じていないから。

 

自分を信じるというのは

リスクを取る勇気を持つことではないでしょうか。

 

敷居をまたげば七人の敵ということわざ通り世の中はリスクだらけ。

でもそのリスクをひとつひとつ検証してみれば、すべて自分の心の中に潜んでいる自分否定な思考ばかりだったりします。

 

上司に叱られたら・・

友達に裏切られたら・・

お客さんが来なかったら・・

どんどん湧き出る不安と失敗の仮説を立てると、もうそこで足がすくんでしまいます。

人が何かにトライする時、自分が傷つかないように最悪の状況を思い描くのは防衛本能。

当然の事です。

でもそれと同時に

こんなことをしたらこんなに喜んでくれる人がいるはず

という仮説も立てられますよね。

そのプラスの仮説で勇気は沸き起こるのです。

 

もちろんリスクを取ることを選択したわけですから

心折れたり、ズタボロになることだってあるでしょう。

でも、「勇気を出した」という事実は

何物にも代え難い自信となって自分の真ん中に根付きます。

心が折れたら次はどうしたら心が折れないかを考え、実行すればいいのです。

 

人生は選択、決断、行動のくり返し。

進むか、とどまるか。

 

進むことを選択したその時から。

 

なりたい自分への人生は動き出すのです。

 

 

 

 

 

 

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自らを輝かせるものは他人の中にある

自然は緻密で壮大なクリエイターだ。

 

吐く息も白い寒い朝、

草の先端にダイヤモンドに劣らぬ輝きを放つ氷のしずく。

そのきらびやかなジュエリーを身にまとった草は

朝日を細胞内に取り込んで

氷点下の寒さの中でも青々と若返ったかのようだ。

 

自らを輝かせるもの。

それは自分の内包する能力であることはもちろん、

その能力に外的な作用が生じてこそ初めて輝きを放つ。

 

たとえば・・・

オリンピック選手。

同じ競技で闘う相手がいるからこそ

自らの能力を発揮し、切磋琢磨した結果、人に感動を与え輝くことができる。

医者はどうだ。

病気に苦しむ人がいるからこそ

知識を高め、技術を磨き、尊い命を救うのだ。

そんな特殊な能力がなくったって

環境保護、教育、国際交流、夫婦になること、子どもを産むこと、天寿をまっとうすること・・・

そう考えるとすべての人間の存在がダイヤの原石と考えられる。

 

人生で意味のあることは

社会が「価値のあるもの」と捉えていることに貢献することだ。

その「価値のあるもの」は私達全員が包含しているものであり

お互いが与え、受け取れるものなのである。

 

道端の草に降りたからこそ

凍てつく朝に光り輝けた夜露。

その草もまた、夜露のダイヤを身にまとい

自らを輝かせているように。

 

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実体のない影

すっかり腰が曲がってはいるが、しっかりとした足取りで歩く。

シルバーカーの助けを借りてはいるが、目的をもった足取りだ。

 

老女の長い長い人生の足跡と同時に

これからの自分の人生に思いをめぐらせる。

歳を重ねれば重ねるほど

影のように襲い来るであろう喪失の哀しみ。

家族を失うかもしれない、夢や希望を失うかもしれない、

信じていた友人に裏切られたり、

お金や仕事、健康や身体的機能も徐々に失われていく日々を呪うかもしれない。

受け入れがたいことに

怒りに身を震わせることも、泣き叫ぶことも、

すべてをシャットアウトすることもあるだろう。

 

それでも日は昇り、一日が始まる。

シルバーカーに買い物袋をぶらさげ、

生きてゆくために老女は歩く。

 

すべてを受け入れた時

実体のない影に怯えることもなくなる。

 

これから何を失っても後悔のないように

しっかりと自分の影を落としながら

今を生きてゆくために歩く。

 

 

 

 

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バランス

今日も一日が終わり陽が沈む。

金色の夕陽が空を幾重にも彩る。

 

地上では寒さの中でも青く茂る葉が色を失い

山々がシルエットになり

夕陽をフレーミングしてゆく。

 

明と暗、陰と陽、光と闇のバランスの中に身を置くと

迫り来る闇への恐怖と

やがて明ける光への安堵が折り重なる。

 

闇があってこその光、女があってこその男、裏があってこその表。

誕生の喜びには死への悲しみがつきまとう。

どちらも決して欠けることのない森羅万象の法則。

完全無欠のバランスだ。

 

 

一瞬も止まることなく

刻々と変化する自然界の抜群のバランスを保つ秩序に気づく時、

絶望の後には必ず希望がやってくることにも気づくのだ。

 

夜が長ければ長いほど、闇が深ければ深いほど

希望の光は眩しく明るい。

 

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ダルマさんとにらめっこ

燃え盛る炎の中に放り込まれるダルマたち。

 

そう、昨年頑張って両目が入ったダルマさん達が

目出度く御役御免で供養されているのだ。

 

炎で顔が熱くなるのも、目が乾いて閉じれなくなるのも忘れて

じっと見入る。

 

めらめらと燃えてゆくダルマとにらめっこしながら

自分の腹わたから取り出してこの火の中に放り込みたいものが

あるのに気がついた。

 

「思い込み」

 

いちばん厄介で消し去りたい私の中の負の産物だ。

 

過去の記憶の中で刷り込まれた

削除したはずの不要なデータに付随して湧き上がってくる。

 

カッとなって思わず反論したい時、

思いもよらない言葉に凹む時、

コミュニケーションがうまくとれない時、

自分がみじめに思える時。

そんな時に条件反射で頭をよぎる

自尊心の裏返し、防衛本能のすり替え・・

 

こうでなくては、

こうあるはずだ、

私はわたし、

しょせんこんなもの、

どうせそうだろう、

私さえ我慢すれば・・

 

支離滅裂で本当の自分はどこへやら。

 

ダルマさんとにらめっこをしながら考える。

 

そうか、なるほどね、そういう考えもあるんだね、

ちょっと待てよ、私は何のルールに縛られてる?

私の常識はあの人にとっても常識か?

 

こんな問いかけを自分にしながら

去年の小さなダルマを

炎めがけて思いっきり投げこんだ。

 

今年は一回り大きなダルマを買って帰ろう。

 

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自分が自分であるために

南に面した山肌にはすっかり雪がない。

降り積もったまま、

まったく溶ける気配のない北面に立つ。

 

人工的な音が何もしない山の中では

吹く風が木から木を伝わって

冷気とともにゴォーっという音が回っている。

 

一本の木になってみる。

 

抗うでもなく、倒れるでもなく

吹く風に共鳴できるだろうか。

 

寒いと弱音を吐くでもなく

南面の木を妬むでもなく

不動で立ち続けられるだろうか。

 

枝の中に冬ごもりのために巣食った虫をついばみに来る鳥を

追い払うこともせず、

春の芽吹きを信じることができるだろうか。

 

音を感じ、風を感じ、

手袋もしていない手のひらの感覚がなくなる頃

ひとつの答えが降りてくる。

 

この場所を選んで根を張り、枝を広げ成長してきたのだ。

 

春は必ずやって来る。

 

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本当の自分に出会う旅

お堂にひと足踏み入れて息をのむ。

 

秋田男鹿半島の真山の麓にある真山神社。

なまはげで有名なこの神社に

一万三千体の木彫小仏が壁一面に納められているお堂がある。

 

手相をじっと見ていると

手のひらが語るストーリーが浮き上がってくるように

一万三千体の仏像が私に語りかけてくるようだ。

 

一人ひとりの手のひらが違うように

木彫の仏像もまた一体一体違う表情を持っている。

 

ひとつひとつ表情を見ていくと

ここにも私、あそこにも私がいる。

 

喜びも悲しみも妬みも怒りも

一体ずつの感情が丁寧に供養されているのだ。

 

まさに一万三千人の自分に出会う旅。

 

あまりにも有名ななまはげの影に隠れて

人っ子ひとりいない忘れ去られたようなお堂で

こんな出会いがあるとは。

 

自分の中の幾通りもの自分。

昔の自分、今の自分、未来の自分。

怒っている自分、泣いている自分、笑っている自分。

旧知の自分、見ず知らずの自分。

その一人ひとりに挨拶をするように

三方の壁に納められた仏像と会話をし

なぜか深い安堵を覚えて下る山道。

 

 

 

 

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心配のタネ

どこから飛んで来たの。

心配のタネ。

一つの袋の中に無数のタネが入っていて

心の中ではじけると確実に根付いて

気が付くと小さな心の中はあふれんばかりの心配の芽でいっぱい。

 

「ハンカチは持ったの?」

「雨が降るから傘を持っていきなさい」

「宿題はやったの?」

母親として当然と思えて実は呪いの言葉たち。

お母さんは心配してるのよ、あなたのことを。

そんな呪文を唱えながら

小さな心に無数の心配のタネを植え付ける母親たち。

 

「ほら、ハンカチを持っていなかったから困ったでしょ。」

「ほら、雨が降ったから傘が役に立ったでしょ。」

「ほら・・・」

 

子ども達から「自分で考える」という大事な作業を奪って

自分の心配を我が子になすりつけ、安堵する。

心配のタネを植え付けられた子ども達は

「あぁ、お母さんの言うことを聞かなかったから」

「やっぱりお母さんの言うとおりになった」

と不安の答え合わせをして心配のタネを大事に育てて

大人になってゆきます。

 

今年の目標は何ですか?

 

目標を達成するためには意思の力が必要です。

意思は筋肉と同じで

鍛えなければ役に立ちません。

運動不足でいきなりフルマラソンは走れません。

まずはストレッチから。

2km、5kmと距離を伸ばして行きましょう。

意思を鍛えるのも同じ。

一年の目標の前に明日の目標、一ヶ月の目標を立てましょう。

未来の事を心配する前に目の前の事に集中しましょう。

 

心配のタネを植えつけられた人は

自分の中で立派に開花した心配の花のタネを

よかれと思って他の人にも植え付けます。

こうして心配のタネはどこまでも遠くへ飛んでゆきます。

 

どこからでも飛んで来る心配のタネが

自分の心に根付かないように

意思の力を鍛えましょう。

 

さぁ、今年の目標は?

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カオスの中の秩序

ご存知、渋谷のスクランブル交差点。

外国人観光客も驚く観光名所となっている。

「It's crazy!」と叫びながら写真や動画を撮る外国人。


この一見カオスのような交差点。

事故も起こらず、転ぶ人も見かけない。

源平の合戦のように押し寄せる歩行者同士は整然とした秩序をもって

障害物を避け、ぶつかることもなく交差点を縦横無尽に渡り切る。


生まれて初めて覚えた交通標記、青は進め、赤は止まれ。

黄色の次は赤になるから少し急いで、周囲に注意して。

そうそう、危険を予測することも大事なこと。


避難訓練では「押さない、駆けない、しゃべらない」なんて教わったっけ。

幼稚園ではおもちゃを譲り合うことも覚えた。

小学校では思いやりを、コミュニケーションを。

中学校では部活動を通して最後までやり切ることの大切さ、チームワークを。

高校では目的を持つことを。


 

毎日の生活も同じ。

めまぐるしい日常で起こる出来事に

個人個人の知識や考え、行動がちゃんと体系付けられていて

たいていの事はこなしてゆける。


カオスのようでカオスじゃない。

センター街へ、駅へ、道玄坂へ。

知力と行動力を総動員して目的地へ。


目的さえしっかり持っていれば

幼い頃に学んだことを駆使して

道は開ける。


学校で学んだことは学問だけじゃない。

生きることを学んだのだということを思い出したスクランブル交差点。

 

 

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親が完璧だって誰が決めた?

cafeころんの庭にあるツリーハウス。


まっすぐとか平行とか均等とか、

左右対称とか垂直とか整列などといった言葉が

まったく通用しない。

同じ長さの木材は2本とないし、角度もバラバラ。

それでも上に登ってみると抜群の安定感。

なんて不思議!


人間もそうだ。

完璧なんてありえないシロモノを追求している人はいつも不安を感じている。

他人のものさしを借りて寸法を測っているのだから不安定きわまりない。


誰しも小さな頃は親の言うことが絶対で

親こそが完璧なものだと大きな勘違いをして育つものである。

でもある日、気がつく。

「親だって人間じゃん。」

その気づきのチャンスを失って大きな勘違いをしたまま大人になると

完璧主義人間の誕生である。


完璧なようでいていとも簡単に壊れるハリボテだ。


直角を保ちたかったら自分は70度を負担しよう。

あとの20度は誰かにおまかせだ。

自分が完璧でないことを認めることができた時、

相手の欠点をカバーする人間になれるだろう。


cafeころんの象が乗っても壊れそうにないツリーハウスは

直線でも直角でもない大木の持つ個性に寄り添って

びくともしない安定感を保っている。

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みてみて!

熊目撃情報!

こわごわとハイキングコースを歩いてみる。

無計画の極みで臨んだツケが回り、雨は降ってくるし、日は暮れてくるし。

本当に熊と出会いそうな状況になってきたので行程を半ばであきらめて脇道へそれ、JRの駅へ。

 

みてみて!

無人駅の改札。

遠くから高い切符を買って来た人にはなんとも「甲斐のない」改札である。

直立した見なれぬ改札機。その後ろにはひっそりと切符回収箱と書かれた箱が。

誰もいないし、誰も切符を受け取ってくれないのははなはだがっかりなものだ。

 

人は多くの場合、みてみて!という欲求を持っているものである。

頑張った自分を誰かに認めてもらうことで

目標達成を達成した時の大きな自信となってゆく。

成長の根幹となっているといっても過言ではないくらいだ。

 

しかしそのみてみて!の裏側にある真理にお気づきだろうか。

「誰か」に認めてもらう=他人からの評価

大幅なポテンシャルを見込める発育段階の幼少期においてはそれもいい。

しかし成人して、社会人となって目標を持った時、

「誰かの評価」に振り回されているとたいていの場合、自信の喪失につながってゆく。


「自分の評価」のものさしの目盛りは人からの「偉かったね、がんばったね」ではなく

「ありがとう」と感謝された時にマックスになるのではないだろうか。


人の役に立つこと。

困っている人を助ける、社会の発展に貢献する、悲しんでいる人の心の支えとなる

何でもいい。

自分の行動が、発見が、発明が、アイデアが、文章が、歌が、料理が、そして何より

自分の存在が誰かの役に立って「ありがとう」のコトバをもらえたら

「誰かの評価」が「自分の評価」に変わり

人は初めて自分自身の人生を行きている実感を持てるのではないか。




この無人駅の無言の切符回収箱も切符を入れたら「ありがとう」のひとことが

流れたらいいのにね、と思いながら小さな秋の遠足を終了した。





 

 

 

 

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逃げ道を断とう

「もうトシだから」「時代が変わったから」「昨日寝てないから」「お金がないから」

何かをやろうとする時、必ず頭をもたげてくるのがこの言い訳。


失敗しても「自分」のせいではなくなる魔法のコトバ。

成功したら「こんなハンデがあったのに」と自己評価も倍増。

こんな万能な言い訳だから誰もが使いたくなってしまうのもうなずける。


一方でこの魔法のコトバが常習化すると

問題に立ち向かう意欲が薄れてきて現実逃避ばかりするようになる。

自分の本当の能力や意欲を向上させることなく

真の達成感や満足感を得られないまま、

不安を山積みさせるだけの忌まわしの呪文となる。


何かに立ち向かう時にこのコトバが口から出たらご用心。

安心できるのはその時だけ。

プライドが保てるのはその時だけ。

自分を守れたように思えるのはその時だけ。


この呪文を唱えている限り

不安を根こそぎ断つことにはつながらない。

自分の背後に山のような不安を積み上げる作業をコツコツとしているだけなのだ。


自分への言い訳を用意しないことが

真の自分と向き合って成長できる最良の方法であることを覚えておこう。

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意味のある偶然

やっと出会えた。

以前から気になっていたビール、「東京ブルース」。

連休の最終日、福生の石川酒造まで出向いて、

いよいよ名前負けしていないか確認する時がやってきた。


敷地内のレストランや蕎麦処はすでに満員御礼。

かまわない、このビールに会うためだけにやってきたんだから。


売店で購入し、テーブルや椅子が置かれている木陰のガーデンへ。


シュポン。

オレンジの甘い香り。

一口飲むとその香りとは裏腹なドシンとした重み。

喉にフェイドアウトしていくグレープフルーツのような苦味。

「東京ブルース」の名にふさわしい。


あぁ、わざわざ醸造元まで来ただけのことはある。


なぜか誰も来ない静かな木陰のガーデンで味わう「東京ブルース」は

まるで今まで歩いて来た人生を反芻するかのような五感で味わえるビールだった。







さて、精神を思い切り開放し、満足して出口に向かうと「個展」の文字が目に飛び込んできた。


酒瓶が転がっている絵画のフライヤー。

あぁ、きっと絵を観たらもっと精神が喜ぶに違いない。


階段を上るとwoodyな建物はさすが酒造の蔵らしい。


ひと目で福生とわかる大ぶりの絵。

母子をテーマにした絵、裸婦、童話の挿絵、静物画、デッサン画・・

順々に堪能していると

製作者である画家の大山瞳さんとお話することができた。


飲み物やお菓子まで用意されていて

蔵に流れる音楽、絵画、照明、かすかな絵の具の匂い・・

五感をフル稼働させながらここでもまた精神が開放されていくのを感じることができた。


この個展を訪れたのはきっと「意味のある偶然」。

さてさて、大山瞳さんの個展ではお土産に素敵な作品のポストカードまでいただいて、

駅までの大きな幹線道路16号沿いを歩き始める。

ダンプがバンバン走るこの道には商店と思しきものはない。

と思ったらこれが摩訶不思議なお店が店先の商品に隠れるように1軒だけたたずんでいた。


上を見上げると「HAPPY COMPANY」とかかれている。

普通だったらきっちりと閉められた戸を開ける勇気が起きないような店構えだ。


それでも何か妖気のような、いや陽気だろうか、

なにかの気を感じておそるおそるドアを開ける。


意外にも中から店主の「いらっしゃいませ」ではなく「こんにちは、こんにちは!」の

明るい声に出迎えられる。


小菅村の村営住宅18,000円の物件に住むというスキンヘッドのこのご主人、

いつもは夜7時に店を開けるというのにこの日はたまたま5時に店を開けていた。


古着とアクセサリー、雑貨を扱うこのお店、なんと夜7時から夜中の3時までの営業という。

「なぜ夜?」の問いかけに「夜眠れない人のために」の答え。

あぁ、やっぱり。

私の五感は、いや六感は正しく作動していた。


通りすがりの冷やかし客である私に

旧知の知人であるかのようによもやま話をしてくれたこのご主人のお店のドアを開けたのも

私にとって「意味のある偶然」。



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prepared mind

ノーベル生理学・医学賞を日本人が受賞。

ニュースで受賞者の大村氏がインタビューで「prepared mind」という言葉を口にしていた。


「あ!それ!」

私自身がいつも心に留めていること。


「偶然は構えのある心にしか恵まれない」


偶然をどうやってモノにするか。

意味のある偶然は「prepared mind」を持った人のみに訪れる。

つまり、チャンスってやつはゴロゴロしていて、どこにでもあるのに

アンテナを張っていない人は気づかずにスルーしてしまい、

常にアンテナを高くもって受信状態を良好にしている人はそのチャンスを逃さない、

ということである。


博士はお財布の中にいつも土壌採取用のビニール袋を携帯していて

どこに行っても土壌を採取するのを忘れなかったという。


博士の高く張り巡らしたアンテナが一握りの土の中の微生物から

3億人もの人間を救うチャンスをもたらしたのだ。


私が手相に興味を持ったのは

長い通勤時間を読書して過ごすため、

ブックオフでふと手にとった100円の手相書がきっかけである。


あの時立ち寄ったブックオフで

100円で手に入れた偶然から伸ばしたアンテナは

いろいろなものを受信した。


あの瞬間、今はないあのブックオフ、そしてあの100円。

それらは私にとって意味のある偶然の連鎖だったんだと

実感している。

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岐路に立つ

どちらの道に進もうか。

誰しも人生の岐路に立つ時が来る。


迷い、不安が邪魔をして

進む道が見えなくなる。


右?左?まっすぐ?

それとも今来た道を引き返す?


迷いや不安は問題解決の第一歩。


気の済むまで悩んでみるといい。


他人の評価や基準や思惑を寄せ付けず

苦しいと思うほど悩んでみるといい。


自分の弱みを思う存分吐き出してみるといい。


からっぽになった自分をちょっと離れて見てみると

弱みだけじゃない自分が見えてくる。


進む道が見えてくる。



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一人だけの時間

現代社会は孤独を避けるためにいろいろなものが用意されている。


一人暮らしでも家に帰れば、インターネット、テレビ、メール・・

気ままに誰かと繋がるツールがあって時間を紛らわせてくれる。


それは決して悪いことではないけれど

自分と向き合う時間からの逃避とも言える。


忙しい、忙しいと動きまわることばかりに終始していると

客観的に物事をみることができなくなってくる。


まるでハツカネズミが狂ったように回し車の中を走るがごとく

目の前の作業しかできずに、周囲が見えなくなる。


トンネルの入り口から遠くの出口の光をとらえ

最初の一歩を確実に踏み出す。


そして長い暗闇の中で自分と向き合いながら孤独と親しむ。


それを十分に楽しむことができる人こそが

このカオスのような現代社会の中でも

自分を見失わず、価値のある日常を構築していけるのだ。


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手を合わせるとき

お寺や神社へのお参り。

あなたは何を思いながら手を合わせますか?

「試験に合格しますように」
「家族全員が健康でありますように」
ほとんどが七夕の短冊に書くお願いごとのたぐいではないでしょうか。
困った時の神頼み、誰でも経験があります。

でも今度お参りするときに
ひとつお勧めしたい手の合わせ方があります。
それは他力本願のお願いごとではなく、ただ感謝するだけ。

手を合わせた時に
「試験に合格させていただきありがとうございます」
「家族が皆健康でありがとう」
なんでもいいのです。
そうするとほら、こんないいこともあった、あんな嬉しいこともあったと幸せの再確認ができます。 
できないことや未来の不安を確認する思いを抱くより、ずっと気持ちが前向きになります。
幸せをつかむことができたのは貴方自身の努力のたまものです。
それを神様に感謝するという行為で確認するというわけです。
悪いことが起こっても良いことが起こっても
それは神様のせいでもおかげでもなく貴方の行動の成果なのです。

さぁ、今度はお寺や神社の賽銭箱の前、大きな鈴をガランガラン鳴らして
堂々とご自身の努力の成果を数え上げ、神様に報告してみてください。


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ラッキーのタイミング

「あの人どうしてるかなぁ」なんて思った時に、

偶然その人から電話がかかってきたり、メールが入ったことはありませんか。

 

「新しい仕事を始めようかなぁ」なんて考えていた時に、

偶然ばったり会った友人から仕事の話が舞い込んだ、なんてことは?

 

偶然とは思えないほどタイミングよく幸運が舞い込む時は

きっと貴方の強い意識が高まっている時です。

 

最初は小さなことから始まり、

それに気がついて自分の意識を高めていくと

もっとそれがひんぱんに起こるようになります。

 

その小さな偶然とも言える「よいタイミング」に

敏感に気がつくことが大きな必然につながってゆくのです。

 

意識のアンテナをピンと張って歩いてみてください。

タイミングは向こうから貴方を探してやって来ます。

 

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最高の自己紹介

私は人のことを知ろうと思う時、2つのことが気になります。

 

「行動」しているか。

その人自身の「目」でものを見ているか。

 

口先だけで決意表明することは誰にでもできますが、

行動に移すとなるとそう簡単にはいきません。

 

勇気と決断力が行動となった時、初めて人に気持ちが伝わると

考えるからです。

 

 

「お金がないから」「頭が悪いから」「時間がないから」と

自分への言い訳ばかりを探していたり、

他人からの評価ばかりをうかがっていると

自分の「目」でものが見えなくなります。

他人の目を通して見たものを、

さも自分の「目」で見たかのように

錯覚してしまいます。

 

自分の「目」で見たものを形にすることこそが実現。


自分がやりたいと思ったこと、わくわくすることを

行動につなげてみてください。

単純なことでも、毎日毎日信念を持って続けてみてください。

 

きっと自分の思いは人に伝わります。

 

貴方のことを知ってもらう最高の自己紹介だと思います。

 

 

 

 


 

 

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司令官は自分

「早く支度しなさい」「これ明日までにやっておいて」「ちゃんと勉強しろ」

何気ないこんな言葉、言ったり言われたり。

人に命令するのもされるのもいい気持ちはしません。

 

でも!

自分が自分に命令するなら誰にもいやな思いもさせず、

その結果が自分にも他人にも良い結果をもたらす効果がある!

そう!

その瞬間に自分の性格を希望通りに変えられるのは自分自身なのです。

 

毎日、毎日噴き出してくる不安、心配、怒り、不満、悲しみ。

その根源が自分の脳内にあるのだから、

その脳でいくら解決策を考えたって答えが出てくるわけがない。

 

自分の潜在意識に命令できるのは自分だけ。

 

でも自分でも意識していないから潜在意識。

その潜在意識を操作するなんて

これは他人にものを言うより難しい。

 

腕を組む時、どちらの腕が上になりますか。

靴を履くときはどっちの足から?

 

そんな日常の動作もすべて潜在意識に支配されています。

 

試しにやってみてください。

朝、玄関を出る前にいつもと違う足から靴がはけるかどうか。

自分の意思で自分の意識に命令するってそういうこと。

 

これでいいのかな、私大丈夫かな、と不安が不安を呼んで

いつまでもこころが晴れないのはそんな思考のクセがついているから。

そしてそれを変えられないのは、

そう考えるのが毎朝同じ足から靴を履くのと同じようにラクだから。

 

試しに考えてみてください。

これでいいんだ、私は大丈夫って。

 

何十年も同じ足から靴を履いてきたのを変えられないように

何十年もかけてつけてきた思考のクセは強い意思がなければ

なかなか変えることはできません。

今日出来たって、明日にはころっと忘れてまた同じことを考えている。

 

でも人に命令するより、人から命令されるより

ずっと良い結果をもたらすのは

自分で自分に命令することなのです。

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私の超リラックス方法

手相鑑定はとても集中力を必要とします。

 

最初はざわざわとした周囲の話し声や音楽が耳について

線が読めないのですが、ほんの数秒でまったく何も聞こえない状態になり

手相が浮き上がって見えてくるのです。

それからはその方のヒストリーが語りかけてくるといったイメージです。

 

日頃そんなふうに集中力を酷使しているせいか

無性に精神を解き放ちたくなる衝動にかられます。

 

そんな時は近くの山に登ります。

人はほとんどいません。音もありません。

 

いつものように一気に登り、見晴らしの良い場所の大木を背に寄りかかります。

目は遠くの稜線へ、口はたぶん半開き、

もしかしたらよだれまでたらしているかもしれないぐらい。

手足はだらしなく放り出し、絶対人には見せられないと思うほど弛緩した状態。

 

するとその半開きになった口から勾玉の形をした私の魂がすうっと出て

目を向けた先の稜線へと飛んでゆきます。

その勾玉の形をした魂は木々の間をくるくると回り、

苔むした岩の水分を吸い、

ひらひらと散る葉や花をかいくぐり、

落ち葉の下にもぐり、

山の中の精気を存分に吸い取って

出た時と同じようにすうっと音もなく私の口から体内に戻ります。

 

魂が戻ってくると、かすんでいたような目や頭の中に酸素が満ちたように

クリアになり、身体が軽くなり、なんとも言えない爽快感が体中に

満ちるのです。

 

ある日、そんなことを初めて人に話したところ「それは瞑想ですよ」と言われ

はっとしました。

 

瞑想だなんて意識したこともなく、ただただパンパンになった頭を抱えて

山に登り、座り込むだけ。

 

これが瞑想だとしたら、きっと誰にでも簡単にできることではないかしら。

 

人は常に頭の中で考えています。

「お昼は何食べよう」「今日の仕事の段取りは」「電車の中で大声で話すな」

次から次へと自分の意識がひとりごとをつぶやいています。

そんな雑念だらけの頭の中をクリーニングすると

集中力と行動力がよみがえります。

 

人によって方法はさまざまだと思いますが、

眠ったわけでもなく、食べ物を食べたわけでもないのに

身体中に満ちるあの感覚は何なんでしょう。

 

皆さんの瞑想の方法をぜひ教えてください。

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誰かの役に立つこと

ほんの少し水面から顔を出した意識の上で

あっぷあっぷしながら潜在意識の海でほぼ溺れかけている日常。

 

誰かの役に立っていますか。

 

誰かの役に立っていることを実感するって力がみなぎってきます。

 

でも、寝たきりのお年寄りや赤ちゃんは

誰かの役に立つ行為や行動なんてできません。

それでも小さい時の自分を可愛がってくれたおばあちゃん、

生まれたての泣いてばかりいる赤ちゃんだって

立派に周囲の人間の役に立っています。

それは「存在」。


そこにいてくれるだけでいい「存在」。

 

自分は誰かの役に立つ「存在」になっているのかな。

 

家族の中では出来の悪い「存在」だったり

おりこうさんでなければほめてもらえない「存在」だったり。

 

とても「存在」だけでは自分が人の役に立っているとは思えません。

 

だから一生懸命行動します。

誰かのささやく「あなたのため」という言葉の裏に隠された

「わたしのため」という事実に気がつくこともなく、

ほめられたい一心で、認めてもらいたい一心で。

 

それは「自分のため」の人生ではなくて「誰かのため」の人生を

生きているということ。

 

「存在」だけで誰かの役に立っていることを実感するたったひとつの方法。

 

それは、家族の中でも、友人の中でも、社会の中でも

対等の関係を築いてゆくこと。

 

「誰かのため」に行動するのではなく

「自分のため」に行動することが自信につながります。

 

その自信はめぐりめぐって人の幸せにつながります。

 

「存在」だけで人を幸せにすることができるように

自信を持って行動できる人間に私はなりたい。

 

「自分のため」に太陽の光をふんだんに浴び、

雨の恵みを受け、太い幹を育て、思う存分に枝葉を伸ばしたこの木が、

人々を日照りから守り、寄りかかる安心感を与える木陰を作ったように。


 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

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規格外

テレビで枝豆の選別をしているのを見ました。

さやにきっちり3粒入っているのがL、3粒入っていても形が悪いのがM、

2粒しか入っていないのがS、だそうです。

それ以下の小さなものは最初に機械ではじかれます。

小さなものだって実が入っているのにね。食べられるのにね。

 

背が低いから、ダミ声なんです、アトピー肌が気になって・・

などの身体的特徴だけでなく、

お姉ちゃんだから、女の子だから、長男だから、男でしょ、日本人たる者・・・。

自分が好んで決めたわけでもない生まれた順番、年齢、性別、国籍にいたるまで

どこかの誰かの既成概念にはめ込まれ、

幼い頃から生きづらい思いをしてきた人のなんと多いことか。

 

その概念は刷り込まれるうちに、いつしか誰かの概念じゃなくなって

自分の不安や心配になって大きく大きく重たく重たくのしかかってきます。

 

きれいな形のきっちり3粒入った枝豆でない自分。

ベルトコンベアの上ではじかれないように、

あたかも3粒入っているかのようにさやをふくらませて装い続け、

「3粒入っているね、優秀だね、Lだね、合格だね。」と言われることに

心血を注ぎます。

でも残りの1粒か2粒は不安や心配でふくらんださやです。

 

その心配や不安でパンパンになった空っぽのさやは

いつしかはじけます。

一歩も前に歩き出すことのできない自分が残ります。


自分はわかっていたのです。

規格外なのに3粒入りの立派な枝豆を装っていたのを。

 

2粒だっていいんです。

ちょっと形が悪くたって大丈夫。

規格外バンザイです。

 

そう思えたら生きるのが楽しくなります。

 

cafeころんのツリーハウスにかかった吊り橋。

規格外だって

100点満点がとれなくたって

早く走れなくたって

いい子じゃなくたって

ミライへの吊り橋を渡る勇気を持つことの方がどんなに大切か。

 

cafeころんでこの吊り橋を見て

ワクワクしてください。

きっと何かを感じることができると思います。

 

 

 

 



 

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原因と目的

行動を起こす時に必要なのは「未来の自分のためにこうありたい」

と強く思う気持ちです。

 

行動を起こす時に邪魔なのは「過去の自分はこうだったからできっこない」

と自分に言い訳する原因です。

 

生まれた時から刷り込まれてきた不安、心配、憂鬱、強迫観念・・・

そんなことが山のような荷物となって一歩が踏み出せません。

行動を起こすモチベーションとなるのは

過去の情けない自分を思い起こすのではなく、

かっこいい未来の自分を思い描くこと。

 

そこを切り分けて考えると、初めの一歩が踏み出せて

行動しているうちに霧が晴れ、向かって行く方向が定まってくるのです。

 

私は小さな頃から虫が大の苦手です。

そんな私が庭の木にできた蜂の巣を退治できるなんて!

 

庭に出るとブンブンと羽音をたてて向かってくる蜂に危険を感じ駆除を決意。

何日も前から巣に集まる蜂の生態を観察し、

駆除方法を調べ、シュミレーションをくり返し

とうとう一人の力で刺されることもなく駆除することに成功しました。

 

ちょっと「未来のかっこいい自分」というほどではありませんが、

苦手意識を克服し、行動に移したことでさまざまな手段を模索することができ、

虫一匹に大騒ぎをしていたかっこ悪い自分とは決別できたのです。

 

苦手だとか、不安なものって今までの環境の中で

刷り込まれていただけであって、立ち向かってみると

案外乗り越えられたりするものです。

 

あなたの苦手なことは何ですか。

その原因は過去のかっこ悪い自分ではないでしょうか。

 

 

 

 

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うまいっ!

先日カフェにお越しくださったご夫婦。

ランチを召し上がった後、

お酒を飲みながらゆったりとした時間を過ごされていました。

 

そのご主人様は何かを最初に口にされる時、

必ず「うんっ!うまいっ!」という第一声が飛び出します。

 

奥様もそれにニコニコとしながら相槌を打っています。

 

ランチを食べた時も、ビールを飲んだ時も、おつまみにお箸をのばした時も

気持ちいいほど周囲に聞こえる声で「うまいっ!」と声にされます。

 

私は驚きました。

料理を提供する私どもがうれしいのはもちろん、

それを聞いた奥様も周囲の人もそのひと声で笑顔になります。

ありきたりな料理でもそのひと声で極上な料理に生まれ変わります。

 

きっとご家庭での奥様のお料理にも

まずそのひと声を発していらっしゃるのでしょう。


料理の味そのものだけでなく、

その背景にあるすべてにこめられたその言葉から

ご本人のお人柄、

そして愛情に満ちあふれたご家庭を想像することができました。

 

「うまいっ!」は魔法のスパイス。

その場が愛に包まれます。

嫌なことが吹き飛びます。

 

皆様もコショウや醤油とともに

ぜひこのスパイスをご家庭にお揃えになってみてください。

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やろうと思ってた

ものごとをじっくり考える。

いいことですね。

でも考えてばかりで行動しないのは考えていないのと同じことです。

もったいない。

せっかく思考した時間が水の泡です。

 

「今やろうと思ってた」「暖かくなったら始める」「来年は頑張る」

こんな言葉を使う多くの人は行動しません。

「今」やらない人は、暖かくなっても来年になってもやらないのです。

 

テストで良い点を取った時、仕事で良い成果をあげた時、

「優秀だね、頭がいいね」とほめられる。

その時は気分がいいですね。

「頑張ったね、努力したんだね」とほめられたらどうでしょうか。

これもなかなかうれしいものです。

 

人はおもしろいもので、知性を褒められるとチャレンジをしなくなります。

でも努力を認められるとさらに高度な問題に挑んでいく勇気が得られます。

自分を賢く見せることに注力すると失敗や間違いを犯すリスクを回避する心理が

働くようになるからです。

思い当たるふしはありませんか。

 

誰でも失敗を恐れる気持ちは持っていますが、

失敗を失敗のままにしておくことが失敗そのものなのです。

成功だけをほめられていると、プライドだけが肥大化していきます。

失敗のリスクを取り続けることがチャレンジです。

失敗と向き合えば成功への道筋がみえてきます。

チャレンジは行動。

ネガティブだから行動できないのではなく、

行動しないからネガティブになっていくのです。

 

人生は選択、決断、行動のくり返し。

それに必要なものはポジティブで失敗を恐れないチャレンジャー精神なのです。

 

 

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叶屋

青梅の町は古くからの家が多く、あちらこちらに屋号の入った蔵をみかけます。

 

これは叶屋さんでしょうか。

 

「叶」は願望が実現するという意味です。

 

漢字の名言を引用すると、

口から出るのは+な事もあれば、−な事もあります。

だから口から出るさまざまな否定的な言葉は「吐く」とも言います。

でも、−な事を言わないようにすると・・

願いが「叶う」。

 

毎日の暮らしの中で口から出るネガティブ言葉は実にさまざま。

弱音を吐く、毒を吐く、つばを吐く、捨てぜりふを吐く・・

自分を振り返ってみると、言ってます、言ってます。

 

漢字の名言、わかりやすいですね。

嫌な言葉を口からひとつ出すたびに願いがひとつ逃げてゆく。

口から出すのは+なことだけ、と肝に命じておけば願いが

近寄ってきてくれるような気がします。

 

きっと昔は商売をやっていても弱音を吐かず、お客さんを大事にして

立派な蔵を建てた「叶屋」さんだったのでしょう。


自分も「叶屋」の番頭さんになったつもりの会話をこころがけ、

願いに一歩でも近づきたいものだと思わずにはいられない漢字遊びでした。

 


 

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心の窓と鍵

自己紹介というのが苦手。

小学校から現在に至るまで何度となく要求されてきた自己紹介だが

一度としてうまく言えた試しがない。

 

人間には心の窓がある。

 

大きく開いている人もいれば、ほんのすきま風が通る程度にしか

開けていない人もいる。

ぴったりと閉ざして鍵までかけている人だっている。

 

心の窓が大きく開いていればいるほど人との会話の接点が増え

アクセスの頻度が高くなる。

 

心の窓を大きく開けている人はきっと自分自身を理解している。

長所も短所も受け入れて納得している人に違いない。

 

短所には目を閉じ、耳を塞ぎ、受け入れることをしたくない、

ましてや気がつかない私の自己紹介がひどいのも

こうして考えてみるとうなづける。

 

この写真はナチュラル・ノスタルジーなカフェころんの窓。

庭につづくこの窓はいつもは開け放たれていて

玄関から抜ける風が心地よい。

鍵もちょっと壊れていて締めるのにひと苦労するほどゆるい窓だ。

 

そんな自己紹介が上手なカフェだから

人が集まり、人が笑い、人が育つのかもしれない。

 

 

 

 

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不安の正体

高い所が怖かった。

 

幼稚園でクラス全員がジャングルジムに上って撮った写真がある。

ひとりだけ皆と同じ高さまで上れず一段低いところで写っている。

何十年もたった今でも覚えているその時の気持ち。

 

高い所が怖かった。

 

今は高層ビルから見る夜景を美しいと感じ、

吊り橋も渡ることができる。

 

人間は高い所への恐怖感を本能的に備えていると思う。

高い所から落ちた経験があったり、

落ちたらどうなるかということを想像することができる。

 

鳥のような翼もなく、ボイスレコーダーのような頑強な作りの肉体でもない。

高層ビルや吊り橋から落ちたらどうなるかを想像するのは容易い。

「死」から身を守らなければ子孫を繁栄させることもできないのだ。

 

幼い頃は周囲に「死」というものに触れる機会もなく

万全と「死」への恐怖だけが大きく膨らんでいた。

 

大きくなるにつれ、生き物が死ぬのを見たり、葬式に参列したり、

病院へ見舞いに行ったりして「死」が誰にでも訪れるものだという理解が

深まると同時に「高い所」への恐怖も薄れていった。

 

私達の日常は死ばかりではなく、さまざまな不安や恐怖に満ちあふれている。

ただ恐れているばかりでは美しいものに感動する心や

楽しいことに触れる機会を逸してしまう。

 

その不安や恐怖の正体をつきとめてみよう。

 

きっと人生がひときわ輝いてみえてくるはずだ。

 

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3大がっかり

世界には、いや国内にも3大がっかり名所と呼ばれる所があったりする。

観光客が多い割には規模が小さかったり、

有名であるのに期待を裏切る要素が満載の名所である。

 

人間にも期待を裏切る3大言い訳がある。

お金がない。

時間がない。

自信がない。

自分自身でも過去に何度も言ってきた覚えがある。

 

だがこの3つの中で万人に平等に与えられているのに

失ったら二度と返っては来ないものが時間だ。


お金は一文無しからだってどうにかして増やすことができる。

自信もからくりさえ理解して努力すればつけることができる。

でも時間だけは目減りしていくだけのやっかいなシロモノ。

どうやって時間という無限のようで有限な財産を増やしていけばいいのか。

 

イライラして煙草を吸う時間。

凹んだ気分をヤケ酒で紛らわす時間。

あたりを見回すと皆が捨てている無駄な時間がゴロゴロ転がっている。

 

そうだ、ストレスで消費する時間をなくせば時間は増えるのではないだろうか。

すなわちストレスをなくす。

なんだか難解な方程式が解けたような。

 

やらなければいけないことを一番先にやる。

やりたくないけれどやらなければならないこと、

それはいつでも行動にブレーキをかけてしまって時間を消費する最大の原因。

いっそのことやらないか、一番先にやる。

 

すべてを一人でやらない。

一人でやったほうが早く終る、とか人に迷惑かけたくない、とか。

そんな理由で自分を縛り付けてやることを山積みにしているのも時間の浪費。

周りの人を味方につけて多くの力でやりとげる。


なんだか真剣に考えると考え方や行動で

時間という資産を増やすことも可能な気がしてくる。

 

世界3大がっかり名所のような人間にならないように

3大言い訳と向き合ってみるストレスフルな月末の帰り道。


 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

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はぐれ蛍

生きて光りながら飛ぶ蛍を見るようになって何年だろう。

 

都会で生まれ育った私はとしまえんの昆虫館でしか蛍を見たことがなかった。

 

ここ青梅では蛍が生育する絶好の場所があり、

この地に住むようになってから梅雨の時期になると

毎年ナマ蛍を鑑賞している。

 

さらさらと流れる小川の音だけの暗闇の世界。

 

淡い緑色にふわりと光っては消える蛍たち。


外敵を驚かすためとも求愛行動とも言われる明滅は

闇があるからこそ役立つ光のコミュニケーション。

 

闇は苦悩、忍耐、迷い、不安、貧困、病気、差別。

それらがあるからこそ光る希望。

 

明るい場所では必要とされない光だからこそ

闇の意味があるのだ。

 

人間が渡れない小川の向こう岸に光る蛍たちからはぐれて

飛んできた一匹をそっとつかまえて葉の上に乗せてみる。

 

ずいぶん道を間違えてしまった蛍はそれでも淡く淡く光りながら

仲間たちとコミュニケーションをとろうとしているようだ。

 

ちゃんと自分の居場所へ戻るのよ、と手のひらにのせてそっと空に放つと

安心したかのようにほわっと光り闇の中に消えていった蛍は

いつかの私だったのかもしれない。

 

 

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トマトの花が咲いた。

 

こんなに天気がいいのにうつむいている。

写真が撮りにくいし、どんな花なのかもよくわからないほど地味だ。

 

トマトの原産地アンデスでは標高が高く、

受粉を促すハチなどの昆虫がいない。

 

太陽に向かって咲く花が目立って美しいのは、

花粉を運んでくれる昆虫を引き寄せるためでもある。

 

そこで地味なトマトは考えた。

 

風。

 

うつむいて咲けば風が花粉を運んでくれる。

 

地味で目立たず、うつむいて咲く花にも

風は優しい。

 

 

 

 

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バランス

何日か前の夕焼け。

 

天地創造の日はこんなだったのではないだろうか。

 

闇の中から生まれる光。

昼と夜、月と太陽、空と海、そして男と女。

 

お互いが存在することで成り立つ森羅万象。

どちらも過不足なく見事にバランスがとれている。

 

勉強がはかどらない時、仕事がうまくいかない時、恋愛が成就しなかった時、

体内の細胞がすべて下降線をたどるような気がする。

そんな時に脳内で頑張ってくれるのが有名なやる気物質アドレナリン。

人間の脳でさえもバランスがとれる仕組みになっているのだ。

 

恋愛の賞味期限は3年といわれる。

ひとつの恋愛の中で媚薬ホルモンが分泌し続けることはない。

そう、森羅万象バランスがとれることになっているこの世界、

恋に落ちたときのようなドキドキ感が一生続いては困るからだ。

この媚薬ホルモン、分泌するのは長くても3年から4年。

だから3〜4年交際した男女であれば、ホルモンに惑わされることなく

お互いを理性的に見ることができ、結婚しても長続きするというわけだ。

 

でもドキドキ感が消えたならマンネリが待っていると考えるのはちょっと早い。

それなら媚薬ホルモンに代わるわくわくホルモンを互いに分泌すればよい。


行ったことのない場所、いつもとは違うファッション、

二人で新しいことを始めてみる。

 

「星の王子さま」を書いたサン・テグジュペリはこう言っている。

 

愛とは、お互いを見つめ合うことではなく、

ともに同じ方向を見つめることである。



 

 

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肯定文の威力

インパクトのある看板ですね。

 

「この先に行ってはいけません!」とか「立入禁止!」と書かれた看板より

ずっと抑止力があります。

絶対入りたくないです。

不思議です。


ちょっと意味合いが違いますが

駅前の放置自転車にも「ここに置いてはいけません」より

「どれでもご自由にお乗りください」と書いた方が

放置する人がいなくなりますね、きっと。

 

飲食店に入って少し手の込んだ料理を注文したとします。

「すぐにはできません」と言われるより

「少々お時間かかります」と言われた方が同じ時間待つのにも

気持ちの余裕が変わってきます。

 

肯定文ってすごいですね。

 

特に決意を表す時に肯定文は有効です。

 

「失敗しないぞ」と思うより「成功するぞ」「達成しよう」と

思う方が成功する確率が高くなります。

 

「失敗」という言葉に意識が集中してしまうと

あたかも失敗を達成するということにもなりかねません。

 

ネガティブな言葉より、ポジティブな言葉の方が脳に大きな影響を

及ぼすと言われています。

 

どうにもならない自分を救う究極の手段ともいうべきポジティブ思考。

 

あなたの使う言葉は否定文?

それとも肯定文?

 

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シンデレラの落としたガラスの靴も右足だった

右足から靴を履くと一日が幸せになる。

こんな言い伝えがヨーロッパにはあるそうです。

ギリシアの自然哲学者、ピタゴラスも「右足から歩み始めよ」と

言っています。

 

根拠があるのかないのかわかりませんが、

自分が毎日どちらから靴を履いているのか気になりました。

 

左!

これは由々しき事態です。

さっそく明日から右足から靴を履き、右足から玄関を出なければ

と心新たにしました。

 

しかし私はなぜ左足から靴を履くのでしょう?

右利きだから?

右手にバッグを持つから?

そうやって考えてみると靴下を履くのも左、足を洗うのも左足からと

日常の動作の順番が決まっています。

習慣とはおそろしいものです。

みなさんはどうですか?

 

これは何十年もの生活の中で、自分がやりやすい方法を無意識に

身体に刷り込んで覚えさせていったのではないでしょうか。

 

人間は、身体だけでなく心を安定させるためにも

いろいろな方法を使います。

 

イライラしたり、ちょっと不安になった時

音楽を聞いたり、歌ったり、自然の中に出かけたり。

 

でもそんな方法が何も見つからない時。

 

いつも毎日の生活の中でしている動作の順番を変えてみるのはどうでしょう。

 

嫌な気持ちというものは過去何十年もの間、自分の中に刷り込んできた

自信の無さの裏返しなのではないでしょうか。

人に認めてもらえなかったり、

良い子、良い人でいるためにいろいろなことを我慢したり犠牲にしてきたことが

長い時を経て不安やストレスとなって積み上がり、

ざわざわとした嫌な気持ちとなっているような気がします。

 

長い間積み重ねてきたものですから

そう簡単には考え方を変えることができません。

毎日靴を履く順番をすぐには変えられないように。

 

まず、強い意志を持って繰り返し繰り返し日常の動作を変えてみる。

潜在意識で行っていたことを書き換えることの練習です。

 

さぁ、私にも自然に右足から靴を履き、右足から玄関を出る日が

やって来るのでしょうか。

 

 

 

 


 

 

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ウッドデッキパーティ@cafe ころん

cafe ころんは、手相カフェ・テオが月に一度出店するレンタル・カフェ。

 

廃屋をリフォームして作り上げたカフェにはなんと庭があります。

今、その庭の大きなヒノキと柿の木を支えにしたツリーハウスを建築中。

 

費用はクラウドファンディング、労力は有志、

あとは協力してくださるみなさんの心意気で

ツリーハウスは完成に向かって着々と進行中。

https://faavo.jp/tokyonishitama/project/508

 

昨日はツリーハウスのウッドデッキ部分の完成を祝して

パーティが開かれました。

 

売上はもちろんツリーハウス建設資金に。

 

誰もが一度は憧れたことのあるツリーハウス。

ほんのちょっと高いだけなのに、

一瞬にして子どもの頃の自分に戻れるタイムマシン。

 

こども達に木の温もりを!

青梅杉で作る木のテーマパークを駅前に作りたい!

 

そんな思いの人たちが集まって作るツリーハウスは

大きな大きなタイムマシン。

たくさんの大人達のこどもマインドと

たくさんの子ども達の大人へのステップを積んで加速中!

 

毎週日曜日・月曜日はツリーハウスday。

どなたでもツリーハウス作りに参加できます。

 

7月の完成目指して一人でも多くの方に関わっていただければと思います。

もちろん完成後に遊びに来ていただくのも大歓迎です。

 

新しい青梅のランドマークとなる日をお楽しみに。

 





 

 

 

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真水より泥水

青梅には吹上しょうぶ公園という6月には見事な菖蒲で彩られる公園があります。

 

もう咲いているかと散歩がてら訪れてみると、勢い余って咲いてしまった感の

菖蒲が一列、二列・・

まだ少々早かったようです。

 

それでもところ狭しと飛び回ってはさえずるウグイスの声が菖蒲園を囲む山々に

反響して、彼にとっては格好のコンサートホールとなっていました。

 

その入口の沼地に咲き始めていた蓮の花。

 

泥水が泥水であるほど大輪の花を咲かせると言います。

 

人間界と同じじゃありませんか。

 

泥水の中を無呼吸泳法で成長し、立ち上がって水面に顔を出し

なんとも神々しく咲く大輪の花。

 

澄んだ真水では小さな花しか咲かせることができないと知り、

猛然と力が湧いてきました。

 

苦しくても辛くても悲しくてもそれはそれでいいんだ、

それがドロドロとしていればしているほど成長することができ

水面から顔を出したときには満面の笑顔をたたえることができるんだ。

 

蓮の花が住処のお釈迦様はきっとこれを知っていたんですね。

 

咲き始めた蓮の花の中に、ちらりとお釈迦様が見えたような気がして

満開の菖蒲が見られなくても得をした気分になりました。

 

お釈迦様の宗派さえ知らない私にも微笑んでくれた蓮の花。

思わず手を合わせてから帰る散歩道。

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暗い岩屋から抜け出すために

コンビニというには少し抵抗のある酒屋なのか、パン屋なのか、

八百屋なのかわからないひなびた総合食料品店の店先に

店主の趣味なのか大きな水槽が置いてあります。

 

赤や白のヒラヒラと泳ぐ金魚の水槽とは別の水槽にひとりぼっちの生物。

どうやらナマズのよう。

岩と岩の間にじぃっと身をひそめ、

こちらが水槽に顔を近づけてジロジロ見ても微動だにしません。

 

山椒魚・・

井伏鱒二の作品を思い出しました。

 

山椒魚は悲しんだ・・

で始まるこの物語はぼーっとしている間に大きくなりすぎて

岩屋から出られなくなった可哀想な山椒魚のお話です。

 

「何たる失策であることか」

とうめいた山椒魚の後悔、焦り。

 

なぜぼーっとしていたの。

多分そこが安心できる場所だったから。

安心ってなぁに。

与えられた場所で言われた通りのことをして誰かにほめられること。


そう、人間ってほめられるとうれしい。

でもほめられるためにはいい子でいなくちゃいけない。

 

いい子でいるってぼーっとしていることと同じこと。

自分で考えなくてもいい、誰かが言った通りのことさえしていれば

いい子ね、お利口ね、ってほめてもらえる。

 

でもほめてもらう代償に考える力を奪われる。

自由な行動を制御される。

抜け出せなくなって初めてわかる暗くて狭い世界の哀しさ、

自由の尊さ。

高価な代償を支払って得るものは無気力、自信のない自分、

そして絶望。


もっと広い世界に出てごらん。

身を守りたければ隠れていないで武器をもちなさい。

広い川を泳ぐために自由自在に使いこなせる武器を持ち

自分の意志で泳ぐんだよ、

と水槽の中のナマズに心の中で語りかけた昼下がり。

 





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上れるはずの階段

駅までの道。毎朝上る階段。

この一段目の手前まで来ると頂上を見上げて身構える。

 

「うへぇ・・。いつになったら軽快に上れるんだろう。」

「右端を上る?それとも左端?

坂道はジグザグに登るとラクだと聞いたことがあるぞ。」

「途中で一回休む?いやいやそんな時間ないし。」

などなど頭の中は階段征服のことでいっぱい。

 

上り終えると心拍数は上がり、しばし息を整える。

やっぱり今日もダメだった・・の繰り返し。

 

急がば回れの言葉どおり、ちょっと回り道をすればこんな階段上らずに済む。

しかし自虐的性分なのか、負けず嫌いなのか、回り道はしない。

人間苦しい道を選べば能力が開花するはず、

こんな階段上れなくてどうする、これは修行だ、などと

自分に言い聞かせながら、階段を睨みつけ

飽きもせず上ってはハァハァと惨敗に終わっている。

 

ある日。

家を出てから足は勝手に駅に向かっていたが、

夢中で考え事をしていて問題のポイントにさしかかったのも覚えていない。

もちろん頂上を見上げることもなければ、ジグザグ上りもしていない。

気がついたのは階段を上り終えて、モッコウバラが美しく咲く次の曲がり角だった。

息が乱れていない。

なぜ?

 

潜在意識・・?!

若くないんだからこんな階段駆け上がるなんてできるわけないよ。

毎日繰り返し上り続けているのに一度も成功したことがないし。

どうせ私なんか・・・

 

頭の中では威勢のいいことを考えているふりをして

潜在意識ではそんな失敗経験の確認作業をしていただけなんじゃないのか。

 

潜在意識おそるべし。

 

待てよ・・

それじゃあその逆に、上れることを潜在意識に刷り込めばいいんじゃない。

どうやって・・?

自己暗示?無理無理。

だって暗示をかけた時点で顕在意識として存在してしまう。

 

たった一度の成功は無意識の下で達成することができた。

そうだ!無意識だ!

失敗も成功もない。階段も平地もない。気負いも落胆もない。

あるのはただ駅という目的地に向かって進むという行動だけ。

 

すばらしい解答を片手に意気揚々と家を出て明日の朝も階段に臨む。

らくらくと上れるはず・・だ。

 

あぁ、手に負えない潜在意識と格闘の日々。


 

 

 

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FANCL銀座スクエア初出店

HAPPY MOTHER'S DAY!

 

今回は美と健康をテーマにしたFANCL銀座スクエアに出店いたしました。

 

手相カフェ・テオではマルタからのオーガニック食材を多く使っています。

http://maltaste.com

 

今日はマルタからのワインや食材の試飲試食のためのプレートを

担当させていただき、特別イベントとして手相鑑定も!


ワインやプレートを銀座の真ん中とは思えないゆったりとしたテラスで

楽しみながら手相鑑定ができるなんて・・と多くのお客様に

嬉しいご感想をいただきました。

 

青梅で起業を目指すレンタル・カフェで営業している私達にとって

ここ銀座での営業はいつも以上にたくさんの学びの空間となりました。

 

青梅で学んだこと、銀座で感じたこと、毎回さまざまなトライ&エラーを

繰り返しながら大きく成長していきたいと思っています。

 

おかげ様で銀座でも料理、手相鑑定共々ご好評をいただきましたので

次回も出店の運びとなりそうです。

 

出店の折には、ウェブサイトにてお知らせいたしますので

お近くにお住まいの皆様、どうぞお立ち寄りくださいますよう

お願い申し上げます。

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青梅大祭

青梅の街にはこんなポテンシャルがあるんだ!

と思い知らされた5月3日。

 

駅前から青梅街道を埋め尽くす人、人、人・・・

 

山車の競り合い、喧嘩囃子。

血気盛んな男衆のパワーが町中にあふれ、

そのエネルギーに酔いしれる13万人の来場者。

 

いつもは指で数えられるほどの人間しか歩いていない通りに

こんなに人が集まるなんて。

 

おかげさまでお祭り支度をしたテオにも

たくさんのお客様がお越しくださいました。

 

いつかお祭りと同じパワーをこのcafeころんから、手相カフェ・テオから

放って、青梅の町が毎日お祭りのような活気に満ち溢れる日が来ることを

願っています。


 

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パワスポ天国 青梅

青梅にはパワースポットが随所に点在しています。

 

1300年の歴史を誇る名刹塩船観音寺薬王寺は御朱印ガールも多く訪れる

パワースポットの代表格。

 

境内には2万株を超えるつつじがこれから盛りを迎えます。

 

赤、白、ピンクと色とりどりにつつじが咲きほこる5月3日の大祭には

真言宗修験道の柴燈護摩がたかれ、法螺貝を吹きながら山伏達が行列で現れると

真っ赤になった火の中を真言を唱えながら火渡りの荒行が行われます。

一般の方も参加することができるそうです。

 

天気がよければつつじの丘のてっぺんからスカイツリーが見えることもあります。

 

壮大なつつじと火渡り荒行を同時に見れるチャンスは5月3日の一日だけ。

 

本来は厳しい修験を行って初めて得られる力を、その場所を詣でるだけで

身分性別を問わず得られるというパワースポットでの大イベント、一年に一度の大チャンス。

 

どうぞお見逃しなく!

 

 

 



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刹那

里は葉桜となる頃、最後の桜、そして桜の最期を観るために近くの山へ。

 

日頃の運動不足を呪いながら、あえぎあえぎ山を登り見晴台にへたり込むと、

人の気配のまったく無い山はプッと耳が詰まるほどの静寂に包まれていました。

 

緑深い山のところどころに混ざる桜が淡い霞のよう。

 

思考を停止してだらしなくポカンと開けた口から吐き出した魂が

尾根を伝って山の中に吸い込まれてゆきます。

 

日常にまみれて汚れて歪んだ魂が、

春の霞の中をさまよって、桜の刹那の精気を浴びてまた私の身体に戻ってくる頃

静寂な山にひらひらと音が聞こえたような気がしました。

 

桜の最期に間に合った。

 

ほんの数日だけの花霞。

 

人間が100年生きたとしたって宇宙から見れば

桜の花びら一枚散る時間にも値しないほどの刹那。

 

その刹那にできること。

 

桜のように、雨上がりの虹のように

儚く消えてゆくものがその瞬間に放つもの。

 

このちっぽけであさましい人間にもそんな瞬間を迎えることができるでしょうか。

 

 

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ご来店ありがとうございました

4月3日、4日には手相カフェ・テオも3度目の営業日を迎えることができました。


予約のお客様をはじめ、たくさんのお客様にご来店いただいたにもかかわらず、

時間が足りず、お待たせしてしまったり、鑑定できずにお帰りいただくことになったお客様、

本当に申し訳ありませんでした。


誠心誠意の鑑定を心がけたい気持ちが先に立ち、ご来店頂いた多くのお客様にご不便をおかけしてしまい

営業するたびに抱える課題が山積みになっています。


このレンタル・カフェは起業を志す人々のトライアルの場ではありますが

ひとつひとつ課題を解決しながら、皆様に心地よくお過ごしいただけるカフェを目指していきたいと

思っております。


お越しいただいたお客様全員が鑑定を体験いただけますよう

お問い合わせフォームからのご予約をよろしくお願いいたします。

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御岳山に登ったことがありますか

青梅の街を散策しているとよくこの扉に貼ってあるお札をみかけます。


牙を剥いた犬のようですが・・・


これは東京の西の最果て青梅、御岳山頂上にある「武蔵御嶽神社」のお札です。

武蔵御嶽神社に祀られている主祭神は

「櫛眞智命」(くしまちのみこと)といってなんと占いの神様です。


この地で占いを始めたことに運命を感じてしまいます。


毎年1月には非公開で

(行っても見れませんよ。非公開というだけで霊験あらたかに思えてしまいますね)

太占祭(ふとまにさい)が行われます。

太占・・高校の日本史で習ったような記憶が。

それもそのはず、現在では富岡製糸場で名高い群馬県貴前神社と、

この「武蔵御嶽神社」だけに伝わる日本最古の占いだそうです。


男鹿の肩の骨を焼いて作物の豊凶を占うのだとか。

だから今でも青梅の農家や民家には作物の豊作を願って

この御岳山「武蔵御嶽神社」のお札が貼られているということです。



さて、本題の牙を剥いた犬のような絵が描かれたお札に戻ります。


この占いの神様の他にも何体かの神様が祀られていて、

そのひとつ「大口真神」という神様は通称「おいぬさま」と呼ばれていますが

実はオオカミなのです。


まだまだ日本ができたばかりのころのお話でしょうが

日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征のとき、

この御岳山から西北に進もうとしていました。


もうヤマトタケルがここ通ったんだ!

と知っただけでパワースポット感満載であります。


そしてこの深い山奥の邪神が大きな白鹿と化して道をふさぎました。

(神話にありがちな設定ですね)

ヤマトタケルは山蒜(やまびる)で邪神を退治したものの、

その時山谷が鳴り響き、雲霧が発生して道に迷ってしまったそうです。

そこへ忽然と白狼が現れ、ヤマトタケルの軍を西北へ導いたそうです。


この神話、あながち作り話ではないと感じるのは

ここ青梅では今でもちょっと山に分け入ると鹿を見かけることがあるし、

(白くはないです。どちらかというと黒っぽいワイルドな鹿です)

昔はそりゃオオカミだっていたでしょ、というぐらいの深い山なのです。

ちょっと気温差が生じると川だって滝だってたくさんあるから

濃霧だっていとも簡単に発生するのです。


というわけで妙に納得してしまう狼信仰。


その時ヤマトタケルはオオカミに「此の山に留まり、地を守れ」と仰せられたそうな。

以来、「おいぬさま」と崇められ様々な厄除け

道中で難を救う旅行安全の神として信仰を集めています。


「おいぬ」は「老いぬ」にも通じて長寿の神様としても、

また戌は安産・多産の神様として有名で、

昔から妊婦さんは「戌の日」には安産のお参りにいきますね。


休日ともなれば、多くの愛犬家が可愛いワンコを連れて

登山をしています。


さてゴールデンウィークも間近。

東京の西の最果て、御岳山に登ってみるのはいかがでしょうか。




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僕の前に道はない        僕の後ろに道はできる

高校の教科書に載っていたような・・

高村光太郎の作品「道程」の一文です。


去年の2月には大雪が降り、cafeころんのあるここ青梅の駅裏手にある山の上には

3月でもまだこんなに雪が残っていました。

人間はおろか猫や犬の足あとさえ一つもついていません。

一歩一歩踏み出すと、高校時代に出会ったこの詩が頭の中に舞い降りてきました。


手の平には「運命線」と呼ばれる線が手首から中指方向へ立ち上がっています。

流年法というものさしのような方法を使って何歳でどんなことが起こったとか起こるとか

人生のストーリーを読み解いていきます。


まるでこの雪野原を歩く足あとのように手の平にも運命が刻まれていきます。

転ばずに歩けるでしょうか。

転んだ時には誰かが救いの手を差し伸べてくれるでしょうか。

道が二手に分かれた時にはどちらの道を選んだらよいのでしょうか。


迷いながら、決断しながら刻々と物語が描かれていくのです。


ああ

人類の道程は遠い

そしてその大道はない

自然の子どもたちが全身の力で拓いていかねばならないのだ

歩け、歩け

どんなものが出てきても乗り越して歩け

この光り輝く風景の中に踏み込んでゆけ


僕の前に道はない

僕の後ろに道はできる




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色のない景色に少し色がつく瞬間

3月7日(土)2回目のPalm Reading Cafe THEOの営業を終えました。

 

前回に引き続きたくさんのお客様にお越しいただきありがとうございました。

今回はこのホームページからのご予約もいただき、そして開店時間も早めての営業となりました。

 

これはお客様が撮ってくださったTHEO営業中の写真です。

夕暮れ時のあたりがモノトーンになる時。

暖かい灯りがともされると、そこだけが血の通った体内のように色みを帯びる時間です。

 

 

生きていると楽しいことばかりではありません。

もう勘弁してくれと放り出したくなることが山のよう。

自分が楽しいと思う時ってどんな時でしょう。

友達と遊んでいる時、買い物している時、家族とのだんらん・・・

たしかに!

 

自分が楽しく思えることを一生続けられたらいいな。

人のためじゃない、自分のため。

でもそれは人を喜ばせることだったり、楽しませることだったり。

結局自分が本当に楽しいと思えるのは自分の考えたこと、提供したことやものが

「人に喜んでもらえること」なのがおかしい。

 

人間社会ってなんてよくできた仕組みなんだろう。

 

楽しい事を探して頭の中をぐるぐるぐるぐる回っている回遊魚のような考えが

お刺身となってお皿に上がる。

そんな時、目の前のモノトーンの風景が少しだけ暖色を帯びて色を認識できる感覚になります。

 

それをイメージできた私にとって記念の一枚です。

 

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If Winter comes, can Spring be far behind?

冬来たりなば春遠からじ。


寒さの苦手な私は秋風がそよそよとする頃から

冬の気配を感じて、もう翌年の春を待ち遠しく

思いこの言葉を呪文のように唱えます。


日本は四季がはっきりしていますから春夏秋冬は

行儀よく並んでいて順番が狂うことがありません。

春→冬→秋→夏なんてことがないので安心です。


冬さえ来てしまえばこっちのもの、

焦らなくたってその次に並んでいる春は確実に

やってくるのです。


外に出ると春の気配はあちらこちらに。


見てください、この背筋をピンと伸ばして

まっすぐ前を見据えたこの梅の花。

希望に満ちたミライにアンテナを張り、視界を

広げているように見えませんか?


梅の花を観てこんな勝手な解釈をしていると

明日からの行動力につながるような気がしてきます。





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トライすること

起業を目指す人がトライアルで事業を起こせる場という環境を得たことは、私にとって大きなチャンスでした。

 

自分の手相を観てみると「今でしょ。」と言っています。

そのチャンスの時期だけでなく、この企画を考える源となった人物や協力者の線もしっかり現れています。

そこは自称palm reader(手相を読み解く人)、何のためらいもなく、負の要素を感じることなく出店を決意しました。

 

準備の段階でワクワクすることはあっても

不安を感じることは全くありませんでした。

 

なぜ私が不安を感じなかったのか。

 

それは実践を一度も踏んだことのない無知の塊であったという一言につきると思います。

 


「情報は知識ではない。本当の理解は実験に始まり実験に終わる。」

 というアインシュタインの言葉通り、出店までの準備期間中は経営に関する情報や心理に関する情報、本やネットに氾濫する情報を詰め込んだだけのただのハリボテですから不安や恐怖など感じようもないはずです。

 

そしてなんの不安もなくワクワクする気持ちだけで迎えた手相カフェ・テオ初出店の日。

 

サインボードを出したとたんに続々とご来店くださったお客様。

気がつくと日が暮れて、空はオレンジ色に変わり、空以外の物体は影となっていました。

 

無我夢中で過ごした一日はオレンジ色の空と同じ心地良い達成感と疲労感、

そしてその風景は同時に自分を覆い始めた影に気づかせてくれました。


 

無知な愚か者が何かに気づく・・

それは無謀な実体験であったりします。

あぁ、あの本で読んだことはこういうことだったのか。

あの人がアドバイスしてくれたのはそういうことなのか。

初めて情報と行動がマリアージュして理解となる瞬間です。

影に色がつく瞬間です。

その影は日がまた昇れば色のついた実体としてよみがえるのです。

 


目や耳から得た情報を行動を通して理解につなげていくこと、

それは人間にとって永遠の課題であると思うのです。

 

幼い少年がたくさん転んでケガをして学習し、

自分の身長の倍もあろうほどの幅の川を飛び越すことができるまでに成長するように。

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手相カフェ・テオ オープン

Palm Reading Cafe "THEO"

JR青梅駅近くのシェアスペース@cafeころんで初出店しました!(2015.02.07)

 

初日からたくさんのお客さまにお越しいただき

本当にありがとうございました。

 

このシェアスペースはだんだん人通りが寂しくなる青梅の商店街に活気が戻るよう、起業のトライアルの場として「自分のお店を持ちたい」人たちの手で廃屋をリフォームして作り上げたものです。

 

どことなく懐かしく感じるナチュラル・ノスタルジックなカフェは人と人との間隔を少し近づける作用も働くようです。

 

カフェの中で知り合った見ず知らずの人同士が

お茶を飲みながら、ランチを食べながら

自然に会話をしたり、写真を撮ったり。

 

店内のそんな様子を見ながら、

青梅の街だからこそ起こる化学変化を感じました。

 

手相鑑定にも多くのご依頼をいただき、

本当にありがとうございました。

 

次回は2015.3月7日(土)を予定しております。

 

どうぞお気軽にナチュラル・ノスタルジックなカフェ、THEOで起こる化学変化をお楽しみください。

 

※手相鑑定の予約状況確認はこちらを▶予約状況

 予約のお申し込みはこちらから▶お問い合わせ

 

 

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手相って?

手のひらを開いてみてください。

無数の線が刻まれていて世界に一つだけの自分の手相。

この手相から何がわかるのでしょう。

ドキドキしますね。

 

性格、思考のタイプ、健康状態、転職や結婚など人生の転換時期、

その他人生にまつわるいろいろな事がわかります。

これから自分の身に起こる、または既に起きたことも伺い知ることができるので、

当たるとか当たらないという占いの範疇に入っているのでしょう。

 

でも単なる「占い」で終わらないのが手相の奥深いところ。

なぜなら過去のことはともかく、未来に関しては手相を変えることができるのです。

手相を変えることができるですって?!

・・・と疑心暗鬼の方もいらっしゃると思います。

もちろんサインペンで描いたりするわけではありません。

もしあなたが何かに気づき、そして行動を起こせば手相はどんどん変わっていきます。

当たる、当たらないで一喜一憂するよりも、今現在の手相を読み解いて、

自分の力で未来をデザインしていくということが可能なのです。

 

手のひらに描かれていることはもちろん良いことばかりではありません。

将来起こりうるアンラッキーなことだって正直に描かれています。

よく言われるのが「良いことだけ教えてください!」

え?それってもったいないです。

だって悪いことが起こる予測ができるのですから、そのアンラッキーの種から

ラッキーの花を咲かせることだってできるんです。

良いことだけ知らされてもうれしいのはその時だけですからね。

 

だから私は「占い師」と呼ばれたくありません。

恐山のイタコのように霊が憑依して私の口を通して語るわけではありませんし、

私自身に特別な霊能力があるわけでもありません。

英語では「palm reader」(手相を読み解く人)って言います。

ちょっとカッコいいですね。

 

私が手相を読み解いて、手のひらを開いたご自身が納得する最良の方法で

未来をデザインしていく。

 

そんな形でやっていければ最高です。

 

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オーブ

週末の学習

タンポポは2度成長する

タンポポは2度成長する

 

サクラが満開となり

上を仰いで歩く季節となりました

 

ふと足もとを見ると

土も無いような側溝の割れ目から

ぐいっと背を伸ばして

道路まで顔を出したタンポポ

 

タンポポは2度成長する

という言葉を思い出しました

 

タンポポの花の茎は短く

花が咲き終わると萎れて下を向いて

いきます

いったん枯れたかのように見えた茎は、また上に向かって力強く成長し

遠くへ綿毛を飛ばすために

もと咲いた花の位置より

長く高くなってゆくのです

 

なんとも勇気づけられる

自然界のシステムではありませんか

 

歳をとっても次の世代に残すもの

 

それを自ら発信することは

自然界の一員であるあなたにもできるんだよ

 

そんな言葉を道端のタンポポから

かけてもらって

また満開の桜を仰ぎ見ながら

歩き出す駅までの道。

あとちょっと

あと10分。

 

 

日の出時刻の6:50を目指して

ヘッドランプをつけて 

真っ暗な山道をひたすら登ってきた。

 

あとちょっと、あとちょっと。

 

腕時計を見ながら

前に出なくなってきたきた足に

神経を集中して言い聞かせ

筋肉に伝達させる。

 

気温はマイナス8℃だというのに

頭からは湯気を出し

ギリギリで間に合った日の出の瞬間。

 

歩を止めたと同時に

身体中が一気に凍りつき

吹き出していた汗は塩の結晶へと変わる。

 

熟したみかんのような濃いオレンジ色の太陽の光を目をつぶって

じっと全身に浴びる。

 

1℃、また1℃

気温が上がっていく。

山頂に据えられた温度計の

上昇する赤い水銀が

体内をめぐる血液と同化しているようだ。

 

4時間以上かけて

辛くて苦しい山道を登り

この太陽が上がる瞬間の数秒で

下界から持ってきた

腐った精神を吐き出し

この先数ヶ月分のエネルギーを

吸収する。

 

東京の空って

 

広い空に映る変化をフルスクリーンで見れない

 

でもこれが毎日見慣れた空だから

視界が狭くなってるなんて

全然気がつかない

そもそも空ってこんなもんで

夕焼けさえ目に入らない

 

 

どこから車が飛び出してくるか

周囲に変な人はいないか

都会は空なんか見るより

他に注意しなくちゃいけないことが

たくさんあるんだ

目の前の事にばかり気を取られ

先の方は人混みでまったく見えないのが都会

 

 

これって私の人生の縮図

 

 

時には頭上に広がる空を

山に登って

フルスクリーンで見てみよう

 

 

社会にも

人混みにさえも

自分の存在が「不必要」となった時

 

 

どうする

 

そんな質問を自分に投げつけて

町の灯の消えた夜中の帰り道、

ふと立ち止まって呆然とする自分

 

 

 

ずぅっと先まで見渡せる山に登って

果てしない空を見上げてみる

 

今まで見えていなかったものが

見えてくる

見逃していたものの形

知らなかった事の発見

気づかなかった人の心

 

 

所属するコミュニティから切り離された時

誰も信じられなくなった時

人の感情に振り回された時

 

 

誰もいない山に登り

空を見上げてひとりじめしてみる

 

 

自分が本当に大切にしたいものが

見えてくる

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過去を変える方法

時間は過去から未来に流れるもの。

 

飛ぶ鳥が私の頭上を飛んでいけば

「どこへ飛んで行くのだろう」

と思うし、

ベンチに座っている私の目の前に降り立てば

「どこから飛んで来たのだろう」

と思いを巡らせる。

でも鳥は飛んでいるだけだし、私は見ているだけ。

同じ時間に存在しても

鳥にとっての過去未来と

私の過去未来は同じじゃない。

 

動画を逆回転して過去に戻り

そこからリスタートできたら

二度と同じ間違いは起こさない、

あの時ああしていれば・・・

なんてしょっちゅう襲いかかる後悔の念。

 

時間は過去から現在、未来へと流れてゆくもの・・

そりゃそうでしょ。

昭和に生まれ、平成に生きてる。

 

でも待って。

川は上流から下流へと流れる。

 

上流でスタートしたカヤックが

どんどん目の前を通過して

未来である下流へゴールを目指して流れていく。

コースをクリアできなかったり

岩にぶち当たるカヤックだってある。

そして1着、2着・・と順位が決まる。

 

つまり原因は未来にあって

結果は現在に現れているのだから

変えるべきことがあるとしたら過去ではないの。

 

ゴールを設定すれば

スタートしてからのプロセスは変えられる。

つまり、あれよあれよと過去になっていく

現在進行形の私たちの行動は

思いもかけない潜在意識が働いた結果の

自分自身の未来の意思決定によってとらされている

ものなのではないの。

 

窮地に置かれても前を向いている?

障害物があったら諦める?

 

そんなイマイマの現在進行形の私たちの行動は

1着を絶対に勝ち取る!

2着でもいいか・・

3着なら万々歳。

といった意識の奥底に横たわる意思決定で

動いているのではないだろうか。

 

だとしたら過去は変えられる。

時間は逆方向にだって作用する。

 

一番自分が幸福を感じる方向へ時間は流れるんだ。

 

 

いつまでそのままでいる?

星の名前を覚えると

夜空を見上げるのが楽しくなり、

花の名前を覚え得ると

毎年その花の咲く時期が待ち遠しくなります。

でも毎日乗っている中央線と山手線の駅名を覚えても

通勤電車に乗るのはちっとも楽しくなりません。

フシギダネ。

ポケモンを捕まえながら

夕飯の買い物帰りに見える山のシルエット。

 

手相カフェ・テオのある青梅は奥多摩パワースポットへの入り口。

夕日が落ちるのは

ちょっといかり肩の大岳山の左、つづら岩のあたり。

御前山、日出山、御岳山と続いて

日本百名山のひとつ、雲取山。

そして登るのが辛かった川苔山。

縦走が楽しかった惣岳山、岩茸石山、高水山。

 

何万年も前からそこにある山はいつまでそこにあり続ける?

何万年も前から咲き続ける花はいつまで毎年咲き続ける?

 

山の斜面に立って耳を澄ませると

見えてくるもの、聞こえてくるものがあります。

 

落ちる夕日に取って代わって

今日の夜空に昇る月は

どうやら満月の面持ち。

 

自分の無意識に光が当たるような

長い長い光の帯です。

 

 

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結界を張る3つの方法

シーサーは守り神。

 

沖縄ではどこの家にも必ずオス、メス2頭のシーサーが

飾られています。

この2頭のシーサーの間に結界が張られているのです。

 

結界と聞くとおどろおどろしく感じますが

家の鍵を閉めるのも、横断歩道も、駅のホームの白線も

結界と捉えれば自分の身の回りのいたるところに

張られた結界に気づくはず。

 

さて、それでは自分自身の中の結界はどうやって張るのでしょうか。

 

ネガティブな思考や他人からのねたみ、

人間関係のよるストレス。

数え上げればきりのない魔物たちから自分を守る結界を張る方法とは。

 

1)自分の強いところを考える。

トラブルに巻き込まれたり、自信をなくした時には

どうしても弱い自分が顔を出してしまいがち。

そんな時こそ自分の強みを考えるのです。

早起きが得意、人より速く歩ける、人の顔と名前を忘れない・・

何でもいいのです。

自分の弱いところは数え上げたら無数に出てくるでしょうが

強いところはうなって考えなければ出てこないかもしれません。

でもどんな時でも自分の強みを考えられれば結界が張れます。

 

2)他人と比較せず、過去の自分と比較する。

となりの芝は青く見えるもの。

自分以外のたいていの人は幸せに生きているように見えるものです。

そんな周囲の人間を見るのではなく

1ヶ月前、半年前、1年前の自分を見てみましょう。

半年前にできなかった事ができるようになっていませんか。

年始めに掲げた抱負を遂行していますか。

他人ではなく自分と向き合う事を心がけていれば結界が張れます。

 

3)いつも鏡を持ち歩く。

そうは言っても・・と思われる方はまず物理的な結界を張ることで

自信を持つことから始めてみましょう。

鏡は反射の作用があります。

護身のお守りやブレスレットと同じですね。

自分にとって嫌な念を反射してくれると信じて小さな鏡をバッグに。

そんなことから始めてみると不思議なことに

思いもよらぬ効果があるものです。

 

 

さぁこれで貴方の力を邪魔するものはすべてシャットアウト。

いつでもリラックスできる自分だけの空間に守られていることを

実感しながら、なりたい自分に向かって集中力を発揮してみてください。

 

 

 

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ありのままの。

ありのーままのー姿見せるのよ

ありのーままのー自分になるの

社会現象にもなったアナと雪の女王の主題歌。

主人公がすべてから解放されて歌うさまは

小さな子どもから大人までの共感を誘いました。

 

さて、ありのままって?

 

難しいですよね。

だってものごころついてからありのままの自分を出すなんて

とっくにやめてしまっているはず。

今さらありのままって言われても

どんな自分がありのままなのかさえわからないのではないでしょうか。

 

対人関係が苦手、恋愛がうまくいかない、仕事の成果が上がらない、

こういう問題ってすべて自分以外の人間に意識が向かっていませんか。

自分の意見があっても口に出すと誰かから反対されたり、否定されたり。

ひどい時には馬鹿にされたりしてトラウマになっている自分がいたりします。

それが怖くて、わずらわしくて、口に出す前に

「いやいやそんなわけないし」「嫌われたくないし」「怒られるし」と

自分で先に否定をしてしまう。

そんなクセが知らず知らずのうちについてしまって

自分の意見、思考、感情を意識の奥底に沈ませています。

その意識は決して消えてなくなるわけではなく

潜在意識という名前に変わって何層にもなった心の底辺に横たわり続けます。

 

そう、ありのままって潜在意識のことだったんです。

 

この潜在意識をほじくりだして表現すること。

それがあのアナと雪の女王の主人公に皆が共感する理由なんです。

 

このありのままの自分は

過去の出来事、周囲の状況、自分の行動などの記憶、感覚的な印象、感動した思い出、

成功体験、失敗体験・・膨大なデータペースとなって休むことなく稼働しています。

そして夢の中や、とっさの判断、直感的なひらめき・・そんな具合にひょっこり顔を出す時があります。

でもそこにいつでも自由にアクセスして

そのデータを活用しない手はありませんよね。

他人のパソコンのデータをハッキングするわけではなく

自分だけの膨大で貴重なデータなのですから。

 

そこへアクセスする方法は、

根気よく回路を作ることが大切です。

今まで飲み込んでいた意見をその日のうちに自分に対して書き出すなり声に出すなりして表現してみる。

目の前のこと、皿洗いでも雑巾がけでも草むしりでも料理でもなんでも丁寧に無心で取り組んで見る。

腕組みする時、交差する腕を逆にする、靴を履く時の順番を逆にする、駅までの道順を変えてみる、など

いつもと違ったことをしてみる。

それだけじゃない、あなたに合ったいろんな方法があるのです。

人に肯定してもらう前にまず自分が自分を肯定してみる。

その方法に気づいた時、周囲を凍らせるだけではない、温めることだってできる

あなたの特別な能力が開花するのです。

 

応援しています。

ぜひやってみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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罪悪感

「自分が悪いんだ」「すべて悪いのは自分」「私は悪いことをしてしまった」

大きな社会的な罪ではなく、日常生活でそんな感情を感じる時、いや感じさせられる時がありませんか。

 

罪悪感を持たされた人は幸せになってはいけません。

毎日を笑って過ごしてはいけません。

罰を受けるのが当然なので、人から攻撃されても防御も反論もしてはいけません。

 

そんな感情を植え付けられた人間は「何かしてあげなければ」という感情を持たされます。

はい、そこで主人と奴隷の関係が成立します。

 

奴隷は自分を肯定してはいけません。

主人に対していつも恐れを抱いていなければなりません。

 

ある時は咳払いひとつで、またある時は陰湿な目つきで、ドアの開け閉めで

主人はいとも簡単に奴隷の恐怖を煽ります。

 

そんな奴隷が持たされた罪悪感を「無罪」にするためには・・

 

あなたがあなたでいること

 

そう、いつもどおりの愛情深いあなたでいること。

罪の意識を取り込まないこと。

あなたが苦しんでいたら周囲の人も幸せになれないことを理解すること。

 

「あなたのために」

ではありません。

「あなたがあなたでいるために」

です。  

 

「あの人のために何かをしてあげなければ」という感情はあなたがフィルターをかけてみているストーリー。

フィルターを外してみてください。

その物語は、主人公のあなたが「私が私であるためにこうしよう」というストーリーに生まれ変わります。

 

あなたの人生という小説の作者は

あなた自身なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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鏡の中の自分

手相カフェ・テオは2016年2月に一周年を迎えました。

写真はその時記念品としてお客様にお渡ししたコンパクト・ミラーです。

なぜ鏡を選んだのか・・

今日はそれについてお話ししたいと思います。

 

鑑定をしていてよく質問されることのひとつに

「あんな思いやりのない夫を変えることができるでしょうか」

「口うるさい母親を変えることができるでしょうか」

「何をしても自信のなさそうな子どもを変えることができるでしょうか」

などの「変えることができるでしょうか」シリーズがあります。

私は「できません」と答えます。

でも変えることができるたったひとつの方法を

この鏡の中に封じ込めてお渡ししました。

 

こんなふうに書くと「インチキ占い師」のレッテルを貼られてしまいそうですが

鏡はいたって普通の鏡です。お金もいただいてはおりません。

 

パカンと開けるとまずあなたが映ります。

左右の眉毛はきちんと対称に描けているでしょうか。

口のまわりに食べた物がついていたりはしませんか。

鏡をのぞきこんで確認します。

あら、たいへん!眉毛描いてくるの忘れちゃった!

とあわてて直そうとするのは鏡の中のあなたではなく

鏡をのぞきこんでいるあなたです。

鏡の中のあなたに眉毛を描いても

リアルなあなたは何も変わらないのです。

もうおわかりですね。

 

人は自分の中のコンプレックスや不快に思うこと、自信の無さを

無意識のうちに他人の中に見いだしています。

わかりやすく言うと「自分を棚に上げて」です。

ご主人に思いやりがないのも、親が心配性なのも、子どもがおどおどするのも

すべて自分の中にある、自分を許せない要素です。

それを自分が意識の奥のほうにしまい込んでいることを

まるで気がつかないふり、いいえ気がついていないのです。

 

眉を描き忘れるあわてんぼうだけど、ナチュラルな眉毛もなかなかいいかも!

夢中になってかぶりついたおにぎり、おいしかった!

と自分自身のその時の感情を大切にして

もう一度鏡をのぞき直してみてください。

自分自身を好きになって何度も鏡を見て

自分自身と対話をしてみてください。

 

人を変えようと思ったら

まず自分自身が笑顔とポジティブな思考を持つことです。

自分自身を好きになることです。

あなたが人に対して不快に思っていることは

まるで自分には無いようなふりをして

抑え込んでいる一番嫌いなネガティブな自分なのです。

 

 

リアルなあなたが変わらなければ、鏡の向こうのあなたも変わりません。

もちろん人も変わりません。

 

鏡はあなたを取り巻く人生そのものなのです。

 

 

 

 

 

 

 

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TGIF

Thank God, It's Friday!

今日は金曜日。

長かった一週間も終わり、やっと迎えた週末。

飲み会でしょうか、それともネットサーフィン?

 

4月からは新しい年度が始まります。

新入学生、新社会人もまた新しい人間関係を築いてゆくことでしょう。

 

さて新しい環境の中で、目的意識をもって始める生活。

人間関係でストレスを抱えたくはありません。

そのためには何を心がけたらいいのでしょう。

 

私はまず第一に

自分のものさしを持つことをお勧めします。

 

「人からどう思われているか」ではなく「自分はどうしたいのか」

「こんなことを言ったら嫌われないか」ではなく「どうしたらきちんと伝わるか」

人のものさしで自分を測ることはできません。

この1年のスタートでmyものさしを持つか持たないかの違いは大きいです。

 

大人になったあなたは人の価値観で生きていくのではありません。

自分の中で自分自身の価値観を築き、

人からほめられることを期待する自分を卒業してみてください。

 

きっと視界がひらけてくるはずです。

 

 

 

 

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やだな・・と思ったら

今や国民の名刺代わりとでも言うべきfacebook。

リア充が詰まったこのSNSに辟易している人が多いようです。

facebookを開くたびに

投稿者のリア充と自分の生活の格差を感じ

襲い来る自己憐憫の感情と闘う羽目になる人も。

 

facebookを通じて繋がる友達は

毎日会う友達でもなければ、親友でもない人達がたくさんいます。

そのコミュニティの中で受ける快、不快があるとしたら・・

 

もちろんリアルな生活の中でも

「この人やだな」と感じる人と

「この人といると時間忘れるわ」とか「元気になれる」と感じさせてくれる人がいますよね。

 

今日お伝えしたいのは、

自分にとって不快な関係は疎遠にしていきましょうということ。

なぜならその不快の渦に巻き込まれると

どんどん自分が価値のない人間だと勘違いさせられてしまうからです。

 

不快な人というのは

自分自身に対しての評価の低い人。

一見自信満々でプライドだけが高く

他人を批判したり、差し置いたりすることで

自分の価値を高めようとします。

 

周囲を見回してみてください。

何かにつけ文句を言っている人はいませんか。

自分自身の考えや価値観ではなく

ステータスや持ち物、家族を自慢ばかりする人はいませんか。

そんな人がいたらそっと距離をとって

決して巻き込まれないことが大切です。

 

写真は登山口に張られた結界です。

不快なものが近づけない目に見えない結界を張るたった一つの方法は

自分自身への評価を高めることです。

 

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残念な手相

手相鑑定をしていると

「娘はこの先大丈夫ですか」「息子は将来幸福になれますか」

そんな質問をよく受けます。

はい、わかりません笑。

 

詳しく言うと、

わからないわけではないけれど、ご自身の手相から子どもの将来を

わかろうと思った時点でアウトです。

娘さんや息子さんの人生はあなたの人生ではないからです。

もっと詳しく言うと、そんな心配が子どもさんを不幸にしてしまうということです。

これは「心配のタネ」というタイトルのブログを読むと

ご理解いただけると思っています。

 

この心配のタネの被害に遭われたお子さん達が

そのまま大人になってどれほどの苦しみを抱えていることか。

 

お子さんが幸せになるためには、お子さん自身のエネルギーが必要です。

おぎゃあと産まれたその時には生きるエネルギーに満ち溢れているのです。

そのエネルギーを吸い取るのが親の心配です。(心配だけではありませんが)

お母様がいくら心配しても幸せにはなれません。

それどころか心配すればするほど幸せが離れて行くとわかったら・・

そう、お母様自身の問題である心配のタネから育った苗を一日も早く

摘み取ることがお子さんの幸せにつながってゆきます。

 

お母様がしなければいけないことは心配ではなく

あの無垢なエネルギーに包まれた産声を聞いた瞬間に思った

「生まれてきてくれてありがとう」

という思いを持ち続けることだと思います。

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人生を動かすとき

公園の丘に立つ金木犀の大木の向こうに夕陽が沈みます。

 

臆病なマメタが真夜中に腹痛で苦しむジサマのために

勇気を出して夜道を医者を呼びに駆ける。

勇気を出したマメタが見たものは

今まで見たことのなかった

暗闇に光が灯るモチモチの木だった

という物語を思い出しました。

 

私は月に一度だけ営業するカフェをやっています。

まだレンタルスペースを借りてのトライアルです。

毎回毎回が試行錯誤の連続で

失敗ばかりの素人カフェです。

 

このカフェを出店する前は

ぼんやりと「自分が生涯関われる何かをやってみたい、な〜。」と

空想していただけで、このもやもやした形にならない考えは

いつも通り意識の底深くに沈んでいく予定でした。

 

そんなある日、

たまたま、本当にたまたまSNSで目にした

「古民家を自分たちの手で改築してレンタルスペースを作ろう」の投稿。

今思い起こせば、

自分のどこにそんな行動力があったのだろうと

不思議になるくらいの素早さで参加に名乗りをあげていました。

年代も違う、まったく見ず知らずの集団の中にたった一人で飛び込むなんて

今までの私には考えられないことです。

 

 

人は誰しもが何かの能力を持っています。

でも、自分を信じることができないと

その能力を見つけることも、気づくこともできずに

悶々とするのです。

「何をしたいのかわからない」

「進むべき道がみつからない」

それは自分を信じていないから。

 

自分を信じるというのは

リスクを取る勇気を持つことではないでしょうか。

 

敷居をまたげば七人の敵ということわざ通り世の中はリスクだらけ。

でもそのリスクをひとつひとつ検証してみれば、すべて自分の心の中に潜んでいる自分否定な思考ばかりだったりします。

 

上司に叱られたら・・

友達に裏切られたら・・

お客さんが来なかったら・・

どんどん湧き出る不安と失敗の仮説を立てると、もうそこで足がすくんでしまいます。

人が何かにトライする時、自分が傷つかないように最悪の状況を思い描くのは防衛本能。

当然の事です。

でもそれと同時に

こんなことをしたらこんなに喜んでくれる人がいるはず

という仮説も立てられますよね。

そのプラスの仮説で勇気は沸き起こるのです。

 

もちろんリスクを取ることを選択したわけですから

心折れたり、ズタボロになることだってあるでしょう。

でも、「勇気を出した」という事実は

何物にも代え難い自信となって自分の真ん中に根付きます。

心が折れたら次はどうしたら心が折れないかを考え、実行すればいいのです。

 

人生は選択、決断、行動のくり返し。

進むか、とどまるか。

 

進むことを選択したその時から。

 

なりたい自分への人生は動き出すのです。

 

 

 

 

 

 

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自らを輝かせるものは他人の中にある

自然は緻密で壮大なクリエイターだ。

 

吐く息も白い寒い朝、

草の先端にダイヤモンドに劣らぬ輝きを放つ氷のしずく。

そのきらびやかなジュエリーを身にまとった草は

朝日を細胞内に取り込んで

氷点下の寒さの中でも青々と若返ったかのようだ。

 

自らを輝かせるもの。

それは自分の内包する能力であることはもちろん、

その能力に外的な作用が生じてこそ初めて輝きを放つ。

 

たとえば・・・

オリンピック選手。

同じ競技で闘う相手がいるからこそ

自らの能力を発揮し、切磋琢磨した結果、人に感動を与え輝くことができる。

医者はどうだ。

病気に苦しむ人がいるからこそ

知識を高め、技術を磨き、尊い命を救うのだ。

そんな特殊な能力がなくったって

環境保護、教育、国際交流、夫婦になること、子どもを産むこと、天寿をまっとうすること・・・

そう考えるとすべての人間の存在がダイヤの原石と考えられる。

 

人生で意味のあることは

社会が「価値のあるもの」と捉えていることに貢献することだ。

その「価値のあるもの」は私達全員が包含しているものであり

お互いが与え、受け取れるものなのである。

 

道端の草に降りたからこそ

凍てつく朝に光り輝けた夜露。

その草もまた、夜露のダイヤを身にまとい

自らを輝かせているように。

 

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実体のない影

すっかり腰が曲がってはいるが、しっかりとした足取りで歩く。

シルバーカーの助けを借りてはいるが、目的をもった足取りだ。

 

老女の長い長い人生の足跡と同時に

これからの自分の人生に思いをめぐらせる。

歳を重ねれば重ねるほど

影のように襲い来るであろう喪失の哀しみ。

家族を失うかもしれない、夢や希望を失うかもしれない、

信じていた友人に裏切られたり、

お金や仕事、健康や身体的機能も徐々に失われていく日々を呪うかもしれない。

受け入れがたいことに

怒りに身を震わせることも、泣き叫ぶことも、

すべてをシャットアウトすることもあるだろう。

 

それでも日は昇り、一日が始まる。

シルバーカーに買い物袋をぶらさげ、

生きてゆくために老女は歩く。

 

すべてを受け入れた時

実体のない影に怯えることもなくなる。

 

これから何を失っても後悔のないように

しっかりと自分の影を落としながら

今を生きてゆくために歩く。

 

 

 

 

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バランス

今日も一日が終わり陽が沈む。

金色の夕陽が空を幾重にも彩る。

 

地上では寒さの中でも青く茂る葉が色を失い

山々がシルエットになり

夕陽をフレーミングしてゆく。

 

明と暗、陰と陽、光と闇のバランスの中に身を置くと

迫り来る闇への恐怖と

やがて明ける光への安堵が折り重なる。

 

闇があってこその光、女があってこその男、裏があってこその表。

誕生の喜びには死への悲しみがつきまとう。

どちらも決して欠けることのない森羅万象の法則。

完全無欠のバランスだ。

 

 

一瞬も止まることなく

刻々と変化する自然界の抜群のバランスを保つ秩序に気づく時、

絶望の後には必ず希望がやってくることにも気づくのだ。

 

夜が長ければ長いほど、闇が深ければ深いほど

希望の光は眩しく明るい。

 

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ダルマさんとにらめっこ

燃え盛る炎の中に放り込まれるダルマたち。

 

そう、昨年頑張って両目が入ったダルマさん達が

目出度く御役御免で供養されているのだ。

 

炎で顔が熱くなるのも、目が乾いて閉じれなくなるのも忘れて

じっと見入る。

 

めらめらと燃えてゆくダルマとにらめっこしながら

自分の腹わたから取り出してこの火の中に放り込みたいものが

あるのに気がついた。

 

「思い込み」

 

いちばん厄介で消し去りたい私の中の負の産物だ。

 

過去の記憶の中で刷り込まれた

削除したはずの不要なデータに付随して湧き上がってくる。

 

カッとなって思わず反論したい時、

思いもよらない言葉に凹む時、

コミュニケーションがうまくとれない時、

自分がみじめに思える時。

そんな時に条件反射で頭をよぎる

自尊心の裏返し、防衛本能のすり替え・・

 

こうでなくては、

こうあるはずだ、

私はわたし、

しょせんこんなもの、

どうせそうだろう、

私さえ我慢すれば・・

 

支離滅裂で本当の自分はどこへやら。

 

ダルマさんとにらめっこをしながら考える。

 

そうか、なるほどね、そういう考えもあるんだね、

ちょっと待てよ、私は何のルールに縛られてる?

私の常識はあの人にとっても常識か?

 

こんな問いかけを自分にしながら

去年の小さなダルマを

炎めがけて思いっきり投げこんだ。

 

今年は一回り大きなダルマを買って帰ろう。

 

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自分が自分であるために

南に面した山肌にはすっかり雪がない。

降り積もったまま、

まったく溶ける気配のない北面に立つ。

 

人工的な音が何もしない山の中では

吹く風が木から木を伝わって

冷気とともにゴォーっという音が回っている。

 

一本の木になってみる。

 

抗うでもなく、倒れるでもなく

吹く風に共鳴できるだろうか。

 

寒いと弱音を吐くでもなく

南面の木を妬むでもなく

不動で立ち続けられるだろうか。

 

枝の中に冬ごもりのために巣食った虫をついばみに来る鳥を

追い払うこともせず、

春の芽吹きを信じることができるだろうか。

 

音を感じ、風を感じ、

手袋もしていない手のひらの感覚がなくなる頃

ひとつの答えが降りてくる。

 

この場所を選んで根を張り、枝を広げ成長してきたのだ。

 

春は必ずやって来る。

 

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本当の自分に出会う旅

お堂にひと足踏み入れて息をのむ。

 

秋田男鹿半島の真山の麓にある真山神社。

なまはげで有名なこの神社に

一万三千体の木彫小仏が壁一面に納められているお堂がある。

 

手相をじっと見ていると

手のひらが語るストーリーが浮き上がってくるように

一万三千体の仏像が私に語りかけてくるようだ。

 

一人ひとりの手のひらが違うように

木彫の仏像もまた一体一体違う表情を持っている。

 

ひとつひとつ表情を見ていくと

ここにも私、あそこにも私がいる。

 

喜びも悲しみも妬みも怒りも

一体ずつの感情が丁寧に供養されているのだ。

 

まさに一万三千人の自分に出会う旅。

 

あまりにも有名ななまはげの影に隠れて

人っ子ひとりいない忘れ去られたようなお堂で

こんな出会いがあるとは。

 

自分の中の幾通りもの自分。

昔の自分、今の自分、未来の自分。

怒っている自分、泣いている自分、笑っている自分。

旧知の自分、見ず知らずの自分。

その一人ひとりに挨拶をするように

三方の壁に納められた仏像と会話をし

なぜか深い安堵を覚えて下る山道。

 

 

 

 

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心配のタネ

どこから飛んで来たの。

心配のタネ。

一つの袋の中に無数のタネが入っていて

心の中ではじけると確実に根付いて

気が付くと小さな心の中はあふれんばかりの心配の芽でいっぱい。

 

「ハンカチは持ったの?」

「雨が降るから傘を持っていきなさい」

「宿題はやったの?」

母親として当然と思えて実は呪いの言葉たち。

お母さんは心配してるのよ、あなたのことを。

そんな呪文を唱えながら

小さな心に無数の心配のタネを植え付ける母親たち。

 

「ほら、ハンカチを持っていなかったから困ったでしょ。」

「ほら、雨が降ったから傘が役に立ったでしょ。」

「ほら・・・」

 

子ども達から「自分で考える」という大事な作業を奪って

自分の心配を我が子になすりつけ、安堵する。

心配のタネを植え付けられた子ども達は

「あぁ、お母さんの言うことを聞かなかったから」

「やっぱりお母さんの言うとおりになった」

と不安の答え合わせをして心配のタネを大事に育てて

大人になってゆきます。

 

今年の目標は何ですか?

 

目標を達成するためには意思の力が必要です。

意思は筋肉と同じで

鍛えなければ役に立ちません。

運動不足でいきなりフルマラソンは走れません。

まずはストレッチから。

2km、5kmと距離を伸ばして行きましょう。

意思を鍛えるのも同じ。

一年の目標の前に明日の目標、一ヶ月の目標を立てましょう。

未来の事を心配する前に目の前の事に集中しましょう。

 

心配のタネを植えつけられた人は

自分の中で立派に開花した心配の花のタネを

よかれと思って他の人にも植え付けます。

こうして心配のタネはどこまでも遠くへ飛んでゆきます。

 

どこからでも飛んで来る心配のタネが

自分の心に根付かないように

意思の力を鍛えましょう。

 

さぁ、今年の目標は?

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カオスの中の秩序

ご存知、渋谷のスクランブル交差点。

外国人観光客も驚く観光名所となっている。

「It's crazy!」と叫びながら写真や動画を撮る外国人。


この一見カオスのような交差点。

事故も起こらず、転ぶ人も見かけない。

源平の合戦のように押し寄せる歩行者同士は整然とした秩序をもって

障害物を避け、ぶつかることもなく交差点を縦横無尽に渡り切る。


生まれて初めて覚えた交通標記、青は進め、赤は止まれ。

黄色の次は赤になるから少し急いで、周囲に注意して。

そうそう、危険を予測することも大事なこと。


避難訓練では「押さない、駆けない、しゃべらない」なんて教わったっけ。

幼稚園ではおもちゃを譲り合うことも覚えた。

小学校では思いやりを、コミュニケーションを。

中学校では部活動を通して最後までやり切ることの大切さ、チームワークを。

高校では目的を持つことを。


 

毎日の生活も同じ。

めまぐるしい日常で起こる出来事に

個人個人の知識や考え、行動がちゃんと体系付けられていて

たいていの事はこなしてゆける。


カオスのようでカオスじゃない。

センター街へ、駅へ、道玄坂へ。

知力と行動力を総動員して目的地へ。


目的さえしっかり持っていれば

幼い頃に学んだことを駆使して

道は開ける。


学校で学んだことは学問だけじゃない。

生きることを学んだのだということを思い出したスクランブル交差点。

 

 

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親が完璧だって誰が決めた?

cafeころんの庭にあるツリーハウス。


まっすぐとか平行とか均等とか、

左右対称とか垂直とか整列などといった言葉が

まったく通用しない。

同じ長さの木材は2本とないし、角度もバラバラ。

それでも上に登ってみると抜群の安定感。

なんて不思議!


人間もそうだ。

完璧なんてありえないシロモノを追求している人はいつも不安を感じている。

他人のものさしを借りて寸法を測っているのだから不安定きわまりない。


誰しも小さな頃は親の言うことが絶対で

親こそが完璧なものだと大きな勘違いをして育つものである。

でもある日、気がつく。

「親だって人間じゃん。」

その気づきのチャンスを失って大きな勘違いをしたまま大人になると

完璧主義人間の誕生である。


完璧なようでいていとも簡単に壊れるハリボテだ。


直角を保ちたかったら自分は70度を負担しよう。

あとの20度は誰かにおまかせだ。

自分が完璧でないことを認めることができた時、

相手の欠点をカバーする人間になれるだろう。


cafeころんの象が乗っても壊れそうにないツリーハウスは

直線でも直角でもない大木の持つ個性に寄り添って

びくともしない安定感を保っている。

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みてみて!

熊目撃情報!

こわごわとハイキングコースを歩いてみる。

無計画の極みで臨んだツケが回り、雨は降ってくるし、日は暮れてくるし。

本当に熊と出会いそうな状況になってきたので行程を半ばであきらめて脇道へそれ、JRの駅へ。

 

みてみて!

無人駅の改札。

遠くから高い切符を買って来た人にはなんとも「甲斐のない」改札である。

直立した見なれぬ改札機。その後ろにはひっそりと切符回収箱と書かれた箱が。

誰もいないし、誰も切符を受け取ってくれないのははなはだがっかりなものだ。

 

人は多くの場合、みてみて!という欲求を持っているものである。

頑張った自分を誰かに認めてもらうことで

目標達成を達成した時の大きな自信となってゆく。

成長の根幹となっているといっても過言ではないくらいだ。

 

しかしそのみてみて!の裏側にある真理にお気づきだろうか。

「誰か」に認めてもらう=他人からの評価

大幅なポテンシャルを見込める発育段階の幼少期においてはそれもいい。

しかし成人して、社会人となって目標を持った時、

「誰かの評価」に振り回されているとたいていの場合、自信の喪失につながってゆく。


「自分の評価」のものさしの目盛りは人からの「偉かったね、がんばったね」ではなく

「ありがとう」と感謝された時にマックスになるのではないだろうか。


人の役に立つこと。

困っている人を助ける、社会の発展に貢献する、悲しんでいる人の心の支えとなる

何でもいい。

自分の行動が、発見が、発明が、アイデアが、文章が、歌が、料理が、そして何より

自分の存在が誰かの役に立って「ありがとう」のコトバをもらえたら

「誰かの評価」が「自分の評価」に変わり

人は初めて自分自身の人生を行きている実感を持てるのではないか。




この無人駅の無言の切符回収箱も切符を入れたら「ありがとう」のひとことが

流れたらいいのにね、と思いながら小さな秋の遠足を終了した。





 

 

 

 

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逃げ道を断とう

「もうトシだから」「時代が変わったから」「昨日寝てないから」「お金がないから」

何かをやろうとする時、必ず頭をもたげてくるのがこの言い訳。


失敗しても「自分」のせいではなくなる魔法のコトバ。

成功したら「こんなハンデがあったのに」と自己評価も倍増。

こんな万能な言い訳だから誰もが使いたくなってしまうのもうなずける。


一方でこの魔法のコトバが常習化すると

問題に立ち向かう意欲が薄れてきて現実逃避ばかりするようになる。

自分の本当の能力や意欲を向上させることなく

真の達成感や満足感を得られないまま、

不安を山積みさせるだけの忌まわしの呪文となる。


何かに立ち向かう時にこのコトバが口から出たらご用心。

安心できるのはその時だけ。

プライドが保てるのはその時だけ。

自分を守れたように思えるのはその時だけ。


この呪文を唱えている限り

不安を根こそぎ断つことにはつながらない。

自分の背後に山のような不安を積み上げる作業をコツコツとしているだけなのだ。


自分への言い訳を用意しないことが

真の自分と向き合って成長できる最良の方法であることを覚えておこう。

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意味のある偶然

やっと出会えた。

以前から気になっていたビール、「東京ブルース」。

連休の最終日、福生の石川酒造まで出向いて、

いよいよ名前負けしていないか確認する時がやってきた。


敷地内のレストランや蕎麦処はすでに満員御礼。

かまわない、このビールに会うためだけにやってきたんだから。


売店で購入し、テーブルや椅子が置かれている木陰のガーデンへ。


シュポン。

オレンジの甘い香り。

一口飲むとその香りとは裏腹なドシンとした重み。

喉にフェイドアウトしていくグレープフルーツのような苦味。

「東京ブルース」の名にふさわしい。


あぁ、わざわざ醸造元まで来ただけのことはある。


なぜか誰も来ない静かな木陰のガーデンで味わう「東京ブルース」は

まるで今まで歩いて来た人生を反芻するかのような五感で味わえるビールだった。







さて、精神を思い切り開放し、満足して出口に向かうと「個展」の文字が目に飛び込んできた。


酒瓶が転がっている絵画のフライヤー。

あぁ、きっと絵を観たらもっと精神が喜ぶに違いない。


階段を上るとwoodyな建物はさすが酒造の蔵らしい。


ひと目で福生とわかる大ぶりの絵。

母子をテーマにした絵、裸婦、童話の挿絵、静物画、デッサン画・・

順々に堪能していると

製作者である画家の大山瞳さんとお話することができた。


飲み物やお菓子まで用意されていて

蔵に流れる音楽、絵画、照明、かすかな絵の具の匂い・・

五感をフル稼働させながらここでもまた精神が開放されていくのを感じることができた。


この個展を訪れたのはきっと「意味のある偶然」。

さてさて、大山瞳さんの個展ではお土産に素敵な作品のポストカードまでいただいて、

駅までの大きな幹線道路16号沿いを歩き始める。

ダンプがバンバン走るこの道には商店と思しきものはない。

と思ったらこれが摩訶不思議なお店が店先の商品に隠れるように1軒だけたたずんでいた。


上を見上げると「HAPPY COMPANY」とかかれている。

普通だったらきっちりと閉められた戸を開ける勇気が起きないような店構えだ。


それでも何か妖気のような、いや陽気だろうか、

なにかの気を感じておそるおそるドアを開ける。


意外にも中から店主の「いらっしゃいませ」ではなく「こんにちは、こんにちは!」の

明るい声に出迎えられる。


小菅村の村営住宅18,000円の物件に住むというスキンヘッドのこのご主人、

いつもは夜7時に店を開けるというのにこの日はたまたま5時に店を開けていた。


古着とアクセサリー、雑貨を扱うこのお店、なんと夜7時から夜中の3時までの営業という。

「なぜ夜?」の問いかけに「夜眠れない人のために」の答え。

あぁ、やっぱり。

私の五感は、いや六感は正しく作動していた。


通りすがりの冷やかし客である私に

旧知の知人であるかのようによもやま話をしてくれたこのご主人のお店のドアを開けたのも

私にとって「意味のある偶然」。



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prepared mind

ノーベル生理学・医学賞を日本人が受賞。

ニュースで受賞者の大村氏がインタビューで「prepared mind」という言葉を口にしていた。


「あ!それ!」

私自身がいつも心に留めていること。


「偶然は構えのある心にしか恵まれない」


偶然をどうやってモノにするか。

意味のある偶然は「prepared mind」を持った人のみに訪れる。

つまり、チャンスってやつはゴロゴロしていて、どこにでもあるのに

アンテナを張っていない人は気づかずにスルーしてしまい、

常にアンテナを高くもって受信状態を良好にしている人はそのチャンスを逃さない、

ということである。


博士はお財布の中にいつも土壌採取用のビニール袋を携帯していて

どこに行っても土壌を採取するのを忘れなかったという。


博士の高く張り巡らしたアンテナが一握りの土の中の微生物から

3億人もの人間を救うチャンスをもたらしたのだ。


私が手相に興味を持ったのは

長い通勤時間を読書して過ごすため、

ブックオフでふと手にとった100円の手相書がきっかけである。


あの時立ち寄ったブックオフで

100円で手に入れた偶然から伸ばしたアンテナは

いろいろなものを受信した。


あの瞬間、今はないあのブックオフ、そしてあの100円。

それらは私にとって意味のある偶然の連鎖だったんだと

実感している。

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岐路に立つ

どちらの道に進もうか。

誰しも人生の岐路に立つ時が来る。


迷い、不安が邪魔をして

進む道が見えなくなる。


右?左?まっすぐ?

それとも今来た道を引き返す?


迷いや不安は問題解決の第一歩。


気の済むまで悩んでみるといい。


他人の評価や基準や思惑を寄せ付けず

苦しいと思うほど悩んでみるといい。


自分の弱みを思う存分吐き出してみるといい。


からっぽになった自分をちょっと離れて見てみると

弱みだけじゃない自分が見えてくる。


進む道が見えてくる。



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一人だけの時間

現代社会は孤独を避けるためにいろいろなものが用意されている。


一人暮らしでも家に帰れば、インターネット、テレビ、メール・・

気ままに誰かと繋がるツールがあって時間を紛らわせてくれる。


それは決して悪いことではないけれど

自分と向き合う時間からの逃避とも言える。


忙しい、忙しいと動きまわることばかりに終始していると

客観的に物事をみることができなくなってくる。


まるでハツカネズミが狂ったように回し車の中を走るがごとく

目の前の作業しかできずに、周囲が見えなくなる。


トンネルの入り口から遠くの出口の光をとらえ

最初の一歩を確実に踏み出す。


そして長い暗闇の中で自分と向き合いながら孤独と親しむ。


それを十分に楽しむことができる人こそが

このカオスのような現代社会の中でも

自分を見失わず、価値のある日常を構築していけるのだ。


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手を合わせるとき

お寺や神社へのお参り。

あなたは何を思いながら手を合わせますか?

「試験に合格しますように」
「家族全員が健康でありますように」
ほとんどが七夕の短冊に書くお願いごとのたぐいではないでしょうか。
困った時の神頼み、誰でも経験があります。

でも今度お参りするときに
ひとつお勧めしたい手の合わせ方があります。
それは他力本願のお願いごとではなく、ただ感謝するだけ。

手を合わせた時に
「試験に合格させていただきありがとうございます」
「家族が皆健康でありがとう」
なんでもいいのです。
そうするとほら、こんないいこともあった、あんな嬉しいこともあったと幸せの再確認ができます。 
できないことや未来の不安を確認する思いを抱くより、ずっと気持ちが前向きになります。
幸せをつかむことができたのは貴方自身の努力のたまものです。
それを神様に感謝するという行為で確認するというわけです。
悪いことが起こっても良いことが起こっても
それは神様のせいでもおかげでもなく貴方の行動の成果なのです。

さぁ、今度はお寺や神社の賽銭箱の前、大きな鈴をガランガラン鳴らして
堂々とご自身の努力の成果を数え上げ、神様に報告してみてください。


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ラッキーのタイミング

「あの人どうしてるかなぁ」なんて思った時に、

偶然その人から電話がかかってきたり、メールが入ったことはありませんか。

 

「新しい仕事を始めようかなぁ」なんて考えていた時に、

偶然ばったり会った友人から仕事の話が舞い込んだ、なんてことは?

 

偶然とは思えないほどタイミングよく幸運が舞い込む時は

きっと貴方の強い意識が高まっている時です。

 

最初は小さなことから始まり、

それに気がついて自分の意識を高めていくと

もっとそれがひんぱんに起こるようになります。

 

その小さな偶然とも言える「よいタイミング」に

敏感に気がつくことが大きな必然につながってゆくのです。

 

意識のアンテナをピンと張って歩いてみてください。

タイミングは向こうから貴方を探してやって来ます。

 

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最高の自己紹介

私は人のことを知ろうと思う時、2つのことが気になります。

 

「行動」しているか。

その人自身の「目」でものを見ているか。

 

口先だけで決意表明することは誰にでもできますが、

行動に移すとなるとそう簡単にはいきません。

 

勇気と決断力が行動となった時、初めて人に気持ちが伝わると

考えるからです。

 

 

「お金がないから」「頭が悪いから」「時間がないから」と

自分への言い訳ばかりを探していたり、

他人からの評価ばかりをうかがっていると

自分の「目」でものが見えなくなります。

他人の目を通して見たものを、

さも自分の「目」で見たかのように

錯覚してしまいます。

 

自分の「目」で見たものを形にすることこそが実現。


自分がやりたいと思ったこと、わくわくすることを

行動につなげてみてください。

単純なことでも、毎日毎日信念を持って続けてみてください。

 

きっと自分の思いは人に伝わります。

 

貴方のことを知ってもらう最高の自己紹介だと思います。

 

 

 

 


 

 

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司令官は自分

「早く支度しなさい」「これ明日までにやっておいて」「ちゃんと勉強しろ」

何気ないこんな言葉、言ったり言われたり。

人に命令するのもされるのもいい気持ちはしません。

 

でも!

自分が自分に命令するなら誰にもいやな思いもさせず、

その結果が自分にも他人にも良い結果をもたらす効果がある!

そう!

その瞬間に自分の性格を希望通りに変えられるのは自分自身なのです。

 

毎日、毎日噴き出してくる不安、心配、怒り、不満、悲しみ。

その根源が自分の脳内にあるのだから、

その脳でいくら解決策を考えたって答えが出てくるわけがない。

 

自分の潜在意識に命令できるのは自分だけ。

 

でも自分でも意識していないから潜在意識。

その潜在意識を操作するなんて

これは他人にものを言うより難しい。

 

腕を組む時、どちらの腕が上になりますか。

靴を履くときはどっちの足から?

 

そんな日常の動作もすべて潜在意識に支配されています。

 

試しにやってみてください。

朝、玄関を出る前にいつもと違う足から靴がはけるかどうか。

自分の意思で自分の意識に命令するってそういうこと。

 

これでいいのかな、私大丈夫かな、と不安が不安を呼んで

いつまでもこころが晴れないのはそんな思考のクセがついているから。

そしてそれを変えられないのは、

そう考えるのが毎朝同じ足から靴を履くのと同じようにラクだから。

 

試しに考えてみてください。

これでいいんだ、私は大丈夫って。

 

何十年も同じ足から靴を履いてきたのを変えられないように

何十年もかけてつけてきた思考のクセは強い意思がなければ

なかなか変えることはできません。

今日出来たって、明日にはころっと忘れてまた同じことを考えている。

 

でも人に命令するより、人から命令されるより

ずっと良い結果をもたらすのは

自分で自分に命令することなのです。

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私の超リラックス方法

手相鑑定はとても集中力を必要とします。

 

最初はざわざわとした周囲の話し声や音楽が耳について

線が読めないのですが、ほんの数秒でまったく何も聞こえない状態になり

手相が浮き上がって見えてくるのです。

それからはその方のヒストリーが語りかけてくるといったイメージです。

 

日頃そんなふうに集中力を酷使しているせいか

無性に精神を解き放ちたくなる衝動にかられます。

 

そんな時は近くの山に登ります。

人はほとんどいません。音もありません。

 

いつものように一気に登り、見晴らしの良い場所の大木を背に寄りかかります。

目は遠くの稜線へ、口はたぶん半開き、

もしかしたらよだれまでたらしているかもしれないぐらい。

手足はだらしなく放り出し、絶対人には見せられないと思うほど弛緩した状態。

 

するとその半開きになった口から勾玉の形をした私の魂がすうっと出て

目を向けた先の稜線へと飛んでゆきます。

その勾玉の形をした魂は木々の間をくるくると回り、

苔むした岩の水分を吸い、

ひらひらと散る葉や花をかいくぐり、

落ち葉の下にもぐり、

山の中の精気を存分に吸い取って

出た時と同じようにすうっと音もなく私の口から体内に戻ります。

 

魂が戻ってくると、かすんでいたような目や頭の中に酸素が満ちたように

クリアになり、身体が軽くなり、なんとも言えない爽快感が体中に

満ちるのです。

 

ある日、そんなことを初めて人に話したところ「それは瞑想ですよ」と言われ

はっとしました。

 

瞑想だなんて意識したこともなく、ただただパンパンになった頭を抱えて

山に登り、座り込むだけ。

 

これが瞑想だとしたら、きっと誰にでも簡単にできることではないかしら。

 

人は常に頭の中で考えています。

「お昼は何食べよう」「今日の仕事の段取りは」「電車の中で大声で話すな」

次から次へと自分の意識がひとりごとをつぶやいています。

そんな雑念だらけの頭の中をクリーニングすると

集中力と行動力がよみがえります。

 

人によって方法はさまざまだと思いますが、

眠ったわけでもなく、食べ物を食べたわけでもないのに

身体中に満ちるあの感覚は何なんでしょう。

 

皆さんの瞑想の方法をぜひ教えてください。

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誰かの役に立つこと

ほんの少し水面から顔を出した意識の上で

あっぷあっぷしながら潜在意識の海でほぼ溺れかけている日常。

 

誰かの役に立っていますか。

 

誰かの役に立っていることを実感するって力がみなぎってきます。

 

でも、寝たきりのお年寄りや赤ちゃんは

誰かの役に立つ行為や行動なんてできません。

それでも小さい時の自分を可愛がってくれたおばあちゃん、

生まれたての泣いてばかりいる赤ちゃんだって

立派に周囲の人間の役に立っています。

それは「存在」。


そこにいてくれるだけでいい「存在」。

 

自分は誰かの役に立つ「存在」になっているのかな。

 

家族の中では出来の悪い「存在」だったり

おりこうさんでなければほめてもらえない「存在」だったり。

 

とても「存在」だけでは自分が人の役に立っているとは思えません。

 

だから一生懸命行動します。

誰かのささやく「あなたのため」という言葉の裏に隠された

「わたしのため」という事実に気がつくこともなく、

ほめられたい一心で、認めてもらいたい一心で。

 

それは「自分のため」の人生ではなくて「誰かのため」の人生を

生きているということ。

 

「存在」だけで誰かの役に立っていることを実感するたったひとつの方法。

 

それは、家族の中でも、友人の中でも、社会の中でも

対等の関係を築いてゆくこと。

 

「誰かのため」に行動するのではなく

「自分のため」に行動することが自信につながります。

 

その自信はめぐりめぐって人の幸せにつながります。

 

「存在」だけで人を幸せにすることができるように

自信を持って行動できる人間に私はなりたい。

 

「自分のため」に太陽の光をふんだんに浴び、

雨の恵みを受け、太い幹を育て、思う存分に枝葉を伸ばしたこの木が、

人々を日照りから守り、寄りかかる安心感を与える木陰を作ったように。


 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

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規格外

テレビで枝豆の選別をしているのを見ました。

さやにきっちり3粒入っているのがL、3粒入っていても形が悪いのがM、

2粒しか入っていないのがS、だそうです。

それ以下の小さなものは最初に機械ではじかれます。

小さなものだって実が入っているのにね。食べられるのにね。

 

背が低いから、ダミ声なんです、アトピー肌が気になって・・

などの身体的特徴だけでなく、

お姉ちゃんだから、女の子だから、長男だから、男でしょ、日本人たる者・・・。

自分が好んで決めたわけでもない生まれた順番、年齢、性別、国籍にいたるまで

どこかの誰かの既成概念にはめ込まれ、

幼い頃から生きづらい思いをしてきた人のなんと多いことか。

 

その概念は刷り込まれるうちに、いつしか誰かの概念じゃなくなって

自分の不安や心配になって大きく大きく重たく重たくのしかかってきます。

 

きれいな形のきっちり3粒入った枝豆でない自分。

ベルトコンベアの上ではじかれないように、

あたかも3粒入っているかのようにさやをふくらませて装い続け、

「3粒入っているね、優秀だね、Lだね、合格だね。」と言われることに

心血を注ぎます。

でも残りの1粒か2粒は不安や心配でふくらんださやです。

 

その心配や不安でパンパンになった空っぽのさやは

いつしかはじけます。

一歩も前に歩き出すことのできない自分が残ります。


自分はわかっていたのです。

規格外なのに3粒入りの立派な枝豆を装っていたのを。

 

2粒だっていいんです。

ちょっと形が悪くたって大丈夫。

規格外バンザイです。

 

そう思えたら生きるのが楽しくなります。

 

cafeころんのツリーハウスにかかった吊り橋。

規格外だって

100点満点がとれなくたって

早く走れなくたって

いい子じゃなくたって

ミライへの吊り橋を渡る勇気を持つことの方がどんなに大切か。

 

cafeころんでこの吊り橋を見て

ワクワクしてください。

きっと何かを感じることができると思います。

 

 

 

 



 

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原因と目的

行動を起こす時に必要なのは「未来の自分のためにこうありたい」

と強く思う気持ちです。

 

行動を起こす時に邪魔なのは「過去の自分はこうだったからできっこない」

と自分に言い訳する原因です。

 

生まれた時から刷り込まれてきた不安、心配、憂鬱、強迫観念・・・

そんなことが山のような荷物となって一歩が踏み出せません。

行動を起こすモチベーションとなるのは

過去の情けない自分を思い起こすのではなく、

かっこいい未来の自分を思い描くこと。

 

そこを切り分けて考えると、初めの一歩が踏み出せて

行動しているうちに霧が晴れ、向かって行く方向が定まってくるのです。

 

私は小さな頃から虫が大の苦手です。

そんな私が庭の木にできた蜂の巣を退治できるなんて!

 

庭に出るとブンブンと羽音をたてて向かってくる蜂に危険を感じ駆除を決意。

何日も前から巣に集まる蜂の生態を観察し、

駆除方法を調べ、シュミレーションをくり返し

とうとう一人の力で刺されることもなく駆除することに成功しました。

 

ちょっと「未来のかっこいい自分」というほどではありませんが、

苦手意識を克服し、行動に移したことでさまざまな手段を模索することができ、

虫一匹に大騒ぎをしていたかっこ悪い自分とは決別できたのです。

 

苦手だとか、不安なものって今までの環境の中で

刷り込まれていただけであって、立ち向かってみると

案外乗り越えられたりするものです。

 

あなたの苦手なことは何ですか。

その原因は過去のかっこ悪い自分ではないでしょうか。

 

 

 

 

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うまいっ!

先日カフェにお越しくださったご夫婦。

ランチを召し上がった後、

お酒を飲みながらゆったりとした時間を過ごされていました。

 

そのご主人様は何かを最初に口にされる時、

必ず「うんっ!うまいっ!」という第一声が飛び出します。

 

奥様もそれにニコニコとしながら相槌を打っています。

 

ランチを食べた時も、ビールを飲んだ時も、おつまみにお箸をのばした時も

気持ちいいほど周囲に聞こえる声で「うまいっ!」と声にされます。

 

私は驚きました。

料理を提供する私どもがうれしいのはもちろん、

それを聞いた奥様も周囲の人もそのひと声で笑顔になります。

ありきたりな料理でもそのひと声で極上な料理に生まれ変わります。

 

きっとご家庭での奥様のお料理にも

まずそのひと声を発していらっしゃるのでしょう。


料理の味そのものだけでなく、

その背景にあるすべてにこめられたその言葉から

ご本人のお人柄、

そして愛情に満ちあふれたご家庭を想像することができました。

 

「うまいっ!」は魔法のスパイス。

その場が愛に包まれます。

嫌なことが吹き飛びます。

 

皆様もコショウや醤油とともに

ぜひこのスパイスをご家庭にお揃えになってみてください。

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やろうと思ってた

ものごとをじっくり考える。

いいことですね。

でも考えてばかりで行動しないのは考えていないのと同じことです。

もったいない。

せっかく思考した時間が水の泡です。

 

「今やろうと思ってた」「暖かくなったら始める」「来年は頑張る」

こんな言葉を使う多くの人は行動しません。

「今」やらない人は、暖かくなっても来年になってもやらないのです。

 

テストで良い点を取った時、仕事で良い成果をあげた時、

「優秀だね、頭がいいね」とほめられる。

その時は気分がいいですね。

「頑張ったね、努力したんだね」とほめられたらどうでしょうか。

これもなかなかうれしいものです。

 

人はおもしろいもので、知性を褒められるとチャレンジをしなくなります。

でも努力を認められるとさらに高度な問題に挑んでいく勇気が得られます。

自分を賢く見せることに注力すると失敗や間違いを犯すリスクを回避する心理が

働くようになるからです。

思い当たるふしはありませんか。

 

誰でも失敗を恐れる気持ちは持っていますが、

失敗を失敗のままにしておくことが失敗そのものなのです。

成功だけをほめられていると、プライドだけが肥大化していきます。

失敗のリスクを取り続けることがチャレンジです。

失敗と向き合えば成功への道筋がみえてきます。

チャレンジは行動。

ネガティブだから行動できないのではなく、

行動しないからネガティブになっていくのです。

 

人生は選択、決断、行動のくり返し。

それに必要なものはポジティブで失敗を恐れないチャレンジャー精神なのです。

 

 

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叶屋

青梅の町は古くからの家が多く、あちらこちらに屋号の入った蔵をみかけます。

 

これは叶屋さんでしょうか。

 

「叶」は願望が実現するという意味です。

 

漢字の名言を引用すると、

口から出るのは+な事もあれば、−な事もあります。

だから口から出るさまざまな否定的な言葉は「吐く」とも言います。

でも、−な事を言わないようにすると・・

願いが「叶う」。

 

毎日の暮らしの中で口から出るネガティブ言葉は実にさまざま。

弱音を吐く、毒を吐く、つばを吐く、捨てぜりふを吐く・・

自分を振り返ってみると、言ってます、言ってます。

 

漢字の名言、わかりやすいですね。

嫌な言葉を口からひとつ出すたびに願いがひとつ逃げてゆく。

口から出すのは+なことだけ、と肝に命じておけば願いが

近寄ってきてくれるような気がします。

 

きっと昔は商売をやっていても弱音を吐かず、お客さんを大事にして

立派な蔵を建てた「叶屋」さんだったのでしょう。


自分も「叶屋」の番頭さんになったつもりの会話をこころがけ、

願いに一歩でも近づきたいものだと思わずにはいられない漢字遊びでした。

 


 

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心の窓と鍵

自己紹介というのが苦手。

小学校から現在に至るまで何度となく要求されてきた自己紹介だが

一度としてうまく言えた試しがない。

 

人間には心の窓がある。

 

大きく開いている人もいれば、ほんのすきま風が通る程度にしか

開けていない人もいる。

ぴったりと閉ざして鍵までかけている人だっている。

 

心の窓が大きく開いていればいるほど人との会話の接点が増え

アクセスの頻度が高くなる。

 

心の窓を大きく開けている人はきっと自分自身を理解している。

長所も短所も受け入れて納得している人に違いない。

 

短所には目を閉じ、耳を塞ぎ、受け入れることをしたくない、

ましてや気がつかない私の自己紹介がひどいのも

こうして考えてみるとうなづける。

 

この写真はナチュラル・ノスタルジーなカフェころんの窓。

庭につづくこの窓はいつもは開け放たれていて

玄関から抜ける風が心地よい。

鍵もちょっと壊れていて締めるのにひと苦労するほどゆるい窓だ。

 

そんな自己紹介が上手なカフェだから

人が集まり、人が笑い、人が育つのかもしれない。

 

 

 

 

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不安の正体

高い所が怖かった。

 

幼稚園でクラス全員がジャングルジムに上って撮った写真がある。

ひとりだけ皆と同じ高さまで上れず一段低いところで写っている。

何十年もたった今でも覚えているその時の気持ち。

 

高い所が怖かった。

 

今は高層ビルから見る夜景を美しいと感じ、

吊り橋も渡ることができる。

 

人間は高い所への恐怖感を本能的に備えていると思う。

高い所から落ちた経験があったり、

落ちたらどうなるかということを想像することができる。

 

鳥のような翼もなく、ボイスレコーダーのような頑強な作りの肉体でもない。

高層ビルや吊り橋から落ちたらどうなるかを想像するのは容易い。

「死」から身を守らなければ子孫を繁栄させることもできないのだ。

 

幼い頃は周囲に「死」というものに触れる機会もなく

万全と「死」への恐怖だけが大きく膨らんでいた。

 

大きくなるにつれ、生き物が死ぬのを見たり、葬式に参列したり、

病院へ見舞いに行ったりして「死」が誰にでも訪れるものだという理解が

深まると同時に「高い所」への恐怖も薄れていった。

 

私達の日常は死ばかりではなく、さまざまな不安や恐怖に満ちあふれている。

ただ恐れているばかりでは美しいものに感動する心や

楽しいことに触れる機会を逸してしまう。

 

その不安や恐怖の正体をつきとめてみよう。

 

きっと人生がひときわ輝いてみえてくるはずだ。

 

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3大がっかり

世界には、いや国内にも3大がっかり名所と呼ばれる所があったりする。

観光客が多い割には規模が小さかったり、

有名であるのに期待を裏切る要素が満載の名所である。

 

人間にも期待を裏切る3大言い訳がある。

お金がない。

時間がない。

自信がない。

自分自身でも過去に何度も言ってきた覚えがある。

 

だがこの3つの中で万人に平等に与えられているのに

失ったら二度と返っては来ないものが時間だ。


お金は一文無しからだってどうにかして増やすことができる。

自信もからくりさえ理解して努力すればつけることができる。

でも時間だけは目減りしていくだけのやっかいなシロモノ。

どうやって時間という無限のようで有限な財産を増やしていけばいいのか。

 

イライラして煙草を吸う時間。

凹んだ気分をヤケ酒で紛らわす時間。

あたりを見回すと皆が捨てている無駄な時間がゴロゴロ転がっている。

 

そうだ、ストレスで消費する時間をなくせば時間は増えるのではないだろうか。

すなわちストレスをなくす。

なんだか難解な方程式が解けたような。

 

やらなければいけないことを一番先にやる。

やりたくないけれどやらなければならないこと、

それはいつでも行動にブレーキをかけてしまって時間を消費する最大の原因。

いっそのことやらないか、一番先にやる。

 

すべてを一人でやらない。

一人でやったほうが早く終る、とか人に迷惑かけたくない、とか。

そんな理由で自分を縛り付けてやることを山積みにしているのも時間の浪費。

周りの人を味方につけて多くの力でやりとげる。


なんだか真剣に考えると考え方や行動で

時間という資産を増やすことも可能な気がしてくる。

 

世界3大がっかり名所のような人間にならないように

3大言い訳と向き合ってみるストレスフルな月末の帰り道。


 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

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はぐれ蛍

生きて光りながら飛ぶ蛍を見るようになって何年だろう。

 

都会で生まれ育った私はとしまえんの昆虫館でしか蛍を見たことがなかった。

 

ここ青梅では蛍が生育する絶好の場所があり、

この地に住むようになってから梅雨の時期になると

毎年ナマ蛍を鑑賞している。

 

さらさらと流れる小川の音だけの暗闇の世界。

 

淡い緑色にふわりと光っては消える蛍たち。


外敵を驚かすためとも求愛行動とも言われる明滅は

闇があるからこそ役立つ光のコミュニケーション。

 

闇は苦悩、忍耐、迷い、不安、貧困、病気、差別。

それらがあるからこそ光る希望。

 

明るい場所では必要とされない光だからこそ

闇の意味があるのだ。

 

人間が渡れない小川の向こう岸に光る蛍たちからはぐれて

飛んできた一匹をそっとつかまえて葉の上に乗せてみる。

 

ずいぶん道を間違えてしまった蛍はそれでも淡く淡く光りながら

仲間たちとコミュニケーションをとろうとしているようだ。

 

ちゃんと自分の居場所へ戻るのよ、と手のひらにのせてそっと空に放つと

安心したかのようにほわっと光り闇の中に消えていった蛍は

いつかの私だったのかもしれない。

 

 

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トマトの花が咲いた。

 

こんなに天気がいいのにうつむいている。

写真が撮りにくいし、どんな花なのかもよくわからないほど地味だ。

 

トマトの原産地アンデスでは標高が高く、

受粉を促すハチなどの昆虫がいない。

 

太陽に向かって咲く花が目立って美しいのは、

花粉を運んでくれる昆虫を引き寄せるためでもある。

 

そこで地味なトマトは考えた。

 

風。

 

うつむいて咲けば風が花粉を運んでくれる。

 

地味で目立たず、うつむいて咲く花にも

風は優しい。

 

 

 

 

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バランス

何日か前の夕焼け。

 

天地創造の日はこんなだったのではないだろうか。

 

闇の中から生まれる光。

昼と夜、月と太陽、空と海、そして男と女。

 

お互いが存在することで成り立つ森羅万象。

どちらも過不足なく見事にバランスがとれている。

 

勉強がはかどらない時、仕事がうまくいかない時、恋愛が成就しなかった時、

体内の細胞がすべて下降線をたどるような気がする。

そんな時に脳内で頑張ってくれるのが有名なやる気物質アドレナリン。

人間の脳でさえもバランスがとれる仕組みになっているのだ。

 

恋愛の賞味期限は3年といわれる。

ひとつの恋愛の中で媚薬ホルモンが分泌し続けることはない。

そう、森羅万象バランスがとれることになっているこの世界、

恋に落ちたときのようなドキドキ感が一生続いては困るからだ。

この媚薬ホルモン、分泌するのは長くても3年から4年。

だから3〜4年交際した男女であれば、ホルモンに惑わされることなく

お互いを理性的に見ることができ、結婚しても長続きするというわけだ。

 

でもドキドキ感が消えたならマンネリが待っていると考えるのはちょっと早い。

それなら媚薬ホルモンに代わるわくわくホルモンを互いに分泌すればよい。


行ったことのない場所、いつもとは違うファッション、

二人で新しいことを始めてみる。

 

「星の王子さま」を書いたサン・テグジュペリはこう言っている。

 

愛とは、お互いを見つめ合うことではなく、

ともに同じ方向を見つめることである。



 

 

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肯定文の威力

インパクトのある看板ですね。

 

「この先に行ってはいけません!」とか「立入禁止!」と書かれた看板より

ずっと抑止力があります。

絶対入りたくないです。

不思議です。


ちょっと意味合いが違いますが

駅前の放置自転車にも「ここに置いてはいけません」より

「どれでもご自由にお乗りください」と書いた方が

放置する人がいなくなりますね、きっと。

 

飲食店に入って少し手の込んだ料理を注文したとします。

「すぐにはできません」と言われるより

「少々お時間かかります」と言われた方が同じ時間待つのにも

気持ちの余裕が変わってきます。

 

肯定文ってすごいですね。

 

特に決意を表す時に肯定文は有効です。

 

「失敗しないぞ」と思うより「成功するぞ」「達成しよう」と

思う方が成功する確率が高くなります。

 

「失敗」という言葉に意識が集中してしまうと

あたかも失敗を達成するということにもなりかねません。

 

ネガティブな言葉より、ポジティブな言葉の方が脳に大きな影響を

及ぼすと言われています。

 

どうにもならない自分を救う究極の手段ともいうべきポジティブ思考。

 

あなたの使う言葉は否定文?

それとも肯定文?

 

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シンデレラの落としたガラスの靴も右足だった

右足から靴を履くと一日が幸せになる。

こんな言い伝えがヨーロッパにはあるそうです。

ギリシアの自然哲学者、ピタゴラスも「右足から歩み始めよ」と

言っています。

 

根拠があるのかないのかわかりませんが、

自分が毎日どちらから靴を履いているのか気になりました。

 

左!

これは由々しき事態です。

さっそく明日から右足から靴を履き、右足から玄関を出なければ

と心新たにしました。

 

しかし私はなぜ左足から靴を履くのでしょう?

右利きだから?

右手にバッグを持つから?

そうやって考えてみると靴下を履くのも左、足を洗うのも左足からと

日常の動作の順番が決まっています。

習慣とはおそろしいものです。

みなさんはどうですか?

 

これは何十年もの生活の中で、自分がやりやすい方法を無意識に

身体に刷り込んで覚えさせていったのではないでしょうか。

 

人間は、身体だけでなく心を安定させるためにも

いろいろな方法を使います。

 

イライラしたり、ちょっと不安になった時

音楽を聞いたり、歌ったり、自然の中に出かけたり。

 

でもそんな方法が何も見つからない時。

 

いつも毎日の生活の中でしている動作の順番を変えてみるのはどうでしょう。

 

嫌な気持ちというものは過去何十年もの間、自分の中に刷り込んできた

自信の無さの裏返しなのではないでしょうか。

人に認めてもらえなかったり、

良い子、良い人でいるためにいろいろなことを我慢したり犠牲にしてきたことが

長い時を経て不安やストレスとなって積み上がり、

ざわざわとした嫌な気持ちとなっているような気がします。

 

長い間積み重ねてきたものですから

そう簡単には考え方を変えることができません。

毎日靴を履く順番をすぐには変えられないように。

 

まず、強い意志を持って繰り返し繰り返し日常の動作を変えてみる。

潜在意識で行っていたことを書き換えることの練習です。

 

さぁ、私にも自然に右足から靴を履き、右足から玄関を出る日が

やって来るのでしょうか。

 

 

 

 


 

 

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ウッドデッキパーティ@cafe ころん

cafe ころんは、手相カフェ・テオが月に一度出店するレンタル・カフェ。

 

廃屋をリフォームして作り上げたカフェにはなんと庭があります。

今、その庭の大きなヒノキと柿の木を支えにしたツリーハウスを建築中。

 

費用はクラウドファンディング、労力は有志、

あとは協力してくださるみなさんの心意気で

ツリーハウスは完成に向かって着々と進行中。

https://faavo.jp/tokyonishitama/project/508

 

昨日はツリーハウスのウッドデッキ部分の完成を祝して

パーティが開かれました。

 

売上はもちろんツリーハウス建設資金に。

 

誰もが一度は憧れたことのあるツリーハウス。

ほんのちょっと高いだけなのに、

一瞬にして子どもの頃の自分に戻れるタイムマシン。

 

こども達に木の温もりを!

青梅杉で作る木のテーマパークを駅前に作りたい!

 

そんな思いの人たちが集まって作るツリーハウスは

大きな大きなタイムマシン。

たくさんの大人達のこどもマインドと

たくさんの子ども達の大人へのステップを積んで加速中!

 

毎週日曜日・月曜日はツリーハウスday。

どなたでもツリーハウス作りに参加できます。

 

7月の完成目指して一人でも多くの方に関わっていただければと思います。

もちろん完成後に遊びに来ていただくのも大歓迎です。

 

新しい青梅のランドマークとなる日をお楽しみに。

 





 

 

 

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真水より泥水

青梅には吹上しょうぶ公園という6月には見事な菖蒲で彩られる公園があります。

 

もう咲いているかと散歩がてら訪れてみると、勢い余って咲いてしまった感の

菖蒲が一列、二列・・

まだ少々早かったようです。

 

それでもところ狭しと飛び回ってはさえずるウグイスの声が菖蒲園を囲む山々に

反響して、彼にとっては格好のコンサートホールとなっていました。

 

その入口の沼地に咲き始めていた蓮の花。

 

泥水が泥水であるほど大輪の花を咲かせると言います。

 

人間界と同じじゃありませんか。

 

泥水の中を無呼吸泳法で成長し、立ち上がって水面に顔を出し

なんとも神々しく咲く大輪の花。

 

澄んだ真水では小さな花しか咲かせることができないと知り、

猛然と力が湧いてきました。

 

苦しくても辛くても悲しくてもそれはそれでいいんだ、

それがドロドロとしていればしているほど成長することができ

水面から顔を出したときには満面の笑顔をたたえることができるんだ。

 

蓮の花が住処のお釈迦様はきっとこれを知っていたんですね。

 

咲き始めた蓮の花の中に、ちらりとお釈迦様が見えたような気がして

満開の菖蒲が見られなくても得をした気分になりました。

 

お釈迦様の宗派さえ知らない私にも微笑んでくれた蓮の花。

思わず手を合わせてから帰る散歩道。

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暗い岩屋から抜け出すために

コンビニというには少し抵抗のある酒屋なのか、パン屋なのか、

八百屋なのかわからないひなびた総合食料品店の店先に

店主の趣味なのか大きな水槽が置いてあります。

 

赤や白のヒラヒラと泳ぐ金魚の水槽とは別の水槽にひとりぼっちの生物。

どうやらナマズのよう。

岩と岩の間にじぃっと身をひそめ、

こちらが水槽に顔を近づけてジロジロ見ても微動だにしません。

 

山椒魚・・

井伏鱒二の作品を思い出しました。

 

山椒魚は悲しんだ・・

で始まるこの物語はぼーっとしている間に大きくなりすぎて

岩屋から出られなくなった可哀想な山椒魚のお話です。

 

「何たる失策であることか」

とうめいた山椒魚の後悔、焦り。

 

なぜぼーっとしていたの。

多分そこが安心できる場所だったから。

安心ってなぁに。

与えられた場所で言われた通りのことをして誰かにほめられること。


そう、人間ってほめられるとうれしい。

でもほめられるためにはいい子でいなくちゃいけない。

 

いい子でいるってぼーっとしていることと同じこと。

自分で考えなくてもいい、誰かが言った通りのことさえしていれば

いい子ね、お利口ね、ってほめてもらえる。

 

でもほめてもらう代償に考える力を奪われる。

自由な行動を制御される。

抜け出せなくなって初めてわかる暗くて狭い世界の哀しさ、

自由の尊さ。

高価な代償を支払って得るものは無気力、自信のない自分、

そして絶望。


もっと広い世界に出てごらん。

身を守りたければ隠れていないで武器をもちなさい。

広い川を泳ぐために自由自在に使いこなせる武器を持ち

自分の意志で泳ぐんだよ、

と水槽の中のナマズに心の中で語りかけた昼下がり。

 





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上れるはずの階段

駅までの道。毎朝上る階段。

この一段目の手前まで来ると頂上を見上げて身構える。

 

「うへぇ・・。いつになったら軽快に上れるんだろう。」

「右端を上る?それとも左端?

坂道はジグザグに登るとラクだと聞いたことがあるぞ。」

「途中で一回休む?いやいやそんな時間ないし。」

などなど頭の中は階段征服のことでいっぱい。

 

上り終えると心拍数は上がり、しばし息を整える。

やっぱり今日もダメだった・・の繰り返し。

 

急がば回れの言葉どおり、ちょっと回り道をすればこんな階段上らずに済む。

しかし自虐的性分なのか、負けず嫌いなのか、回り道はしない。

人間苦しい道を選べば能力が開花するはず、

こんな階段上れなくてどうする、これは修行だ、などと

自分に言い聞かせながら、階段を睨みつけ

飽きもせず上ってはハァハァと惨敗に終わっている。

 

ある日。

家を出てから足は勝手に駅に向かっていたが、

夢中で考え事をしていて問題のポイントにさしかかったのも覚えていない。

もちろん頂上を見上げることもなければ、ジグザグ上りもしていない。

気がついたのは階段を上り終えて、モッコウバラが美しく咲く次の曲がり角だった。

息が乱れていない。

なぜ?

 

潜在意識・・?!

若くないんだからこんな階段駆け上がるなんてできるわけないよ。

毎日繰り返し上り続けているのに一度も成功したことがないし。

どうせ私なんか・・・

 

頭の中では威勢のいいことを考えているふりをして

潜在意識ではそんな失敗経験の確認作業をしていただけなんじゃないのか。

 

潜在意識おそるべし。

 

待てよ・・

それじゃあその逆に、上れることを潜在意識に刷り込めばいいんじゃない。

どうやって・・?

自己暗示?無理無理。

だって暗示をかけた時点で顕在意識として存在してしまう。

 

たった一度の成功は無意識の下で達成することができた。

そうだ!無意識だ!

失敗も成功もない。階段も平地もない。気負いも落胆もない。

あるのはただ駅という目的地に向かって進むという行動だけ。

 

すばらしい解答を片手に意気揚々と家を出て明日の朝も階段に臨む。

らくらくと上れるはず・・だ。

 

あぁ、手に負えない潜在意識と格闘の日々。


 

 

 

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FANCL銀座スクエア初出店

HAPPY MOTHER'S DAY!

 

今回は美と健康をテーマにしたFANCL銀座スクエアに出店いたしました。

 

手相カフェ・テオではマルタからのオーガニック食材を多く使っています。

http://maltaste.com

 

今日はマルタからのワインや食材の試飲試食のためのプレートを

担当させていただき、特別イベントとして手相鑑定も!


ワインやプレートを銀座の真ん中とは思えないゆったりとしたテラスで

楽しみながら手相鑑定ができるなんて・・と多くのお客様に

嬉しいご感想をいただきました。

 

青梅で起業を目指すレンタル・カフェで営業している私達にとって

ここ銀座での営業はいつも以上にたくさんの学びの空間となりました。

 

青梅で学んだこと、銀座で感じたこと、毎回さまざまなトライ&エラーを

繰り返しながら大きく成長していきたいと思っています。

 

おかげ様で銀座でも料理、手相鑑定共々ご好評をいただきましたので

次回も出店の運びとなりそうです。

 

出店の折には、ウェブサイトにてお知らせいたしますので

お近くにお住まいの皆様、どうぞお立ち寄りくださいますよう

お願い申し上げます。

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青梅大祭

青梅の街にはこんなポテンシャルがあるんだ!

と思い知らされた5月3日。

 

駅前から青梅街道を埋め尽くす人、人、人・・・

 

山車の競り合い、喧嘩囃子。

血気盛んな男衆のパワーが町中にあふれ、

そのエネルギーに酔いしれる13万人の来場者。

 

いつもは指で数えられるほどの人間しか歩いていない通りに

こんなに人が集まるなんて。

 

おかげさまでお祭り支度をしたテオにも

たくさんのお客様がお越しくださいました。

 

いつかお祭りと同じパワーをこのcafeころんから、手相カフェ・テオから

放って、青梅の町が毎日お祭りのような活気に満ち溢れる日が来ることを

願っています。


 

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パワスポ天国 青梅

青梅にはパワースポットが随所に点在しています。

 

1300年の歴史を誇る名刹塩船観音寺薬王寺は御朱印ガールも多く訪れる

パワースポットの代表格。

 

境内には2万株を超えるつつじがこれから盛りを迎えます。

 

赤、白、ピンクと色とりどりにつつじが咲きほこる5月3日の大祭には

真言宗修験道の柴燈護摩がたかれ、法螺貝を吹きながら山伏達が行列で現れると

真っ赤になった火の中を真言を唱えながら火渡りの荒行が行われます。

一般の方も参加することができるそうです。

 

天気がよければつつじの丘のてっぺんからスカイツリーが見えることもあります。

 

壮大なつつじと火渡り荒行を同時に見れるチャンスは5月3日の一日だけ。

 

本来は厳しい修験を行って初めて得られる力を、その場所を詣でるだけで

身分性別を問わず得られるというパワースポットでの大イベント、一年に一度の大チャンス。

 

どうぞお見逃しなく!

 

 

 



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刹那

里は葉桜となる頃、最後の桜、そして桜の最期を観るために近くの山へ。

 

日頃の運動不足を呪いながら、あえぎあえぎ山を登り見晴台にへたり込むと、

人の気配のまったく無い山はプッと耳が詰まるほどの静寂に包まれていました。

 

緑深い山のところどころに混ざる桜が淡い霞のよう。

 

思考を停止してだらしなくポカンと開けた口から吐き出した魂が

尾根を伝って山の中に吸い込まれてゆきます。

 

日常にまみれて汚れて歪んだ魂が、

春の霞の中をさまよって、桜の刹那の精気を浴びてまた私の身体に戻ってくる頃

静寂な山にひらひらと音が聞こえたような気がしました。

 

桜の最期に間に合った。

 

ほんの数日だけの花霞。

 

人間が100年生きたとしたって宇宙から見れば

桜の花びら一枚散る時間にも値しないほどの刹那。

 

その刹那にできること。

 

桜のように、雨上がりの虹のように

儚く消えてゆくものがその瞬間に放つもの。

 

このちっぽけであさましい人間にもそんな瞬間を迎えることができるでしょうか。

 

 

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ご来店ありがとうございました

4月3日、4日には手相カフェ・テオも3度目の営業日を迎えることができました。


予約のお客様をはじめ、たくさんのお客様にご来店いただいたにもかかわらず、

時間が足りず、お待たせしてしまったり、鑑定できずにお帰りいただくことになったお客様、

本当に申し訳ありませんでした。


誠心誠意の鑑定を心がけたい気持ちが先に立ち、ご来店頂いた多くのお客様にご不便をおかけしてしまい

営業するたびに抱える課題が山積みになっています。


このレンタル・カフェは起業を志す人々のトライアルの場ではありますが

ひとつひとつ課題を解決しながら、皆様に心地よくお過ごしいただけるカフェを目指していきたいと

思っております。


お越しいただいたお客様全員が鑑定を体験いただけますよう

お問い合わせフォームからのご予約をよろしくお願いいたします。

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御岳山に登ったことがありますか

青梅の街を散策しているとよくこの扉に貼ってあるお札をみかけます。


牙を剥いた犬のようですが・・・


これは東京の西の最果て青梅、御岳山頂上にある「武蔵御嶽神社」のお札です。

武蔵御嶽神社に祀られている主祭神は

「櫛眞智命」(くしまちのみこと)といってなんと占いの神様です。


この地で占いを始めたことに運命を感じてしまいます。


毎年1月には非公開で

(行っても見れませんよ。非公開というだけで霊験あらたかに思えてしまいますね)

太占祭(ふとまにさい)が行われます。

太占・・高校の日本史で習ったような記憶が。

それもそのはず、現在では富岡製糸場で名高い群馬県貴前神社と、

この「武蔵御嶽神社」だけに伝わる日本最古の占いだそうです。


男鹿の肩の骨を焼いて作物の豊凶を占うのだとか。

だから今でも青梅の農家や民家には作物の豊作を願って

この御岳山「武蔵御嶽神社」のお札が貼られているということです。



さて、本題の牙を剥いた犬のような絵が描かれたお札に戻ります。


この占いの神様の他にも何体かの神様が祀られていて、

そのひとつ「大口真神」という神様は通称「おいぬさま」と呼ばれていますが

実はオオカミなのです。


まだまだ日本ができたばかりのころのお話でしょうが

日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征のとき、

この御岳山から西北に進もうとしていました。


もうヤマトタケルがここ通ったんだ!

と知っただけでパワースポット感満載であります。


そしてこの深い山奥の邪神が大きな白鹿と化して道をふさぎました。

(神話にありがちな設定ですね)

ヤマトタケルは山蒜(やまびる)で邪神を退治したものの、

その時山谷が鳴り響き、雲霧が発生して道に迷ってしまったそうです。

そこへ忽然と白狼が現れ、ヤマトタケルの軍を西北へ導いたそうです。


この神話、あながち作り話ではないと感じるのは

ここ青梅では今でもちょっと山に分け入ると鹿を見かけることがあるし、

(白くはないです。どちらかというと黒っぽいワイルドな鹿です)

昔はそりゃオオカミだっていたでしょ、というぐらいの深い山なのです。

ちょっと気温差が生じると川だって滝だってたくさんあるから

濃霧だっていとも簡単に発生するのです。


というわけで妙に納得してしまう狼信仰。


その時ヤマトタケルはオオカミに「此の山に留まり、地を守れ」と仰せられたそうな。

以来、「おいぬさま」と崇められ様々な厄除け

道中で難を救う旅行安全の神として信仰を集めています。


「おいぬ」は「老いぬ」にも通じて長寿の神様としても、

また戌は安産・多産の神様として有名で、

昔から妊婦さんは「戌の日」には安産のお参りにいきますね。


休日ともなれば、多くの愛犬家が可愛いワンコを連れて

登山をしています。


さてゴールデンウィークも間近。

東京の西の最果て、御岳山に登ってみるのはいかがでしょうか。




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僕の前に道はない        僕の後ろに道はできる

高校の教科書に載っていたような・・

高村光太郎の作品「道程」の一文です。


去年の2月には大雪が降り、cafeころんのあるここ青梅の駅裏手にある山の上には

3月でもまだこんなに雪が残っていました。

人間はおろか猫や犬の足あとさえ一つもついていません。

一歩一歩踏み出すと、高校時代に出会ったこの詩が頭の中に舞い降りてきました。


手の平には「運命線」と呼ばれる線が手首から中指方向へ立ち上がっています。

流年法というものさしのような方法を使って何歳でどんなことが起こったとか起こるとか

人生のストーリーを読み解いていきます。


まるでこの雪野原を歩く足あとのように手の平にも運命が刻まれていきます。

転ばずに歩けるでしょうか。

転んだ時には誰かが救いの手を差し伸べてくれるでしょうか。

道が二手に分かれた時にはどちらの道を選んだらよいのでしょうか。


迷いながら、決断しながら刻々と物語が描かれていくのです。


ああ

人類の道程は遠い

そしてその大道はない

自然の子どもたちが全身の力で拓いていかねばならないのだ

歩け、歩け

どんなものが出てきても乗り越して歩け

この光り輝く風景の中に踏み込んでゆけ


僕の前に道はない

僕の後ろに道はできる




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色のない景色に少し色がつく瞬間

3月7日(土)2回目のPalm Reading Cafe THEOの営業を終えました。

 

前回に引き続きたくさんのお客様にお越しいただきありがとうございました。

今回はこのホームページからのご予約もいただき、そして開店時間も早めての営業となりました。

 

これはお客様が撮ってくださったTHEO営業中の写真です。

夕暮れ時のあたりがモノトーンになる時。

暖かい灯りがともされると、そこだけが血の通った体内のように色みを帯びる時間です。

 

 

生きていると楽しいことばかりではありません。

もう勘弁してくれと放り出したくなることが山のよう。

自分が楽しいと思う時ってどんな時でしょう。

友達と遊んでいる時、買い物している時、家族とのだんらん・・・

たしかに!

 

自分が楽しく思えることを一生続けられたらいいな。

人のためじゃない、自分のため。

でもそれは人を喜ばせることだったり、楽しませることだったり。

結局自分が本当に楽しいと思えるのは自分の考えたこと、提供したことやものが

「人に喜んでもらえること」なのがおかしい。

 

人間社会ってなんてよくできた仕組みなんだろう。

 

楽しい事を探して頭の中をぐるぐるぐるぐる回っている回遊魚のような考えが

お刺身となってお皿に上がる。

そんな時、目の前のモノトーンの風景が少しだけ暖色を帯びて色を認識できる感覚になります。

 

それをイメージできた私にとって記念の一枚です。

 

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If Winter comes, can Spring be far behind?

冬来たりなば春遠からじ。


寒さの苦手な私は秋風がそよそよとする頃から

冬の気配を感じて、もう翌年の春を待ち遠しく

思いこの言葉を呪文のように唱えます。


日本は四季がはっきりしていますから春夏秋冬は

行儀よく並んでいて順番が狂うことがありません。

春→冬→秋→夏なんてことがないので安心です。


冬さえ来てしまえばこっちのもの、

焦らなくたってその次に並んでいる春は確実に

やってくるのです。


外に出ると春の気配はあちらこちらに。


見てください、この背筋をピンと伸ばして

まっすぐ前を見据えたこの梅の花。

希望に満ちたミライにアンテナを張り、視界を

広げているように見えませんか?


梅の花を観てこんな勝手な解釈をしていると

明日からの行動力につながるような気がしてきます。





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トライすること

起業を目指す人がトライアルで事業を起こせる場という環境を得たことは、私にとって大きなチャンスでした。

 

自分の手相を観てみると「今でしょ。」と言っています。

そのチャンスの時期だけでなく、この企画を考える源となった人物や協力者の線もしっかり現れています。

そこは自称palm reader(手相を読み解く人)、何のためらいもなく、負の要素を感じることなく出店を決意しました。

 

準備の段階でワクワクすることはあっても

不安を感じることは全くありませんでした。

 

なぜ私が不安を感じなかったのか。

 

それは実践を一度も踏んだことのない無知の塊であったという一言につきると思います。

 


「情報は知識ではない。本当の理解は実験に始まり実験に終わる。」

 というアインシュタインの言葉通り、出店までの準備期間中は経営に関する情報や心理に関する情報、本やネットに氾濫する情報を詰め込んだだけのただのハリボテですから不安や恐怖など感じようもないはずです。

 

そしてなんの不安もなくワクワクする気持ちだけで迎えた手相カフェ・テオ初出店の日。

 

サインボードを出したとたんに続々とご来店くださったお客様。

気がつくと日が暮れて、空はオレンジ色に変わり、空以外の物体は影となっていました。

 

無我夢中で過ごした一日はオレンジ色の空と同じ心地良い達成感と疲労感、

そしてその風景は同時に自分を覆い始めた影に気づかせてくれました。


 

無知な愚か者が何かに気づく・・

それは無謀な実体験であったりします。

あぁ、あの本で読んだことはこういうことだったのか。

あの人がアドバイスしてくれたのはそういうことなのか。

初めて情報と行動がマリアージュして理解となる瞬間です。

影に色がつく瞬間です。

その影は日がまた昇れば色のついた実体としてよみがえるのです。

 


目や耳から得た情報を行動を通して理解につなげていくこと、

それは人間にとって永遠の課題であると思うのです。

 

幼い少年がたくさん転んでケガをして学習し、

自分の身長の倍もあろうほどの幅の川を飛び越すことができるまでに成長するように。

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手相カフェ・テオ オープン

Palm Reading Cafe "THEO"

JR青梅駅近くのシェアスペース@cafeころんで初出店しました!(2015.02.07)

 

初日からたくさんのお客さまにお越しいただき

本当にありがとうございました。

 

このシェアスペースはだんだん人通りが寂しくなる青梅の商店街に活気が戻るよう、起業のトライアルの場として「自分のお店を持ちたい」人たちの手で廃屋をリフォームして作り上げたものです。

 

どことなく懐かしく感じるナチュラル・ノスタルジックなカフェは人と人との間隔を少し近づける作用も働くようです。

 

カフェの中で知り合った見ず知らずの人同士が

お茶を飲みながら、ランチを食べながら

自然に会話をしたり、写真を撮ったり。

 

店内のそんな様子を見ながら、

青梅の街だからこそ起こる化学変化を感じました。

 

手相鑑定にも多くのご依頼をいただき、

本当にありがとうございました。

 

次回は2015.3月7日(土)を予定しております。

 

どうぞお気軽にナチュラル・ノスタルジックなカフェ、THEOで起こる化学変化をお楽しみください。

 

※手相鑑定の予約状況確認はこちらを▶予約状況

 予約のお申し込みはこちらから▶お問い合わせ

 

 

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手相って?

手のひらを開いてみてください。

無数の線が刻まれていて世界に一つだけの自分の手相。

この手相から何がわかるのでしょう。

ドキドキしますね。

 

性格、思考のタイプ、健康状態、転職や結婚など人生の転換時期、

その他人生にまつわるいろいろな事がわかります。

これから自分の身に起こる、または既に起きたことも伺い知ることができるので、

当たるとか当たらないという占いの範疇に入っているのでしょう。

 

でも単なる「占い」で終わらないのが手相の奥深いところ。

なぜなら過去のことはともかく、未来に関しては手相を変えることができるのです。

手相を変えることができるですって?!

・・・と疑心暗鬼の方もいらっしゃると思います。

もちろんサインペンで描いたりするわけではありません。

もしあなたが何かに気づき、そして行動を起こせば手相はどんどん変わっていきます。

当たる、当たらないで一喜一憂するよりも、今現在の手相を読み解いて、

自分の力で未来をデザインしていくということが可能なのです。

 

手のひらに描かれていることはもちろん良いことばかりではありません。

将来起こりうるアンラッキーなことだって正直に描かれています。

よく言われるのが「良いことだけ教えてください!」

え?それってもったいないです。

だって悪いことが起こる予測ができるのですから、そのアンラッキーの種から

ラッキーの花を咲かせることだってできるんです。

良いことだけ知らされてもうれしいのはその時だけですからね。

 

だから私は「占い師」と呼ばれたくありません。

恐山のイタコのように霊が憑依して私の口を通して語るわけではありませんし、

私自身に特別な霊能力があるわけでもありません。

英語では「palm reader」(手相を読み解く人)って言います。

ちょっとカッコいいですね。

 

私が手相を読み解いて、手のひらを開いたご自身が納得する最良の方法で

未来をデザインしていく。

 

そんな形でやっていければ最高です。

 

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タンポポは2度成長する

タンポポは2度成長する

 

サクラが満開となり

上を仰いで歩く季節となりました

 

ふと足もとを見ると

土も無いような側溝の割れ目から

ぐいっと背を伸ばして

道路まで顔を出したタンポポ

 

タンポポは2度成長する

という言葉を思い出しました

 

タンポポの花の茎は短く

花が咲き終わると萎れて下を向いて

いきます

いったん枯れたかのように見えた茎は、また上に向かって力強く成長し

遠くへ綿毛を飛ばすために

もと咲いた花の位置より

長く高くなってゆくのです

 

なんとも勇気づけられる

自然界のシステムではありませんか

 

歳をとっても次の世代に残すもの

 

それを自ら発信することは

自然界の一員であるあなたにもできるんだよ

 

そんな言葉を道端のタンポポから

かけてもらって

また満開の桜を仰ぎ見ながら

歩き出す駅までの道。

あとちょっと

あと10分。

 

 

日の出時刻の6:50を目指して

ヘッドランプをつけて 

真っ暗な山道をひたすら登ってきた。

 

あとちょっと、あとちょっと。

 

腕時計を見ながら

前に出なくなってきたきた足に

神経を集中して言い聞かせ

筋肉に伝達させる。

 

気温はマイナス8℃だというのに

頭からは湯気を出し

ギリギリで間に合った日の出の瞬間。

 

歩を止めたと同時に

身体中が一気に凍りつき

吹き出していた汗は塩の結晶へと変わる。

 

熟したみかんのような濃いオレンジ色の太陽の光を目をつぶって

じっと全身に浴びる。

 

1℃、また1℃

気温が上がっていく。

山頂に据えられた温度計の

上昇する赤い水銀が

体内をめぐる血液と同化しているようだ。

 

4時間以上かけて

辛くて苦しい山道を登り

この太陽が上がる瞬間の数秒で

下界から持ってきた

腐った精神を吐き出し

この先数ヶ月分のエネルギーを

吸収する。

 

東京の空って

 

広い空に映る変化をフルスクリーンで見れない

 

でもこれが毎日見慣れた空だから

視界が狭くなってるなんて

全然気がつかない

そもそも空ってこんなもんで

夕焼けさえ目に入らない

 

 

どこから車が飛び出してくるか

周囲に変な人はいないか

都会は空なんか見るより

他に注意しなくちゃいけないことが

たくさんあるんだ

目の前の事にばかり気を取られ

先の方は人混みでまったく見えないのが都会

 

 

これって私の人生の縮図

 

 

時には頭上に広がる空を

山に登って

フルスクリーンで見てみよう

 

 

社会にも

人混みにさえも

自分の存在が「不必要」となった時

 

 

どうする

 

そんな質問を自分に投げつけて

町の灯の消えた夜中の帰り道、

ふと立ち止まって呆然とする自分

 

 

 

ずぅっと先まで見渡せる山に登って

果てしない空を見上げてみる

 

今まで見えていなかったものが

見えてくる

見逃していたものの形

知らなかった事の発見

気づかなかった人の心

 

 

所属するコミュニティから切り離された時

誰も信じられなくなった時

人の感情に振り回された時

 

 

誰もいない山に登り

空を見上げてひとりじめしてみる

 

 

自分が本当に大切にしたいものが

見えてくる

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過去を変える方法

時間は過去から未来に流れるもの。

 

飛ぶ鳥が私の頭上を飛んでいけば

「どこへ飛んで行くのだろう」

と思うし、

ベンチに座っている私の目の前に降り立てば

「どこから飛んで来たのだろう」

と思いを巡らせる。

でも鳥は飛んでいるだけだし、私は見ているだけ。

同じ時間に存在しても

鳥にとっての過去未来と

私の過去未来は同じじゃない。

 

動画を逆回転して過去に戻り

そこからリスタートできたら

二度と同じ間違いは起こさない、

あの時ああしていれば・・・

なんてしょっちゅう襲いかかる後悔の念。

 

時間は過去から現在、未来へと流れてゆくもの・・

そりゃそうでしょ。

昭和に生まれ、平成に生きてる。

 

でも待って。

川は上流から下流へと流れる。

 

上流でスタートしたカヤックが

どんどん目の前を通過して

未来である下流へゴールを目指して流れていく。

コースをクリアできなかったり

岩にぶち当たるカヤックだってある。

そして1着、2着・・と順位が決まる。

 

つまり原因は未来にあって

結果は現在に現れているのだから

変えるべきことがあるとしたら過去ではないの。

 

ゴールを設定すれば

スタートしてからのプロセスは変えられる。

つまり、あれよあれよと過去になっていく

現在進行形の私たちの行動は

思いもかけない潜在意識が働いた結果の

自分自身の未来の意思決定によってとらされている

ものなのではないの。

 

窮地に置かれても前を向いている?

障害物があったら諦める?

 

そんなイマイマの現在進行形の私たちの行動は

1着を絶対に勝ち取る!

2着でもいいか・・

3着なら万々歳。

といった意識の奥底に横たわる意思決定で

動いているのではないだろうか。

 

だとしたら過去は変えられる。

時間は逆方向にだって作用する。

 

一番自分が幸福を感じる方向へ時間は流れるんだ。

 

 

いつまでそのままでいる?

星の名前を覚えると

夜空を見上げるのが楽しくなり、

花の名前を覚え得ると

毎年その花の咲く時期が待ち遠しくなります。

でも毎日乗っている中央線と山手線の駅名を覚えても

通勤電車に乗るのはちっとも楽しくなりません。

フシギダネ。

ポケモンを捕まえながら

夕飯の買い物帰りに見える山のシルエット。

 

手相カフェ・テオのある青梅は奥多摩パワースポットへの入り口。

夕日が落ちるのは

ちょっといかり肩の大岳山の左、つづら岩のあたり。

御前山、日出山、御岳山と続いて

日本百名山のひとつ、雲取山。

そして登るのが辛かった川苔山。

縦走が楽しかった惣岳山、岩茸石山、高水山。

 

何万年も前からそこにある山はいつまでそこにあり続ける?

何万年も前から咲き続ける花はいつまで毎年咲き続ける?

 

山の斜面に立って耳を澄ませると

見えてくるもの、聞こえてくるものがあります。

 

落ちる夕日に取って代わって

今日の夜空に昇る月は

どうやら満月の面持ち。

 

自分の無意識に光が当たるような

長い長い光の帯です。

 

 

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結界を張る3つの方法

シーサーは守り神。

 

沖縄ではどこの家にも必ずオス、メス2頭のシーサーが

飾られています。

この2頭のシーサーの間に結界が張られているのです。

 

結界と聞くとおどろおどろしく感じますが

家の鍵を閉めるのも、横断歩道も、駅のホームの白線も

結界と捉えれば自分の身の回りのいたるところに

張られた結界に気づくはず。

 

さて、それでは自分自身の中の結界はどうやって張るのでしょうか。

 

ネガティブな思考や他人からのねたみ、

人間関係のよるストレス。

数え上げればきりのない魔物たちから自分を守る結界を張る方法とは。

 

1)自分の強いところを考える。

トラブルに巻き込まれたり、自信をなくした時には

どうしても弱い自分が顔を出してしまいがち。

そんな時こそ自分の強みを考えるのです。

早起きが得意、人より速く歩ける、人の顔と名前を忘れない・・

何でもいいのです。

自分の弱いところは数え上げたら無数に出てくるでしょうが

強いところはうなって考えなければ出てこないかもしれません。

でもどんな時でも自分の強みを考えられれば結界が張れます。

 

2)他人と比較せず、過去の自分と比較する。

となりの芝は青く見えるもの。

自分以外のたいていの人は幸せに生きているように見えるものです。

そんな周囲の人間を見るのではなく

1ヶ月前、半年前、1年前の自分を見てみましょう。

半年前にできなかった事ができるようになっていませんか。

年始めに掲げた抱負を遂行していますか。

他人ではなく自分と向き合う事を心がけていれば結界が張れます。

 

3)いつも鏡を持ち歩く。

そうは言っても・・と思われる方はまず物理的な結界を張ることで

自信を持つことから始めてみましょう。

鏡は反射の作用があります。

護身のお守りやブレスレットと同じですね。

自分にとって嫌な念を反射してくれると信じて小さな鏡をバッグに。

そんなことから始めてみると不思議なことに

思いもよらぬ効果があるものです。

 

 

さぁこれで貴方の力を邪魔するものはすべてシャットアウト。

いつでもリラックスできる自分だけの空間に守られていることを

実感しながら、なりたい自分に向かって集中力を発揮してみてください。

 

 

 

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ありのままの。

ありのーままのー姿見せるのよ

ありのーままのー自分になるの

社会現象にもなったアナと雪の女王の主題歌。

主人公がすべてから解放されて歌うさまは

小さな子どもから大人までの共感を誘いました。

 

さて、ありのままって?

 

難しいですよね。

だってものごころついてからありのままの自分を出すなんて

とっくにやめてしまっているはず。

今さらありのままって言われても

どんな自分がありのままなのかさえわからないのではないでしょうか。

 

対人関係が苦手、恋愛がうまくいかない、仕事の成果が上がらない、

こういう問題ってすべて自分以外の人間に意識が向かっていませんか。

自分の意見があっても口に出すと誰かから反対されたり、否定されたり。

ひどい時には馬鹿にされたりしてトラウマになっている自分がいたりします。

それが怖くて、わずらわしくて、口に出す前に

「いやいやそんなわけないし」「嫌われたくないし」「怒られるし」と

自分で先に否定をしてしまう。

そんなクセが知らず知らずのうちについてしまって

自分の意見、思考、感情を意識の奥底に沈ませています。

その意識は決して消えてなくなるわけではなく

潜在意識という名前に変わって何層にもなった心の底辺に横たわり続けます。

 

そう、ありのままって潜在意識のことだったんです。

 

この潜在意識をほじくりだして表現すること。

それがあのアナと雪の女王の主人公に皆が共感する理由なんです。

 

このありのままの自分は

過去の出来事、周囲の状況、自分の行動などの記憶、感覚的な印象、感動した思い出、

成功体験、失敗体験・・膨大なデータペースとなって休むことなく稼働しています。

そして夢の中や、とっさの判断、直感的なひらめき・・そんな具合にひょっこり顔を出す時があります。

でもそこにいつでも自由にアクセスして

そのデータを活用しない手はありませんよね。

他人のパソコンのデータをハッキングするわけではなく

自分だけの膨大で貴重なデータなのですから。

 

そこへアクセスする方法は、

根気よく回路を作ることが大切です。

今まで飲み込んでいた意見をその日のうちに自分に対して書き出すなり声に出すなりして表現してみる。

目の前のこと、皿洗いでも雑巾がけでも草むしりでも料理でもなんでも丁寧に無心で取り組んで見る。

腕組みする時、交差する腕を逆にする、靴を履く時の順番を逆にする、駅までの道順を変えてみる、など

いつもと違ったことをしてみる。

それだけじゃない、あなたに合ったいろんな方法があるのです。

人に肯定してもらう前にまず自分が自分を肯定してみる。

その方法に気づいた時、周囲を凍らせるだけではない、温めることだってできる

あなたの特別な能力が開花するのです。

 

応援しています。

ぜひやってみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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罪悪感

「自分が悪いんだ」「すべて悪いのは自分」「私は悪いことをしてしまった」

大きな社会的な罪ではなく、日常生活でそんな感情を感じる時、いや感じさせられる時がありませんか。

 

罪悪感を持たされた人は幸せになってはいけません。

毎日を笑って過ごしてはいけません。

罰を受けるのが当然なので、人から攻撃されても防御も反論もしてはいけません。

 

そんな感情を植え付けられた人間は「何かしてあげなければ」という感情を持たされます。

はい、そこで主人と奴隷の関係が成立します。

 

奴隷は自分を肯定してはいけません。

主人に対していつも恐れを抱いていなければなりません。

 

ある時は咳払いひとつで、またある時は陰湿な目つきで、ドアの開け閉めで

主人はいとも簡単に奴隷の恐怖を煽ります。

 

そんな奴隷が持たされた罪悪感を「無罪」にするためには・・

 

あなたがあなたでいること

 

そう、いつもどおりの愛情深いあなたでいること。

罪の意識を取り込まないこと。

あなたが苦しんでいたら周囲の人も幸せになれないことを理解すること。

 

「あなたのために」

ではありません。

「あなたがあなたでいるために」

です。  

 

「あの人のために何かをしてあげなければ」という感情はあなたがフィルターをかけてみているストーリー。

フィルターを外してみてください。

その物語は、主人公のあなたが「私が私であるためにこうしよう」というストーリーに生まれ変わります。

 

あなたの人生という小説の作者は

あなた自身なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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鏡の中の自分

手相カフェ・テオは2016年2月に一周年を迎えました。

写真はその時記念品としてお客様にお渡ししたコンパクト・ミラーです。

なぜ鏡を選んだのか・・

今日はそれについてお話ししたいと思います。

 

鑑定をしていてよく質問されることのひとつに

「あんな思いやりのない夫を変えることができるでしょうか」

「口うるさい母親を変えることができるでしょうか」

「何をしても自信のなさそうな子どもを変えることができるでしょうか」

などの「変えることができるでしょうか」シリーズがあります。

私は「できません」と答えます。

でも変えることができるたったひとつの方法を

この鏡の中に封じ込めてお渡ししました。

 

こんなふうに書くと「インチキ占い師」のレッテルを貼られてしまいそうですが

鏡はいたって普通の鏡です。お金もいただいてはおりません。

 

パカンと開けるとまずあなたが映ります。

左右の眉毛はきちんと対称に描けているでしょうか。

口のまわりに食べた物がついていたりはしませんか。

鏡をのぞきこんで確認します。

あら、たいへん!眉毛描いてくるの忘れちゃった!

とあわてて直そうとするのは鏡の中のあなたではなく

鏡をのぞきこんでいるあなたです。

鏡の中のあなたに眉毛を描いても

リアルなあなたは何も変わらないのです。

もうおわかりですね。

 

人は自分の中のコンプレックスや不快に思うこと、自信の無さを

無意識のうちに他人の中に見いだしています。

わかりやすく言うと「自分を棚に上げて」です。

ご主人に思いやりがないのも、親が心配性なのも、子どもがおどおどするのも

すべて自分の中にある、自分を許せない要素です。

それを自分が意識の奥のほうにしまい込んでいることを

まるで気がつかないふり、いいえ気がついていないのです。

 

眉を描き忘れるあわてんぼうだけど、ナチュラルな眉毛もなかなかいいかも!

夢中になってかぶりついたおにぎり、おいしかった!

と自分自身のその時の感情を大切にして

もう一度鏡をのぞき直してみてください。

自分自身を好きになって何度も鏡を見て

自分自身と対話をしてみてください。

 

人を変えようと思ったら

まず自分自身が笑顔とポジティブな思考を持つことです。

自分自身を好きになることです。

あなたが人に対して不快に思っていることは

まるで自分には無いようなふりをして

抑え込んでいる一番嫌いなネガティブな自分なのです。

 

 

リアルなあなたが変わらなければ、鏡の向こうのあなたも変わりません。

もちろん人も変わりません。

 

鏡はあなたを取り巻く人生そのものなのです。

 

 

 

 

 

 

 

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TGIF

Thank God, It's Friday!

今日は金曜日。

長かった一週間も終わり、やっと迎えた週末。

飲み会でしょうか、それともネットサーフィン?

 

4月からは新しい年度が始まります。

新入学生、新社会人もまた新しい人間関係を築いてゆくことでしょう。

 

さて新しい環境の中で、目的意識をもって始める生活。

人間関係でストレスを抱えたくはありません。

そのためには何を心がけたらいいのでしょう。

 

私はまず第一に

自分のものさしを持つことをお勧めします。

 

「人からどう思われているか」ではなく「自分はどうしたいのか」

「こんなことを言ったら嫌われないか」ではなく「どうしたらきちんと伝わるか」

人のものさしで自分を測ることはできません。

この1年のスタートでmyものさしを持つか持たないかの違いは大きいです。

 

大人になったあなたは人の価値観で生きていくのではありません。

自分の中で自分自身の価値観を築き、

人からほめられることを期待する自分を卒業してみてください。

 

きっと視界がひらけてくるはずです。

 

 

 

 

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やだな・・と思ったら

今や国民の名刺代わりとでも言うべきfacebook。

リア充が詰まったこのSNSに辟易している人が多いようです。

facebookを開くたびに

投稿者のリア充と自分の生活の格差を感じ

襲い来る自己憐憫の感情と闘う羽目になる人も。

 

facebookを通じて繋がる友達は

毎日会う友達でもなければ、親友でもない人達がたくさんいます。

そのコミュニティの中で受ける快、不快があるとしたら・・

 

もちろんリアルな生活の中でも

「この人やだな」と感じる人と

「この人といると時間忘れるわ」とか「元気になれる」と感じさせてくれる人がいますよね。

 

今日お伝えしたいのは、

自分にとって不快な関係は疎遠にしていきましょうということ。

なぜならその不快の渦に巻き込まれると

どんどん自分が価値のない人間だと勘違いさせられてしまうからです。

 

不快な人というのは

自分自身に対しての評価の低い人。

一見自信満々でプライドだけが高く

他人を批判したり、差し置いたりすることで

自分の価値を高めようとします。

 

周囲を見回してみてください。

何かにつけ文句を言っている人はいませんか。

自分自身の考えや価値観ではなく

ステータスや持ち物、家族を自慢ばかりする人はいませんか。

そんな人がいたらそっと距離をとって

決して巻き込まれないことが大切です。

 

写真は登山口に張られた結界です。

不快なものが近づけない目に見えない結界を張るたった一つの方法は

自分自身への評価を高めることです。

 

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残念な手相

手相鑑定をしていると

「娘はこの先大丈夫ですか」「息子は将来幸福になれますか」

そんな質問をよく受けます。

はい、わかりません笑。

 

詳しく言うと、

わからないわけではないけれど、ご自身の手相から子どもの将来を

わかろうと思った時点でアウトです。

娘さんや息子さんの人生はあなたの人生ではないからです。

もっと詳しく言うと、そんな心配が子どもさんを不幸にしてしまうということです。

これは「心配のタネ」というタイトルのブログを読むと

ご理解いただけると思っています。

 

この心配のタネの被害に遭われたお子さん達が

そのまま大人になってどれほどの苦しみを抱えていることか。

 

お子さんが幸せになるためには、お子さん自身のエネルギーが必要です。

おぎゃあと産まれたその時には生きるエネルギーに満ち溢れているのです。

そのエネルギーを吸い取るのが親の心配です。(心配だけではありませんが)

お母様がいくら心配しても幸せにはなれません。

それどころか心配すればするほど幸せが離れて行くとわかったら・・

そう、お母様自身の問題である心配のタネから育った苗を一日も早く

摘み取ることがお子さんの幸せにつながってゆきます。

 

お母様がしなければいけないことは心配ではなく

あの無垢なエネルギーに包まれた産声を聞いた瞬間に思った

「生まれてきてくれてありがとう」

という思いを持ち続けることだと思います。

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人生を動かすとき

公園の丘に立つ金木犀の大木の向こうに夕陽が沈みます。

 

臆病なマメタが真夜中に腹痛で苦しむジサマのために

勇気を出して夜道を医者を呼びに駆ける。

勇気を出したマメタが見たものは

今まで見たことのなかった

暗闇に光が灯るモチモチの木だった

という物語を思い出しました。

 

私は月に一度だけ営業するカフェをやっています。

まだレンタルスペースを借りてのトライアルです。

毎回毎回が試行錯誤の連続で

失敗ばかりの素人カフェです。

 

このカフェを出店する前は

ぼんやりと「自分が生涯関われる何かをやってみたい、な〜。」と

空想していただけで、このもやもやした形にならない考えは

いつも通り意識の底深くに沈んでいく予定でした。

 

そんなある日、

たまたま、本当にたまたまSNSで目にした

「古民家を自分たちの手で改築してレンタルスペースを作ろう」の投稿。

今思い起こせば、

自分のどこにそんな行動力があったのだろうと

不思議になるくらいの素早さで参加に名乗りをあげていました。

年代も違う、まったく見ず知らずの集団の中にたった一人で飛び込むなんて

今までの私には考えられないことです。

 

 

人は誰しもが何かの能力を持っています。

でも、自分を信じることができないと

その能力を見つけることも、気づくこともできずに

悶々とするのです。

「何をしたいのかわからない」

「進むべき道がみつからない」

それは自分を信じていないから。

 

自分を信じるというのは

リスクを取る勇気を持つことではないでしょうか。

 

敷居をまたげば七人の敵ということわざ通り世の中はリスクだらけ。

でもそのリスクをひとつひとつ検証してみれば、すべて自分の心の中に潜んでいる自分否定な思考ばかりだったりします。

 

上司に叱られたら・・

友達に裏切られたら・・

お客さんが来なかったら・・

どんどん湧き出る不安と失敗の仮説を立てると、もうそこで足がすくんでしまいます。

人が何かにトライする時、自分が傷つかないように最悪の状況を思い描くのは防衛本能。

当然の事です。

でもそれと同時に

こんなことをしたらこんなに喜んでくれる人がいるはず

という仮説も立てられますよね。

そのプラスの仮説で勇気は沸き起こるのです。

 

もちろんリスクを取ることを選択したわけですから

心折れたり、ズタボロになることだってあるでしょう。

でも、「勇気を出した」という事実は

何物にも代え難い自信となって自分の真ん中に根付きます。

心が折れたら次はどうしたら心が折れないかを考え、実行すればいいのです。

 

人生は選択、決断、行動のくり返し。

進むか、とどまるか。

 

進むことを選択したその時から。

 

なりたい自分への人生は動き出すのです。

 

 

 

 

 

 

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自らを輝かせるものは他人の中にある

自然は緻密で壮大なクリエイターだ。

 

吐く息も白い寒い朝、

草の先端にダイヤモンドに劣らぬ輝きを放つ氷のしずく。

そのきらびやかなジュエリーを身にまとった草は

朝日を細胞内に取り込んで

氷点下の寒さの中でも青々と若返ったかのようだ。

 

自らを輝かせるもの。

それは自分の内包する能力であることはもちろん、

その能力に外的な作用が生じてこそ初めて輝きを放つ。

 

たとえば・・・

オリンピック選手。

同じ競技で闘う相手がいるからこそ

自らの能力を発揮し、切磋琢磨した結果、人に感動を与え輝くことができる。

医者はどうだ。

病気に苦しむ人がいるからこそ

知識を高め、技術を磨き、尊い命を救うのだ。

そんな特殊な能力がなくったって

環境保護、教育、国際交流、夫婦になること、子どもを産むこと、天寿をまっとうすること・・・

そう考えるとすべての人間の存在がダイヤの原石と考えられる。

 

人生で意味のあることは

社会が「価値のあるもの」と捉えていることに貢献することだ。

その「価値のあるもの」は私達全員が包含しているものであり

お互いが与え、受け取れるものなのである。

 

道端の草に降りたからこそ

凍てつく朝に光り輝けた夜露。

その草もまた、夜露のダイヤを身にまとい

自らを輝かせているように。

 

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実体のない影

すっかり腰が曲がってはいるが、しっかりとした足取りで歩く。

シルバーカーの助けを借りてはいるが、目的をもった足取りだ。

 

老女の長い長い人生の足跡と同時に

これからの自分の人生に思いをめぐらせる。

歳を重ねれば重ねるほど

影のように襲い来るであろう喪失の哀しみ。

家族を失うかもしれない、夢や希望を失うかもしれない、

信じていた友人に裏切られたり、

お金や仕事、健康や身体的機能も徐々に失われていく日々を呪うかもしれない。

受け入れがたいことに

怒りに身を震わせることも、泣き叫ぶことも、

すべてをシャットアウトすることもあるだろう。

 

それでも日は昇り、一日が始まる。

シルバーカーに買い物袋をぶらさげ、

生きてゆくために老女は歩く。

 

すべてを受け入れた時

実体のない影に怯えることもなくなる。

 

これから何を失っても後悔のないように

しっかりと自分の影を落としながら

今を生きてゆくために歩く。

 

 

 

 

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バランス

今日も一日が終わり陽が沈む。

金色の夕陽が空を幾重にも彩る。

 

地上では寒さの中でも青く茂る葉が色を失い

山々がシルエットになり

夕陽をフレーミングしてゆく。

 

明と暗、陰と陽、光と闇のバランスの中に身を置くと

迫り来る闇への恐怖と

やがて明ける光への安堵が折り重なる。

 

闇があってこその光、女があってこその男、裏があってこその表。

誕生の喜びには死への悲しみがつきまとう。

どちらも決して欠けることのない森羅万象の法則。

完全無欠のバランスだ。

 

 

一瞬も止まることなく

刻々と変化する自然界の抜群のバランスを保つ秩序に気づく時、

絶望の後には必ず希望がやってくることにも気づくのだ。

 

夜が長ければ長いほど、闇が深ければ深いほど

希望の光は眩しく明るい。

 

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ダルマさんとにらめっこ

燃え盛る炎の中に放り込まれるダルマたち。

 

そう、昨年頑張って両目が入ったダルマさん達が

目出度く御役御免で供養されているのだ。

 

炎で顔が熱くなるのも、目が乾いて閉じれなくなるのも忘れて

じっと見入る。

 

めらめらと燃えてゆくダルマとにらめっこしながら

自分の腹わたから取り出してこの火の中に放り込みたいものが

あるのに気がついた。

 

「思い込み」

 

いちばん厄介で消し去りたい私の中の負の産物だ。

 

過去の記憶の中で刷り込まれた

削除したはずの不要なデータに付随して湧き上がってくる。

 

カッとなって思わず反論したい時、

思いもよらない言葉に凹む時、

コミュニケーションがうまくとれない時、

自分がみじめに思える時。

そんな時に条件反射で頭をよぎる

自尊心の裏返し、防衛本能のすり替え・・

 

こうでなくては、

こうあるはずだ、

私はわたし、

しょせんこんなもの、

どうせそうだろう、

私さえ我慢すれば・・

 

支離滅裂で本当の自分はどこへやら。

 

ダルマさんとにらめっこをしながら考える。

 

そうか、なるほどね、そういう考えもあるんだね、

ちょっと待てよ、私は何のルールに縛られてる?

私の常識はあの人にとっても常識か?

 

こんな問いかけを自分にしながら

去年の小さなダルマを

炎めがけて思いっきり投げこんだ。

 

今年は一回り大きなダルマを買って帰ろう。

 

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自分が自分であるために

南に面した山肌にはすっかり雪がない。

降り積もったまま、

まったく溶ける気配のない北面に立つ。

 

人工的な音が何もしない山の中では

吹く風が木から木を伝わって

冷気とともにゴォーっという音が回っている。

 

一本の木になってみる。

 

抗うでもなく、倒れるでもなく

吹く風に共鳴できるだろうか。

 

寒いと弱音を吐くでもなく

南面の木を妬むでもなく

不動で立ち続けられるだろうか。

 

枝の中に冬ごもりのために巣食った虫をついばみに来る鳥を

追い払うこともせず、

春の芽吹きを信じることができるだろうか。

 

音を感じ、風を感じ、

手袋もしていない手のひらの感覚がなくなる頃

ひとつの答えが降りてくる。

 

この場所を選んで根を張り、枝を広げ成長してきたのだ。

 

春は必ずやって来る。

 

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本当の自分に出会う旅

お堂にひと足踏み入れて息をのむ。

 

秋田男鹿半島の真山の麓にある真山神社。

なまはげで有名なこの神社に

一万三千体の木彫小仏が壁一面に納められているお堂がある。

 

手相をじっと見ていると

手のひらが語るストーリーが浮き上がってくるように

一万三千体の仏像が私に語りかけてくるようだ。

 

一人ひとりの手のひらが違うように

木彫の仏像もまた一体一体違う表情を持っている。

 

ひとつひとつ表情を見ていくと

ここにも私、あそこにも私がいる。

 

喜びも悲しみも妬みも怒りも

一体ずつの感情が丁寧に供養されているのだ。

 

まさに一万三千人の自分に出会う旅。

 

あまりにも有名ななまはげの影に隠れて

人っ子ひとりいない忘れ去られたようなお堂で

こんな出会いがあるとは。

 

自分の中の幾通りもの自分。

昔の自分、今の自分、未来の自分。

怒っている自分、泣いている自分、笑っている自分。

旧知の自分、見ず知らずの自分。

その一人ひとりに挨拶をするように

三方の壁に納められた仏像と会話をし

なぜか深い安堵を覚えて下る山道。

 

 

 

 

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心配のタネ

どこから飛んで来たの。

心配のタネ。

一つの袋の中に無数のタネが入っていて

心の中ではじけると確実に根付いて

気が付くと小さな心の中はあふれんばかりの心配の芽でいっぱい。

 

「ハンカチは持ったの?」

「雨が降るから傘を持っていきなさい」

「宿題はやったの?」

母親として当然と思えて実は呪いの言葉たち。

お母さんは心配してるのよ、あなたのことを。

そんな呪文を唱えながら

小さな心に無数の心配のタネを植え付ける母親たち。

 

「ほら、ハンカチを持っていなかったから困ったでしょ。」

「ほら、雨が降ったから傘が役に立ったでしょ。」

「ほら・・・」

 

子ども達から「自分で考える」という大事な作業を奪って

自分の心配を我が子になすりつけ、安堵する。

心配のタネを植え付けられた子ども達は

「あぁ、お母さんの言うことを聞かなかったから」

「やっぱりお母さんの言うとおりになった」

と不安の答え合わせをして心配のタネを大事に育てて

大人になってゆきます。

 

今年の目標は何ですか?

 

目標を達成するためには意思の力が必要です。

意思は筋肉と同じで

鍛えなければ役に立ちません。

運動不足でいきなりフルマラソンは走れません。

まずはストレッチから。

2km、5kmと距離を伸ばして行きましょう。

意思を鍛えるのも同じ。

一年の目標の前に明日の目標、一ヶ月の目標を立てましょう。

未来の事を心配する前に目の前の事に集中しましょう。

 

心配のタネを植えつけられた人は

自分の中で立派に開花した心配の花のタネを

よかれと思って他の人にも植え付けます。

こうして心配のタネはどこまでも遠くへ飛んでゆきます。

 

どこからでも飛んで来る心配のタネが

自分の心に根付かないように

意思の力を鍛えましょう。

 

さぁ、今年の目標は?

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カオスの中の秩序

ご存知、渋谷のスクランブル交差点。

外国人観光客も驚く観光名所となっている。

「It's crazy!」と叫びながら写真や動画を撮る外国人。


この一見カオスのような交差点。

事故も起こらず、転ぶ人も見かけない。

源平の合戦のように押し寄せる歩行者同士は整然とした秩序をもって

障害物を避け、ぶつかることもなく交差点を縦横無尽に渡り切る。


生まれて初めて覚えた交通標記、青は進め、赤は止まれ。

黄色の次は赤になるから少し急いで、周囲に注意して。

そうそう、危険を予測することも大事なこと。


避難訓練では「押さない、駆けない、しゃべらない」なんて教わったっけ。

幼稚園ではおもちゃを譲り合うことも覚えた。

小学校では思いやりを、コミュニケーションを。

中学校では部活動を通して最後までやり切ることの大切さ、チームワークを。

高校では目的を持つことを。


 

毎日の生活も同じ。

めまぐるしい日常で起こる出来事に

個人個人の知識や考え、行動がちゃんと体系付けられていて

たいていの事はこなしてゆける。


カオスのようでカオスじゃない。

センター街へ、駅へ、道玄坂へ。

知力と行動力を総動員して目的地へ。


目的さえしっかり持っていれば

幼い頃に学んだことを駆使して

道は開ける。


学校で学んだことは学問だけじゃない。

生きることを学んだのだということを思い出したスクランブル交差点。

 

 

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親が完璧だって誰が決めた?

cafeころんの庭にあるツリーハウス。


まっすぐとか平行とか均等とか、

左右対称とか垂直とか整列などといった言葉が

まったく通用しない。

同じ長さの木材は2本とないし、角度もバラバラ。

それでも上に登ってみると抜群の安定感。

なんて不思議!


人間もそうだ。

完璧なんてありえないシロモノを追求している人はいつも不安を感じている。

他人のものさしを借りて寸法を測っているのだから不安定きわまりない。


誰しも小さな頃は親の言うことが絶対で

親こそが完璧なものだと大きな勘違いをして育つものである。

でもある日、気がつく。

「親だって人間じゃん。」

その気づきのチャンスを失って大きな勘違いをしたまま大人になると

完璧主義人間の誕生である。


完璧なようでいていとも簡単に壊れるハリボテだ。


直角を保ちたかったら自分は70度を負担しよう。

あとの20度は誰かにおまかせだ。

自分が完璧でないことを認めることができた時、

相手の欠点をカバーする人間になれるだろう。


cafeころんの象が乗っても壊れそうにないツリーハウスは

直線でも直角でもない大木の持つ個性に寄り添って

びくともしない安定感を保っている。

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みてみて!

熊目撃情報!

こわごわとハイキングコースを歩いてみる。

無計画の極みで臨んだツケが回り、雨は降ってくるし、日は暮れてくるし。

本当に熊と出会いそうな状況になってきたので行程を半ばであきらめて脇道へそれ、JRの駅へ。

 

みてみて!

無人駅の改札。

遠くから高い切符を買って来た人にはなんとも「甲斐のない」改札である。

直立した見なれぬ改札機。その後ろにはひっそりと切符回収箱と書かれた箱が。

誰もいないし、誰も切符を受け取ってくれないのははなはだがっかりなものだ。

 

人は多くの場合、みてみて!という欲求を持っているものである。

頑張った自分を誰かに認めてもらうことで

目標達成を達成した時の大きな自信となってゆく。

成長の根幹となっているといっても過言ではないくらいだ。

 

しかしそのみてみて!の裏側にある真理にお気づきだろうか。

「誰か」に認めてもらう=他人からの評価

大幅なポテンシャルを見込める発育段階の幼少期においてはそれもいい。

しかし成人して、社会人となって目標を持った時、

「誰かの評価」に振り回されているとたいていの場合、自信の喪失につながってゆく。


「自分の評価」のものさしの目盛りは人からの「偉かったね、がんばったね」ではなく

「ありがとう」と感謝された時にマックスになるのではないだろうか。


人の役に立つこと。

困っている人を助ける、社会の発展に貢献する、悲しんでいる人の心の支えとなる

何でもいい。

自分の行動が、発見が、発明が、アイデアが、文章が、歌が、料理が、そして何より

自分の存在が誰かの役に立って「ありがとう」のコトバをもらえたら

「誰かの評価」が「自分の評価」に変わり

人は初めて自分自身の人生を行きている実感を持てるのではないか。




この無人駅の無言の切符回収箱も切符を入れたら「ありがとう」のひとことが

流れたらいいのにね、と思いながら小さな秋の遠足を終了した。





 

 

 

 

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逃げ道を断とう

「もうトシだから」「時代が変わったから」「昨日寝てないから」「お金がないから」

何かをやろうとする時、必ず頭をもたげてくるのがこの言い訳。


失敗しても「自分」のせいではなくなる魔法のコトバ。

成功したら「こんなハンデがあったのに」と自己評価も倍増。

こんな万能な言い訳だから誰もが使いたくなってしまうのもうなずける。


一方でこの魔法のコトバが常習化すると

問題に立ち向かう意欲が薄れてきて現実逃避ばかりするようになる。

自分の本当の能力や意欲を向上させることなく

真の達成感や満足感を得られないまま、

不安を山積みさせるだけの忌まわしの呪文となる。


何かに立ち向かう時にこのコトバが口から出たらご用心。

安心できるのはその時だけ。

プライドが保てるのはその時だけ。

自分を守れたように思えるのはその時だけ。


この呪文を唱えている限り

不安を根こそぎ断つことにはつながらない。

自分の背後に山のような不安を積み上げる作業をコツコツとしているだけなのだ。


自分への言い訳を用意しないことが

真の自分と向き合って成長できる最良の方法であることを覚えておこう。

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意味のある偶然

やっと出会えた。

以前から気になっていたビール、「東京ブルース」。

連休の最終日、福生の石川酒造まで出向いて、

いよいよ名前負けしていないか確認する時がやってきた。


敷地内のレストランや蕎麦処はすでに満員御礼。

かまわない、このビールに会うためだけにやってきたんだから。


売店で購入し、テーブルや椅子が置かれている木陰のガーデンへ。


シュポン。

オレンジの甘い香り。

一口飲むとその香りとは裏腹なドシンとした重み。

喉にフェイドアウトしていくグレープフルーツのような苦味。

「東京ブルース」の名にふさわしい。


あぁ、わざわざ醸造元まで来ただけのことはある。


なぜか誰も来ない静かな木陰のガーデンで味わう「東京ブルース」は

まるで今まで歩いて来た人生を反芻するかのような五感で味わえるビールだった。







さて、精神を思い切り開放し、満足して出口に向かうと「個展」の文字が目に飛び込んできた。


酒瓶が転がっている絵画のフライヤー。

あぁ、きっと絵を観たらもっと精神が喜ぶに違いない。


階段を上るとwoodyな建物はさすが酒造の蔵らしい。


ひと目で福生とわかる大ぶりの絵。

母子をテーマにした絵、裸婦、童話の挿絵、静物画、デッサン画・・

順々に堪能していると

製作者である画家の大山瞳さんとお話することができた。


飲み物やお菓子まで用意されていて

蔵に流れる音楽、絵画、照明、かすかな絵の具の匂い・・

五感をフル稼働させながらここでもまた精神が開放されていくのを感じることができた。


この個展を訪れたのはきっと「意味のある偶然」。

さてさて、大山瞳さんの個展ではお土産に素敵な作品のポストカードまでいただいて、

駅までの大きな幹線道路16号沿いを歩き始める。

ダンプがバンバン走るこの道には商店と思しきものはない。

と思ったらこれが摩訶不思議なお店が店先の商品に隠れるように1軒だけたたずんでいた。


上を見上げると「HAPPY COMPANY」とかかれている。

普通だったらきっちりと閉められた戸を開ける勇気が起きないような店構えだ。


それでも何か妖気のような、いや陽気だろうか、

なにかの気を感じておそるおそるドアを開ける。


意外にも中から店主の「いらっしゃいませ」ではなく「こんにちは、こんにちは!」の

明るい声に出迎えられる。


小菅村の村営住宅18,000円の物件に住むというスキンヘッドのこのご主人、

いつもは夜7時に店を開けるというのにこの日はたまたま5時に店を開けていた。


古着とアクセサリー、雑貨を扱うこのお店、なんと夜7時から夜中の3時までの営業という。

「なぜ夜?」の問いかけに「夜眠れない人のために」の答え。

あぁ、やっぱり。

私の五感は、いや六感は正しく作動していた。


通りすがりの冷やかし客である私に

旧知の知人であるかのようによもやま話をしてくれたこのご主人のお店のドアを開けたのも

私にとって「意味のある偶然」。



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prepared mind

ノーベル生理学・医学賞を日本人が受賞。

ニュースで受賞者の大村氏がインタビューで「prepared mind」という言葉を口にしていた。


「あ!それ!」

私自身がいつも心に留めていること。


「偶然は構えのある心にしか恵まれない」


偶然をどうやってモノにするか。

意味のある偶然は「prepared mind」を持った人のみに訪れる。

つまり、チャンスってやつはゴロゴロしていて、どこにでもあるのに

アンテナを張っていない人は気づかずにスルーしてしまい、

常にアンテナを高くもって受信状態を良好にしている人はそのチャンスを逃さない、

ということである。


博士はお財布の中にいつも土壌採取用のビニール袋を携帯していて

どこに行っても土壌を採取するのを忘れなかったという。


博士の高く張り巡らしたアンテナが一握りの土の中の微生物から

3億人もの人間を救うチャンスをもたらしたのだ。


私が手相に興味を持ったのは

長い通勤時間を読書して過ごすため、

ブックオフでふと手にとった100円の手相書がきっかけである。


あの時立ち寄ったブックオフで

100円で手に入れた偶然から伸ばしたアンテナは

いろいろなものを受信した。


あの瞬間、今はないあのブックオフ、そしてあの100円。

それらは私にとって意味のある偶然の連鎖だったんだと

実感している。

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岐路に立つ

どちらの道に進もうか。

誰しも人生の岐路に立つ時が来る。


迷い、不安が邪魔をして

進む道が見えなくなる。


右?左?まっすぐ?

それとも今来た道を引き返す?


迷いや不安は問題解決の第一歩。


気の済むまで悩んでみるといい。


他人の評価や基準や思惑を寄せ付けず

苦しいと思うほど悩んでみるといい。


自分の弱みを思う存分吐き出してみるといい。


からっぽになった自分をちょっと離れて見てみると

弱みだけじゃない自分が見えてくる。


進む道が見えてくる。



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一人だけの時間

現代社会は孤独を避けるためにいろいろなものが用意されている。


一人暮らしでも家に帰れば、インターネット、テレビ、メール・・

気ままに誰かと繋がるツールがあって時間を紛らわせてくれる。


それは決して悪いことではないけれど

自分と向き合う時間からの逃避とも言える。


忙しい、忙しいと動きまわることばかりに終始していると

客観的に物事をみることができなくなってくる。


まるでハツカネズミが狂ったように回し車の中を走るがごとく

目の前の作業しかできずに、周囲が見えなくなる。


トンネルの入り口から遠くの出口の光をとらえ

最初の一歩を確実に踏み出す。


そして長い暗闇の中で自分と向き合いながら孤独と親しむ。


それを十分に楽しむことができる人こそが

このカオスのような現代社会の中でも

自分を見失わず、価値のある日常を構築していけるのだ。


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手を合わせるとき

お寺や神社へのお参り。

あなたは何を思いながら手を合わせますか?

「試験に合格しますように」
「家族全員が健康でありますように」
ほとんどが七夕の短冊に書くお願いごとのたぐいではないでしょうか。
困った時の神頼み、誰でも経験があります。

でも今度お参りするときに
ひとつお勧めしたい手の合わせ方があります。
それは他力本願のお願いごとではなく、ただ感謝するだけ。

手を合わせた時に
「試験に合格させていただきありがとうございます」
「家族が皆健康でありがとう」
なんでもいいのです。
そうするとほら、こんないいこともあった、あんな嬉しいこともあったと幸せの再確認ができます。 
できないことや未来の不安を確認する思いを抱くより、ずっと気持ちが前向きになります。
幸せをつかむことができたのは貴方自身の努力のたまものです。
それを神様に感謝するという行為で確認するというわけです。
悪いことが起こっても良いことが起こっても
それは神様のせいでもおかげでもなく貴方の行動の成果なのです。

さぁ、今度はお寺や神社の賽銭箱の前、大きな鈴をガランガラン鳴らして
堂々とご自身の努力の成果を数え上げ、神様に報告してみてください。


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ラッキーのタイミング

「あの人どうしてるかなぁ」なんて思った時に、

偶然その人から電話がかかってきたり、メールが入ったことはありませんか。

 

「新しい仕事を始めようかなぁ」なんて考えていた時に、

偶然ばったり会った友人から仕事の話が舞い込んだ、なんてことは?

 

偶然とは思えないほどタイミングよく幸運が舞い込む時は

きっと貴方の強い意識が高まっている時です。

 

最初は小さなことから始まり、

それに気がついて自分の意識を高めていくと

もっとそれがひんぱんに起こるようになります。

 

その小さな偶然とも言える「よいタイミング」に

敏感に気がつくことが大きな必然につながってゆくのです。

 

意識のアンテナをピンと張って歩いてみてください。

タイミングは向こうから貴方を探してやって来ます。

 

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最高の自己紹介

私は人のことを知ろうと思う時、2つのことが気になります。

 

「行動」しているか。

その人自身の「目」でものを見ているか。

 

口先だけで決意表明することは誰にでもできますが、

行動に移すとなるとそう簡単にはいきません。

 

勇気と決断力が行動となった時、初めて人に気持ちが伝わると

考えるからです。

 

 

「お金がないから」「頭が悪いから」「時間がないから」と

自分への言い訳ばかりを探していたり、

他人からの評価ばかりをうかがっていると

自分の「目」でものが見えなくなります。

他人の目を通して見たものを、

さも自分の「目」で見たかのように

錯覚してしまいます。

 

自分の「目」で見たものを形にすることこそが実現。


自分がやりたいと思ったこと、わくわくすることを

行動につなげてみてください。

単純なことでも、毎日毎日信念を持って続けてみてください。

 

きっと自分の思いは人に伝わります。

 

貴方のことを知ってもらう最高の自己紹介だと思います。

 

 

 

 


 

 

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司令官は自分

「早く支度しなさい」「これ明日までにやっておいて」「ちゃんと勉強しろ」

何気ないこんな言葉、言ったり言われたり。

人に命令するのもされるのもいい気持ちはしません。

 

でも!

自分が自分に命令するなら誰にもいやな思いもさせず、

その結果が自分にも他人にも良い結果をもたらす効果がある!

そう!

その瞬間に自分の性格を希望通りに変えられるのは自分自身なのです。

 

毎日、毎日噴き出してくる不安、心配、怒り、不満、悲しみ。

その根源が自分の脳内にあるのだから、

その脳でいくら解決策を考えたって答えが出てくるわけがない。

 

自分の潜在意識に命令できるのは自分だけ。

 

でも自分でも意識していないから潜在意識。

その潜在意識を操作するなんて

これは他人にものを言うより難しい。

 

腕を組む時、どちらの腕が上になりますか。

靴を履くときはどっちの足から?

 

そんな日常の動作もすべて潜在意識に支配されています。

 

試しにやってみてください。

朝、玄関を出る前にいつもと違う足から靴がはけるかどうか。

自分の意思で自分の意識に命令するってそういうこと。

 

これでいいのかな、私大丈夫かな、と不安が不安を呼んで

いつまでもこころが晴れないのはそんな思考のクセがついているから。

そしてそれを変えられないのは、

そう考えるのが毎朝同じ足から靴を履くのと同じようにラクだから。

 

試しに考えてみてください。

これでいいんだ、私は大丈夫って。

 

何十年も同じ足から靴を履いてきたのを変えられないように

何十年もかけてつけてきた思考のクセは強い意思がなければ

なかなか変えることはできません。

今日出来たって、明日にはころっと忘れてまた同じことを考えている。

 

でも人に命令するより、人から命令されるより

ずっと良い結果をもたらすのは

自分で自分に命令することなのです。

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私の超リラックス方法

手相鑑定はとても集中力を必要とします。

 

最初はざわざわとした周囲の話し声や音楽が耳について

線が読めないのですが、ほんの数秒でまったく何も聞こえない状態になり

手相が浮き上がって見えてくるのです。

それからはその方のヒストリーが語りかけてくるといったイメージです。

 

日頃そんなふうに集中力を酷使しているせいか

無性に精神を解き放ちたくなる衝動にかられます。

 

そんな時は近くの山に登ります。

人はほとんどいません。音もありません。

 

いつものように一気に登り、見晴らしの良い場所の大木を背に寄りかかります。

目は遠くの稜線へ、口はたぶん半開き、

もしかしたらよだれまでたらしているかもしれないぐらい。

手足はだらしなく放り出し、絶対人には見せられないと思うほど弛緩した状態。

 

するとその半開きになった口から勾玉の形をした私の魂がすうっと出て

目を向けた先の稜線へと飛んでゆきます。

その勾玉の形をした魂は木々の間をくるくると回り、

苔むした岩の水分を吸い、

ひらひらと散る葉や花をかいくぐり、

落ち葉の下にもぐり、

山の中の精気を存分に吸い取って

出た時と同じようにすうっと音もなく私の口から体内に戻ります。

 

魂が戻ってくると、かすんでいたような目や頭の中に酸素が満ちたように

クリアになり、身体が軽くなり、なんとも言えない爽快感が体中に

満ちるのです。

 

ある日、そんなことを初めて人に話したところ「それは瞑想ですよ」と言われ

はっとしました。

 

瞑想だなんて意識したこともなく、ただただパンパンになった頭を抱えて

山に登り、座り込むだけ。

 

これが瞑想だとしたら、きっと誰にでも簡単にできることではないかしら。

 

人は常に頭の中で考えています。

「お昼は何食べよう」「今日の仕事の段取りは」「電車の中で大声で話すな」

次から次へと自分の意識がひとりごとをつぶやいています。

そんな雑念だらけの頭の中をクリーニングすると

集中力と行動力がよみがえります。

 

人によって方法はさまざまだと思いますが、

眠ったわけでもなく、食べ物を食べたわけでもないのに

身体中に満ちるあの感覚は何なんでしょう。

 

皆さんの瞑想の方法をぜひ教えてください。

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誰かの役に立つこと

ほんの少し水面から顔を出した意識の上で

あっぷあっぷしながら潜在意識の海でほぼ溺れかけている日常。

 

誰かの役に立っていますか。

 

誰かの役に立っていることを実感するって力がみなぎってきます。

 

でも、寝たきりのお年寄りや赤ちゃんは

誰かの役に立つ行為や行動なんてできません。

それでも小さい時の自分を可愛がってくれたおばあちゃん、

生まれたての泣いてばかりいる赤ちゃんだって

立派に周囲の人間の役に立っています。

それは「存在」。


そこにいてくれるだけでいい「存在」。

 

自分は誰かの役に立つ「存在」になっているのかな。

 

家族の中では出来の悪い「存在」だったり

おりこうさんでなければほめてもらえない「存在」だったり。

 

とても「存在」だけでは自分が人の役に立っているとは思えません。

 

だから一生懸命行動します。

誰かのささやく「あなたのため」という言葉の裏に隠された

「わたしのため」という事実に気がつくこともなく、

ほめられたい一心で、認めてもらいたい一心で。

 

それは「自分のため」の人生ではなくて「誰かのため」の人生を

生きているということ。

 

「存在」だけで誰かの役に立っていることを実感するたったひとつの方法。

 

それは、家族の中でも、友人の中でも、社会の中でも

対等の関係を築いてゆくこと。

 

「誰かのため」に行動するのではなく

「自分のため」に行動することが自信につながります。

 

その自信はめぐりめぐって人の幸せにつながります。

 

「存在」だけで人を幸せにすることができるように

自信を持って行動できる人間に私はなりたい。

 

「自分のため」に太陽の光をふんだんに浴び、

雨の恵みを受け、太い幹を育て、思う存分に枝葉を伸ばしたこの木が、

人々を日照りから守り、寄りかかる安心感を与える木陰を作ったように。


 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

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規格外

テレビで枝豆の選別をしているのを見ました。

さやにきっちり3粒入っているのがL、3粒入っていても形が悪いのがM、

2粒しか入っていないのがS、だそうです。

それ以下の小さなものは最初に機械ではじかれます。

小さなものだって実が入っているのにね。食べられるのにね。

 

背が低いから、ダミ声なんです、アトピー肌が気になって・・

などの身体的特徴だけでなく、

お姉ちゃんだから、女の子だから、長男だから、男でしょ、日本人たる者・・・。

自分が好んで決めたわけでもない生まれた順番、年齢、性別、国籍にいたるまで

どこかの誰かの既成概念にはめ込まれ、

幼い頃から生きづらい思いをしてきた人のなんと多いことか。

 

その概念は刷り込まれるうちに、いつしか誰かの概念じゃなくなって

自分の不安や心配になって大きく大きく重たく重たくのしかかってきます。

 

きれいな形のきっちり3粒入った枝豆でない自分。

ベルトコンベアの上ではじかれないように、

あたかも3粒入っているかのようにさやをふくらませて装い続け、

「3粒入っているね、優秀だね、Lだね、合格だね。」と言われることに

心血を注ぎます。

でも残りの1粒か2粒は不安や心配でふくらんださやです。

 

その心配や不安でパンパンになった空っぽのさやは

いつしかはじけます。

一歩も前に歩き出すことのできない自分が残ります。


自分はわかっていたのです。

規格外なのに3粒入りの立派な枝豆を装っていたのを。

 

2粒だっていいんです。

ちょっと形が悪くたって大丈夫。

規格外バンザイです。

 

そう思えたら生きるのが楽しくなります。

 

cafeころんのツリーハウスにかかった吊り橋。

規格外だって

100点満点がとれなくたって

早く走れなくたって

いい子じゃなくたって

ミライへの吊り橋を渡る勇気を持つことの方がどんなに大切か。

 

cafeころんでこの吊り橋を見て

ワクワクしてください。

きっと何かを感じることができると思います。

 

 

 

 



 

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原因と目的

行動を起こす時に必要なのは「未来の自分のためにこうありたい」

と強く思う気持ちです。

 

行動を起こす時に邪魔なのは「過去の自分はこうだったからできっこない」

と自分に言い訳する原因です。

 

生まれた時から刷り込まれてきた不安、心配、憂鬱、強迫観念・・・

そんなことが山のような荷物となって一歩が踏み出せません。

行動を起こすモチベーションとなるのは

過去の情けない自分を思い起こすのではなく、

かっこいい未来の自分を思い描くこと。

 

そこを切り分けて考えると、初めの一歩が踏み出せて

行動しているうちに霧が晴れ、向かって行く方向が定まってくるのです。

 

私は小さな頃から虫が大の苦手です。

そんな私が庭の木にできた蜂の巣を退治できるなんて!

 

庭に出るとブンブンと羽音をたてて向かってくる蜂に危険を感じ駆除を決意。

何日も前から巣に集まる蜂の生態を観察し、

駆除方法を調べ、シュミレーションをくり返し

とうとう一人の力で刺されることもなく駆除することに成功しました。

 

ちょっと「未来のかっこいい自分」というほどではありませんが、

苦手意識を克服し、行動に移したことでさまざまな手段を模索することができ、

虫一匹に大騒ぎをしていたかっこ悪い自分とは決別できたのです。

 

苦手だとか、不安なものって今までの環境の中で

刷り込まれていただけであって、立ち向かってみると

案外乗り越えられたりするものです。

 

あなたの苦手なことは何ですか。

その原因は過去のかっこ悪い自分ではないでしょうか。

 

 

 

 

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うまいっ!

先日カフェにお越しくださったご夫婦。

ランチを召し上がった後、

お酒を飲みながらゆったりとした時間を過ごされていました。

 

そのご主人様は何かを最初に口にされる時、

必ず「うんっ!うまいっ!」という第一声が飛び出します。

 

奥様もそれにニコニコとしながら相槌を打っています。

 

ランチを食べた時も、ビールを飲んだ時も、おつまみにお箸をのばした時も

気持ちいいほど周囲に聞こえる声で「うまいっ!」と声にされます。

 

私は驚きました。

料理を提供する私どもがうれしいのはもちろん、

それを聞いた奥様も周囲の人もそのひと声で笑顔になります。

ありきたりな料理でもそのひと声で極上な料理に生まれ変わります。

 

きっとご家庭での奥様のお料理にも

まずそのひと声を発していらっしゃるのでしょう。


料理の味そのものだけでなく、

その背景にあるすべてにこめられたその言葉から

ご本人のお人柄、

そして愛情に満ちあふれたご家庭を想像することができました。

 

「うまいっ!」は魔法のスパイス。

その場が愛に包まれます。

嫌なことが吹き飛びます。

 

皆様もコショウや醤油とともに

ぜひこのスパイスをご家庭にお揃えになってみてください。

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やろうと思ってた

ものごとをじっくり考える。

いいことですね。

でも考えてばかりで行動しないのは考えていないのと同じことです。

もったいない。

せっかく思考した時間が水の泡です。

 

「今やろうと思ってた」「暖かくなったら始める」「来年は頑張る」

こんな言葉を使う多くの人は行動しません。

「今」やらない人は、暖かくなっても来年になってもやらないのです。

 

テストで良い点を取った時、仕事で良い成果をあげた時、

「優秀だね、頭がいいね」とほめられる。

その時は気分がいいですね。

「頑張ったね、努力したんだね」とほめられたらどうでしょうか。

これもなかなかうれしいものです。

 

人はおもしろいもので、知性を褒められるとチャレンジをしなくなります。

でも努力を認められるとさらに高度な問題に挑んでいく勇気が得られます。

自分を賢く見せることに注力すると失敗や間違いを犯すリスクを回避する心理が

働くようになるからです。

思い当たるふしはありませんか。

 

誰でも失敗を恐れる気持ちは持っていますが、

失敗を失敗のままにしておくことが失敗そのものなのです。

成功だけをほめられていると、プライドだけが肥大化していきます。

失敗のリスクを取り続けることがチャレンジです。

失敗と向き合えば成功への道筋がみえてきます。

チャレンジは行動。

ネガティブだから行動できないのではなく、

行動しないからネガティブになっていくのです。

 

人生は選択、決断、行動のくり返し。

それに必要なものはポジティブで失敗を恐れないチャレンジャー精神なのです。

 

 

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叶屋

青梅の町は古くからの家が多く、あちらこちらに屋号の入った蔵をみかけます。

 

これは叶屋さんでしょうか。

 

「叶」は願望が実現するという意味です。

 

漢字の名言を引用すると、

口から出るのは+な事もあれば、−な事もあります。

だから口から出るさまざまな否定的な言葉は「吐く」とも言います。

でも、−な事を言わないようにすると・・

願いが「叶う」。

 

毎日の暮らしの中で口から出るネガティブ言葉は実にさまざま。

弱音を吐く、毒を吐く、つばを吐く、捨てぜりふを吐く・・

自分を振り返ってみると、言ってます、言ってます。

 

漢字の名言、わかりやすいですね。

嫌な言葉を口からひとつ出すたびに願いがひとつ逃げてゆく。

口から出すのは+なことだけ、と肝に命じておけば願いが

近寄ってきてくれるような気がします。

 

きっと昔は商売をやっていても弱音を吐かず、お客さんを大事にして

立派な蔵を建てた「叶屋」さんだったのでしょう。


自分も「叶屋」の番頭さんになったつもりの会話をこころがけ、

願いに一歩でも近づきたいものだと思わずにはいられない漢字遊びでした。

 


 

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心の窓と鍵

自己紹介というのが苦手。

小学校から現在に至るまで何度となく要求されてきた自己紹介だが

一度としてうまく言えた試しがない。

 

人間には心の窓がある。

 

大きく開いている人もいれば、ほんのすきま風が通る程度にしか

開けていない人もいる。

ぴったりと閉ざして鍵までかけている人だっている。

 

心の窓が大きく開いていればいるほど人との会話の接点が増え

アクセスの頻度が高くなる。

 

心の窓を大きく開けている人はきっと自分自身を理解している。

長所も短所も受け入れて納得している人に違いない。

 

短所には目を閉じ、耳を塞ぎ、受け入れることをしたくない、

ましてや気がつかない私の自己紹介がひどいのも

こうして考えてみるとうなづける。

 

この写真はナチュラル・ノスタルジーなカフェころんの窓。

庭につづくこの窓はいつもは開け放たれていて

玄関から抜ける風が心地よい。

鍵もちょっと壊れていて締めるのにひと苦労するほどゆるい窓だ。

 

そんな自己紹介が上手なカフェだから

人が集まり、人が笑い、人が育つのかもしれない。

 

 

 

 

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不安の正体

高い所が怖かった。

 

幼稚園でクラス全員がジャングルジムに上って撮った写真がある。

ひとりだけ皆と同じ高さまで上れず一段低いところで写っている。

何十年もたった今でも覚えているその時の気持ち。

 

高い所が怖かった。

 

今は高層ビルから見る夜景を美しいと感じ、

吊り橋も渡ることができる。

 

人間は高い所への恐怖感を本能的に備えていると思う。

高い所から落ちた経験があったり、

落ちたらどうなるかということを想像することができる。

 

鳥のような翼もなく、ボイスレコーダーのような頑強な作りの肉体でもない。

高層ビルや吊り橋から落ちたらどうなるかを想像するのは容易い。

「死」から身を守らなければ子孫を繁栄させることもできないのだ。

 

幼い頃は周囲に「死」というものに触れる機会もなく

万全と「死」への恐怖だけが大きく膨らんでいた。

 

大きくなるにつれ、生き物が死ぬのを見たり、葬式に参列したり、

病院へ見舞いに行ったりして「死」が誰にでも訪れるものだという理解が

深まると同時に「高い所」への恐怖も薄れていった。

 

私達の日常は死ばかりではなく、さまざまな不安や恐怖に満ちあふれている。

ただ恐れているばかりでは美しいものに感動する心や

楽しいことに触れる機会を逸してしまう。

 

その不安や恐怖の正体をつきとめてみよう。

 

きっと人生がひときわ輝いてみえてくるはずだ。

 

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3大がっかり

世界には、いや国内にも3大がっかり名所と呼ばれる所があったりする。

観光客が多い割には規模が小さかったり、

有名であるのに期待を裏切る要素が満載の名所である。

 

人間にも期待を裏切る3大言い訳がある。

お金がない。

時間がない。

自信がない。

自分自身でも過去に何度も言ってきた覚えがある。

 

だがこの3つの中で万人に平等に与えられているのに

失ったら二度と返っては来ないものが時間だ。


お金は一文無しからだってどうにかして増やすことができる。

自信もからくりさえ理解して努力すればつけることができる。

でも時間だけは目減りしていくだけのやっかいなシロモノ。

どうやって時間という無限のようで有限な財産を増やしていけばいいのか。

 

イライラして煙草を吸う時間。

凹んだ気分をヤケ酒で紛らわす時間。

あたりを見回すと皆が捨てている無駄な時間がゴロゴロ転がっている。

 

そうだ、ストレスで消費する時間をなくせば時間は増えるのではないだろうか。

すなわちストレスをなくす。

なんだか難解な方程式が解けたような。

 

やらなければいけないことを一番先にやる。

やりたくないけれどやらなければならないこと、

それはいつでも行動にブレーキをかけてしまって時間を消費する最大の原因。

いっそのことやらないか、一番先にやる。

 

すべてを一人でやらない。

一人でやったほうが早く終る、とか人に迷惑かけたくない、とか。

そんな理由で自分を縛り付けてやることを山積みにしているのも時間の浪費。

周りの人を味方につけて多くの力でやりとげる。


なんだか真剣に考えると考え方や行動で

時間という資産を増やすことも可能な気がしてくる。

 

世界3大がっかり名所のような人間にならないように

3大言い訳と向き合ってみるストレスフルな月末の帰り道。


 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

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はぐれ蛍

生きて光りながら飛ぶ蛍を見るようになって何年だろう。

 

都会で生まれ育った私はとしまえんの昆虫館でしか蛍を見たことがなかった。

 

ここ青梅では蛍が生育する絶好の場所があり、

この地に住むようになってから梅雨の時期になると

毎年ナマ蛍を鑑賞している。

 

さらさらと流れる小川の音だけの暗闇の世界。

 

淡い緑色にふわりと光っては消える蛍たち。


外敵を驚かすためとも求愛行動とも言われる明滅は

闇があるからこそ役立つ光のコミュニケーション。

 

闇は苦悩、忍耐、迷い、不安、貧困、病気、差別。

それらがあるからこそ光る希望。

 

明るい場所では必要とされない光だからこそ

闇の意味があるのだ。

 

人間が渡れない小川の向こう岸に光る蛍たちからはぐれて

飛んできた一匹をそっとつかまえて葉の上に乗せてみる。

 

ずいぶん道を間違えてしまった蛍はそれでも淡く淡く光りながら

仲間たちとコミュニケーションをとろうとしているようだ。

 

ちゃんと自分の居場所へ戻るのよ、と手のひらにのせてそっと空に放つと

安心したかのようにほわっと光り闇の中に消えていった蛍は

いつかの私だったのかもしれない。

 

 

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トマトの花が咲いた。

 

こんなに天気がいいのにうつむいている。

写真が撮りにくいし、どんな花なのかもよくわからないほど地味だ。

 

トマトの原産地アンデスでは標高が高く、

受粉を促すハチなどの昆虫がいない。

 

太陽に向かって咲く花が目立って美しいのは、

花粉を運んでくれる昆虫を引き寄せるためでもある。

 

そこで地味なトマトは考えた。

 

風。

 

うつむいて咲けば風が花粉を運んでくれる。

 

地味で目立たず、うつむいて咲く花にも

風は優しい。

 

 

 

 

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バランス

何日か前の夕焼け。

 

天地創造の日はこんなだったのではないだろうか。

 

闇の中から生まれる光。

昼と夜、月と太陽、空と海、そして男と女。

 

お互いが存在することで成り立つ森羅万象。

どちらも過不足なく見事にバランスがとれている。

 

勉強がはかどらない時、仕事がうまくいかない時、恋愛が成就しなかった時、

体内の細胞がすべて下降線をたどるような気がする。

そんな時に脳内で頑張ってくれるのが有名なやる気物質アドレナリン。

人間の脳でさえもバランスがとれる仕組みになっているのだ。

 

恋愛の賞味期限は3年といわれる。

ひとつの恋愛の中で媚薬ホルモンが分泌し続けることはない。

そう、森羅万象バランスがとれることになっているこの世界、

恋に落ちたときのようなドキドキ感が一生続いては困るからだ。

この媚薬ホルモン、分泌するのは長くても3年から4年。

だから3〜4年交際した男女であれば、ホルモンに惑わされることなく

お互いを理性的に見ることができ、結婚しても長続きするというわけだ。

 

でもドキドキ感が消えたならマンネリが待っていると考えるのはちょっと早い。

それなら媚薬ホルモンに代わるわくわくホルモンを互いに分泌すればよい。


行ったことのない場所、いつもとは違うファッション、

二人で新しいことを始めてみる。

 

「星の王子さま」を書いたサン・テグジュペリはこう言っている。

 

愛とは、お互いを見つめ合うことではなく、

ともに同じ方向を見つめることである。



 

 

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肯定文の威力

インパクトのある看板ですね。

 

「この先に行ってはいけません!」とか「立入禁止!」と書かれた看板より

ずっと抑止力があります。

絶対入りたくないです。

不思議です。


ちょっと意味合いが違いますが

駅前の放置自転車にも「ここに置いてはいけません」より

「どれでもご自由にお乗りください」と書いた方が

放置する人がいなくなりますね、きっと。

 

飲食店に入って少し手の込んだ料理を注文したとします。

「すぐにはできません」と言われるより

「少々お時間かかります」と言われた方が同じ時間待つのにも

気持ちの余裕が変わってきます。

 

肯定文ってすごいですね。

 

特に決意を表す時に肯定文は有効です。

 

「失敗しないぞ」と思うより「成功するぞ」「達成しよう」と

思う方が成功する確率が高くなります。

 

「失敗」という言葉に意識が集中してしまうと

あたかも失敗を達成するということにもなりかねません。

 

ネガティブな言葉より、ポジティブな言葉の方が脳に大きな影響を

及ぼすと言われています。

 

どうにもならない自分を救う究極の手段ともいうべきポジティブ思考。

 

あなたの使う言葉は否定文?

それとも肯定文?

 

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シンデレラの落としたガラスの靴も右足だった

右足から靴を履くと一日が幸せになる。

こんな言い伝えがヨーロッパにはあるそうです。

ギリシアの自然哲学者、ピタゴラスも「右足から歩み始めよ」と

言っています。

 

根拠があるのかないのかわかりませんが、

自分が毎日どちらから靴を履いているのか気になりました。

 

左!

これは由々しき事態です。

さっそく明日から右足から靴を履き、右足から玄関を出なければ

と心新たにしました。

 

しかし私はなぜ左足から靴を履くのでしょう?

右利きだから?

右手にバッグを持つから?

そうやって考えてみると靴下を履くのも左、足を洗うのも左足からと

日常の動作の順番が決まっています。

習慣とはおそろしいものです。

みなさんはどうですか?

 

これは何十年もの生活の中で、自分がやりやすい方法を無意識に

身体に刷り込んで覚えさせていったのではないでしょうか。

 

人間は、身体だけでなく心を安定させるためにも

いろいろな方法を使います。

 

イライラしたり、ちょっと不安になった時

音楽を聞いたり、歌ったり、自然の中に出かけたり。

 

でもそんな方法が何も見つからない時。

 

いつも毎日の生活の中でしている動作の順番を変えてみるのはどうでしょう。

 

嫌な気持ちというものは過去何十年もの間、自分の中に刷り込んできた

自信の無さの裏返しなのではないでしょうか。

人に認めてもらえなかったり、

良い子、良い人でいるためにいろいろなことを我慢したり犠牲にしてきたことが

長い時を経て不安やストレスとなって積み上がり、

ざわざわとした嫌な気持ちとなっているような気がします。

 

長い間積み重ねてきたものですから

そう簡単には考え方を変えることができません。

毎日靴を履く順番をすぐには変えられないように。

 

まず、強い意志を持って繰り返し繰り返し日常の動作を変えてみる。

潜在意識で行っていたことを書き換えることの練習です。

 

さぁ、私にも自然に右足から靴を履き、右足から玄関を出る日が

やって来るのでしょうか。

 

 

 

 


 

 

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ウッドデッキパーティ@cafe ころん

cafe ころんは、手相カフェ・テオが月に一度出店するレンタル・カフェ。

 

廃屋をリフォームして作り上げたカフェにはなんと庭があります。

今、その庭の大きなヒノキと柿の木を支えにしたツリーハウスを建築中。

 

費用はクラウドファンディング、労力は有志、

あとは協力してくださるみなさんの心意気で

ツリーハウスは完成に向かって着々と進行中。

https://faavo.jp/tokyonishitama/project/508

 

昨日はツリーハウスのウッドデッキ部分の完成を祝して

パーティが開かれました。

 

売上はもちろんツリーハウス建設資金に。

 

誰もが一度は憧れたことのあるツリーハウス。

ほんのちょっと高いだけなのに、

一瞬にして子どもの頃の自分に戻れるタイムマシン。

 

こども達に木の温もりを!

青梅杉で作る木のテーマパークを駅前に作りたい!

 

そんな思いの人たちが集まって作るツリーハウスは

大きな大きなタイムマシン。

たくさんの大人達のこどもマインドと

たくさんの子ども達の大人へのステップを積んで加速中!

 

毎週日曜日・月曜日はツリーハウスday。

どなたでもツリーハウス作りに参加できます。

 

7月の完成目指して一人でも多くの方に関わっていただければと思います。

もちろん完成後に遊びに来ていただくのも大歓迎です。

 

新しい青梅のランドマークとなる日をお楽しみに。

 





 

 

 

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真水より泥水

青梅には吹上しょうぶ公園という6月には見事な菖蒲で彩られる公園があります。

 

もう咲いているかと散歩がてら訪れてみると、勢い余って咲いてしまった感の

菖蒲が一列、二列・・

まだ少々早かったようです。

 

それでもところ狭しと飛び回ってはさえずるウグイスの声が菖蒲園を囲む山々に

反響して、彼にとっては格好のコンサートホールとなっていました。

 

その入口の沼地に咲き始めていた蓮の花。

 

泥水が泥水であるほど大輪の花を咲かせると言います。

 

人間界と同じじゃありませんか。

 

泥水の中を無呼吸泳法で成長し、立ち上がって水面に顔を出し

なんとも神々しく咲く大輪の花。

 

澄んだ真水では小さな花しか咲かせることができないと知り、

猛然と力が湧いてきました。

 

苦しくても辛くても悲しくてもそれはそれでいいんだ、

それがドロドロとしていればしているほど成長することができ

水面から顔を出したときには満面の笑顔をたたえることができるんだ。

 

蓮の花が住処のお釈迦様はきっとこれを知っていたんですね。

 

咲き始めた蓮の花の中に、ちらりとお釈迦様が見えたような気がして

満開の菖蒲が見られなくても得をした気分になりました。

 

お釈迦様の宗派さえ知らない私にも微笑んでくれた蓮の花。

思わず手を合わせてから帰る散歩道。

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暗い岩屋から抜け出すために

コンビニというには少し抵抗のある酒屋なのか、パン屋なのか、

八百屋なのかわからないひなびた総合食料品店の店先に

店主の趣味なのか大きな水槽が置いてあります。

 

赤や白のヒラヒラと泳ぐ金魚の水槽とは別の水槽にひとりぼっちの生物。

どうやらナマズのよう。

岩と岩の間にじぃっと身をひそめ、

こちらが水槽に顔を近づけてジロジロ見ても微動だにしません。

 

山椒魚・・

井伏鱒二の作品を思い出しました。

 

山椒魚は悲しんだ・・

で始まるこの物語はぼーっとしている間に大きくなりすぎて

岩屋から出られなくなった可哀想な山椒魚のお話です。

 

「何たる失策であることか」

とうめいた山椒魚の後悔、焦り。

 

なぜぼーっとしていたの。

多分そこが安心できる場所だったから。

安心ってなぁに。

与えられた場所で言われた通りのことをして誰かにほめられること。


そう、人間ってほめられるとうれしい。

でもほめられるためにはいい子でいなくちゃいけない。

 

いい子でいるってぼーっとしていることと同じこと。

自分で考えなくてもいい、誰かが言った通りのことさえしていれば

いい子ね、お利口ね、ってほめてもらえる。

 

でもほめてもらう代償に考える力を奪われる。

自由な行動を制御される。

抜け出せなくなって初めてわかる暗くて狭い世界の哀しさ、

自由の尊さ。

高価な代償を支払って得るものは無気力、自信のない自分、

そして絶望。


もっと広い世界に出てごらん。

身を守りたければ隠れていないで武器をもちなさい。

広い川を泳ぐために自由自在に使いこなせる武器を持ち

自分の意志で泳ぐんだよ、

と水槽の中のナマズに心の中で語りかけた昼下がり。

 





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上れるはずの階段

駅までの道。毎朝上る階段。

この一段目の手前まで来ると頂上を見上げて身構える。

 

「うへぇ・・。いつになったら軽快に上れるんだろう。」

「右端を上る?それとも左端?

坂道はジグザグに登るとラクだと聞いたことがあるぞ。」

「途中で一回休む?いやいやそんな時間ないし。」

などなど頭の中は階段征服のことでいっぱい。

 

上り終えると心拍数は上がり、しばし息を整える。

やっぱり今日もダメだった・・の繰り返し。

 

急がば回れの言葉どおり、ちょっと回り道をすればこんな階段上らずに済む。

しかし自虐的性分なのか、負けず嫌いなのか、回り道はしない。

人間苦しい道を選べば能力が開花するはず、

こんな階段上れなくてどうする、これは修行だ、などと

自分に言い聞かせながら、階段を睨みつけ

飽きもせず上ってはハァハァと惨敗に終わっている。

 

ある日。

家を出てから足は勝手に駅に向かっていたが、

夢中で考え事をしていて問題のポイントにさしかかったのも覚えていない。

もちろん頂上を見上げることもなければ、ジグザグ上りもしていない。

気がついたのは階段を上り終えて、モッコウバラが美しく咲く次の曲がり角だった。

息が乱れていない。

なぜ?

 

潜在意識・・?!

若くないんだからこんな階段駆け上がるなんてできるわけないよ。

毎日繰り返し上り続けているのに一度も成功したことがないし。

どうせ私なんか・・・

 

頭の中では威勢のいいことを考えているふりをして

潜在意識ではそんな失敗経験の確認作業をしていただけなんじゃないのか。

 

潜在意識おそるべし。

 

待てよ・・

それじゃあその逆に、上れることを潜在意識に刷り込めばいいんじゃない。

どうやって・・?

自己暗示?無理無理。

だって暗示をかけた時点で顕在意識として存在してしまう。

 

たった一度の成功は無意識の下で達成することができた。

そうだ!無意識だ!

失敗も成功もない。階段も平地もない。気負いも落胆もない。

あるのはただ駅という目的地に向かって進むという行動だけ。

 

すばらしい解答を片手に意気揚々と家を出て明日の朝も階段に臨む。

らくらくと上れるはず・・だ。

 

あぁ、手に負えない潜在意識と格闘の日々。


 

 

 

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FANCL銀座スクエア初出店

HAPPY MOTHER'S DAY!

 

今回は美と健康をテーマにしたFANCL銀座スクエアに出店いたしました。

 

手相カフェ・テオではマルタからのオーガニック食材を多く使っています。

http://maltaste.com

 

今日はマルタからのワインや食材の試飲試食のためのプレートを

担当させていただき、特別イベントとして手相鑑定も!


ワインやプレートを銀座の真ん中とは思えないゆったりとしたテラスで

楽しみながら手相鑑定ができるなんて・・と多くのお客様に

嬉しいご感想をいただきました。

 

青梅で起業を目指すレンタル・カフェで営業している私達にとって

ここ銀座での営業はいつも以上にたくさんの学びの空間となりました。

 

青梅で学んだこと、銀座で感じたこと、毎回さまざまなトライ&エラーを

繰り返しながら大きく成長していきたいと思っています。

 

おかげ様で銀座でも料理、手相鑑定共々ご好評をいただきましたので

次回も出店の運びとなりそうです。

 

出店の折には、ウェブサイトにてお知らせいたしますので

お近くにお住まいの皆様、どうぞお立ち寄りくださいますよう

お願い申し上げます。

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青梅大祭

青梅の街にはこんなポテンシャルがあるんだ!

と思い知らされた5月3日。

 

駅前から青梅街道を埋め尽くす人、人、人・・・

 

山車の競り合い、喧嘩囃子。

血気盛んな男衆のパワーが町中にあふれ、

そのエネルギーに酔いしれる13万人の来場者。

 

いつもは指で数えられるほどの人間しか歩いていない通りに

こんなに人が集まるなんて。

 

おかげさまでお祭り支度をしたテオにも

たくさんのお客様がお越しくださいました。

 

いつかお祭りと同じパワーをこのcafeころんから、手相カフェ・テオから

放って、青梅の町が毎日お祭りのような活気に満ち溢れる日が来ることを

願っています。


 

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パワスポ天国 青梅

青梅にはパワースポットが随所に点在しています。

 

1300年の歴史を誇る名刹塩船観音寺薬王寺は御朱印ガールも多く訪れる

パワースポットの代表格。

 

境内には2万株を超えるつつじがこれから盛りを迎えます。

 

赤、白、ピンクと色とりどりにつつじが咲きほこる5月3日の大祭には

真言宗修験道の柴燈護摩がたかれ、法螺貝を吹きながら山伏達が行列で現れると

真っ赤になった火の中を真言を唱えながら火渡りの荒行が行われます。

一般の方も参加することができるそうです。

 

天気がよければつつじの丘のてっぺんからスカイツリーが見えることもあります。

 

壮大なつつじと火渡り荒行を同時に見れるチャンスは5月3日の一日だけ。

 

本来は厳しい修験を行って初めて得られる力を、その場所を詣でるだけで

身分性別を問わず得られるというパワースポットでの大イベント、一年に一度の大チャンス。

 

どうぞお見逃しなく!

 

 

 



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刹那

里は葉桜となる頃、最後の桜、そして桜の最期を観るために近くの山へ。

 

日頃の運動不足を呪いながら、あえぎあえぎ山を登り見晴台にへたり込むと、

人の気配のまったく無い山はプッと耳が詰まるほどの静寂に包まれていました。

 

緑深い山のところどころに混ざる桜が淡い霞のよう。

 

思考を停止してだらしなくポカンと開けた口から吐き出した魂が

尾根を伝って山の中に吸い込まれてゆきます。

 

日常にまみれて汚れて歪んだ魂が、

春の霞の中をさまよって、桜の刹那の精気を浴びてまた私の身体に戻ってくる頃

静寂な山にひらひらと音が聞こえたような気がしました。

 

桜の最期に間に合った。

 

ほんの数日だけの花霞。

 

人間が100年生きたとしたって宇宙から見れば

桜の花びら一枚散る時間にも値しないほどの刹那。

 

その刹那にできること。

 

桜のように、雨上がりの虹のように

儚く消えてゆくものがその瞬間に放つもの。

 

このちっぽけであさましい人間にもそんな瞬間を迎えることができるでしょうか。

 

 

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ご来店ありがとうございました

4月3日、4日には手相カフェ・テオも3度目の営業日を迎えることができました。


予約のお客様をはじめ、たくさんのお客様にご来店いただいたにもかかわらず、

時間が足りず、お待たせしてしまったり、鑑定できずにお帰りいただくことになったお客様、

本当に申し訳ありませんでした。


誠心誠意の鑑定を心がけたい気持ちが先に立ち、ご来店頂いた多くのお客様にご不便をおかけしてしまい

営業するたびに抱える課題が山積みになっています。


このレンタル・カフェは起業を志す人々のトライアルの場ではありますが

ひとつひとつ課題を解決しながら、皆様に心地よくお過ごしいただけるカフェを目指していきたいと

思っております。


お越しいただいたお客様全員が鑑定を体験いただけますよう

お問い合わせフォームからのご予約をよろしくお願いいたします。

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御岳山に登ったことがありますか

青梅の街を散策しているとよくこの扉に貼ってあるお札をみかけます。


牙を剥いた犬のようですが・・・


これは東京の西の最果て青梅、御岳山頂上にある「武蔵御嶽神社」のお札です。

武蔵御嶽神社に祀られている主祭神は

「櫛眞智命」(くしまちのみこと)といってなんと占いの神様です。


この地で占いを始めたことに運命を感じてしまいます。


毎年1月には非公開で

(行っても見れませんよ。非公開というだけで霊験あらたかに思えてしまいますね)

太占祭(ふとまにさい)が行われます。

太占・・高校の日本史で習ったような記憶が。

それもそのはず、現在では富岡製糸場で名高い群馬県貴前神社と、

この「武蔵御嶽神社」だけに伝わる日本最古の占いだそうです。


男鹿の肩の骨を焼いて作物の豊凶を占うのだとか。

だから今でも青梅の農家や民家には作物の豊作を願って

この御岳山「武蔵御嶽神社」のお札が貼られているということです。



さて、本題の牙を剥いた犬のような絵が描かれたお札に戻ります。


この占いの神様の他にも何体かの神様が祀られていて、

そのひとつ「大口真神」という神様は通称「おいぬさま」と呼ばれていますが

実はオオカミなのです。


まだまだ日本ができたばかりのころのお話でしょうが

日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征のとき、

この御岳山から西北に進もうとしていました。


もうヤマトタケルがここ通ったんだ!

と知っただけでパワースポット感満載であります。


そしてこの深い山奥の邪神が大きな白鹿と化して道をふさぎました。

(神話にありがちな設定ですね)

ヤマトタケルは山蒜(やまびる)で邪神を退治したものの、

その時山谷が鳴り響き、雲霧が発生して道に迷ってしまったそうです。

そこへ忽然と白狼が現れ、ヤマトタケルの軍を西北へ導いたそうです。


この神話、あながち作り話ではないと感じるのは

ここ青梅では今でもちょっと山に分け入ると鹿を見かけることがあるし、

(白くはないです。どちらかというと黒っぽいワイルドな鹿です)

昔はそりゃオオカミだっていたでしょ、というぐらいの深い山なのです。

ちょっと気温差が生じると川だって滝だってたくさんあるから

濃霧だっていとも簡単に発生するのです。


というわけで妙に納得してしまう狼信仰。


その時ヤマトタケルはオオカミに「此の山に留まり、地を守れ」と仰せられたそうな。

以来、「おいぬさま」と崇められ様々な厄除け

道中で難を救う旅行安全の神として信仰を集めています。


「おいぬ」は「老いぬ」にも通じて長寿の神様としても、

また戌は安産・多産の神様として有名で、

昔から妊婦さんは「戌の日」には安産のお参りにいきますね。


休日ともなれば、多くの愛犬家が可愛いワンコを連れて

登山をしています。


さてゴールデンウィークも間近。

東京の西の最果て、御岳山に登ってみるのはいかがでしょうか。




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僕の前に道はない        僕の後ろに道はできる

高校の教科書に載っていたような・・

高村光太郎の作品「道程」の一文です。


去年の2月には大雪が降り、cafeころんのあるここ青梅の駅裏手にある山の上には

3月でもまだこんなに雪が残っていました。

人間はおろか猫や犬の足あとさえ一つもついていません。

一歩一歩踏み出すと、高校時代に出会ったこの詩が頭の中に舞い降りてきました。


手の平には「運命線」と呼ばれる線が手首から中指方向へ立ち上がっています。

流年法というものさしのような方法を使って何歳でどんなことが起こったとか起こるとか

人生のストーリーを読み解いていきます。


まるでこの雪野原を歩く足あとのように手の平にも運命が刻まれていきます。

転ばずに歩けるでしょうか。

転んだ時には誰かが救いの手を差し伸べてくれるでしょうか。

道が二手に分かれた時にはどちらの道を選んだらよいのでしょうか。


迷いながら、決断しながら刻々と物語が描かれていくのです。


ああ

人類の道程は遠い

そしてその大道はない

自然の子どもたちが全身の力で拓いていかねばならないのだ

歩け、歩け

どんなものが出てきても乗り越して歩け

この光り輝く風景の中に踏み込んでゆけ


僕の前に道はない

僕の後ろに道はできる




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色のない景色に少し色がつく瞬間

3月7日(土)2回目のPalm Reading Cafe THEOの営業を終えました。

 

前回に引き続きたくさんのお客様にお越しいただきありがとうございました。

今回はこのホームページからのご予約もいただき、そして開店時間も早めての営業となりました。

 

これはお客様が撮ってくださったTHEO営業中の写真です。

夕暮れ時のあたりがモノトーンになる時。

暖かい灯りがともされると、そこだけが血の通った体内のように色みを帯びる時間です。

 

 

生きていると楽しいことばかりではありません。

もう勘弁してくれと放り出したくなることが山のよう。

自分が楽しいと思う時ってどんな時でしょう。

友達と遊んでいる時、買い物している時、家族とのだんらん・・・

たしかに!

 

自分が楽しく思えることを一生続けられたらいいな。

人のためじゃない、自分のため。

でもそれは人を喜ばせることだったり、楽しませることだったり。

結局自分が本当に楽しいと思えるのは自分の考えたこと、提供したことやものが

「人に喜んでもらえること」なのがおかしい。

 

人間社会ってなんてよくできた仕組みなんだろう。

 

楽しい事を探して頭の中をぐるぐるぐるぐる回っている回遊魚のような考えが

お刺身となってお皿に上がる。

そんな時、目の前のモノトーンの風景が少しだけ暖色を帯びて色を認識できる感覚になります。

 

それをイメージできた私にとって記念の一枚です。

 

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If Winter comes, can Spring be far behind?

冬来たりなば春遠からじ。


寒さの苦手な私は秋風がそよそよとする頃から

冬の気配を感じて、もう翌年の春を待ち遠しく

思いこの言葉を呪文のように唱えます。


日本は四季がはっきりしていますから春夏秋冬は

行儀よく並んでいて順番が狂うことがありません。

春→冬→秋→夏なんてことがないので安心です。


冬さえ来てしまえばこっちのもの、

焦らなくたってその次に並んでいる春は確実に

やってくるのです。


外に出ると春の気配はあちらこちらに。


見てください、この背筋をピンと伸ばして

まっすぐ前を見据えたこの梅の花。

希望に満ちたミライにアンテナを張り、視界を

広げているように見えませんか?


梅の花を観てこんな勝手な解釈をしていると

明日からの行動力につながるような気がしてきます。





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トライすること

起業を目指す人がトライアルで事業を起こせる場という環境を得たことは、私にとって大きなチャンスでした。

 

自分の手相を観てみると「今でしょ。」と言っています。

そのチャンスの時期だけでなく、この企画を考える源となった人物や協力者の線もしっかり現れています。

そこは自称palm reader(手相を読み解く人)、何のためらいもなく、負の要素を感じることなく出店を決意しました。

 

準備の段階でワクワクすることはあっても

不安を感じることは全くありませんでした。

 

なぜ私が不安を感じなかったのか。

 

それは実践を一度も踏んだことのない無知の塊であったという一言につきると思います。

 


「情報は知識ではない。本当の理解は実験に始まり実験に終わる。」

 というアインシュタインの言葉通り、出店までの準備期間中は経営に関する情報や心理に関する情報、本やネットに氾濫する情報を詰め込んだだけのただのハリボテですから不安や恐怖など感じようもないはずです。

 

そしてなんの不安もなくワクワクする気持ちだけで迎えた手相カフェ・テオ初出店の日。

 

サインボードを出したとたんに続々とご来店くださったお客様。

気がつくと日が暮れて、空はオレンジ色に変わり、空以外の物体は影となっていました。

 

無我夢中で過ごした一日はオレンジ色の空と同じ心地良い達成感と疲労感、

そしてその風景は同時に自分を覆い始めた影に気づかせてくれました。


 

無知な愚か者が何かに気づく・・

それは無謀な実体験であったりします。

あぁ、あの本で読んだことはこういうことだったのか。

あの人がアドバイスしてくれたのはそういうことなのか。

初めて情報と行動がマリアージュして理解となる瞬間です。

影に色がつく瞬間です。

その影は日がまた昇れば色のついた実体としてよみがえるのです。

 


目や耳から得た情報を行動を通して理解につなげていくこと、

それは人間にとって永遠の課題であると思うのです。

 

幼い少年がたくさん転んでケガをして学習し、

自分の身長の倍もあろうほどの幅の川を飛び越すことができるまでに成長するように。

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手相カフェ・テオ オープン

Palm Reading Cafe "THEO"

JR青梅駅近くのシェアスペース@cafeころんで初出店しました!(2015.02.07)

 

初日からたくさんのお客さまにお越しいただき

本当にありがとうございました。

 

このシェアスペースはだんだん人通りが寂しくなる青梅の商店街に活気が戻るよう、起業のトライアルの場として「自分のお店を持ちたい」人たちの手で廃屋をリフォームして作り上げたものです。

 

どことなく懐かしく感じるナチュラル・ノスタルジックなカフェは人と人との間隔を少し近づける作用も働くようです。

 

カフェの中で知り合った見ず知らずの人同士が

お茶を飲みながら、ランチを食べながら

自然に会話をしたり、写真を撮ったり。

 

店内のそんな様子を見ながら、

青梅の街だからこそ起こる化学変化を感じました。

 

手相鑑定にも多くのご依頼をいただき、

本当にありがとうございました。

 

次回は2015.3月7日(土)を予定しております。

 

どうぞお気軽にナチュラル・ノスタルジックなカフェ、THEOで起こる化学変化をお楽しみください。

 

※手相鑑定の予約状況確認はこちらを▶予約状況

 予約のお申し込みはこちらから▶お問い合わせ

 

 

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手相って?

手のひらを開いてみてください。

無数の線が刻まれていて世界に一つだけの自分の手相。

この手相から何がわかるのでしょう。

ドキドキしますね。

 

性格、思考のタイプ、健康状態、転職や結婚など人生の転換時期、

その他人生にまつわるいろいろな事がわかります。

これから自分の身に起こる、または既に起きたことも伺い知ることができるので、

当たるとか当たらないという占いの範疇に入っているのでしょう。

 

でも単なる「占い」で終わらないのが手相の奥深いところ。

なぜなら過去のことはともかく、未来に関しては手相を変えることができるのです。

手相を変えることができるですって?!

・・・と疑心暗鬼の方もいらっしゃると思います。

もちろんサインペンで描いたりするわけではありません。

もしあなたが何かに気づき、そして行動を起こせば手相はどんどん変わっていきます。

当たる、当たらないで一喜一憂するよりも、今現在の手相を読み解いて、

自分の力で未来をデザインしていくということが可能なのです。

 

手のひらに描かれていることはもちろん良いことばかりではありません。

将来起こりうるアンラッキーなことだって正直に描かれています。

よく言われるのが「良いことだけ教えてください!」

え?それってもったいないです。

だって悪いことが起こる予測ができるのですから、そのアンラッキーの種から

ラッキーの花を咲かせることだってできるんです。

良いことだけ知らされてもうれしいのはその時だけですからね。

 

だから私は「占い師」と呼ばれたくありません。

恐山のイタコのように霊が憑依して私の口を通して語るわけではありませんし、

私自身に特別な霊能力があるわけでもありません。

英語では「palm reader」(手相を読み解く人)って言います。

ちょっとカッコいいですね。

 

私が手相を読み解いて、手のひらを開いたご自身が納得する最良の方法で

未来をデザインしていく。

 

そんな形でやっていければ最高です。

 

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タンポポは2度成長する

タンポポは2度成長する

 

サクラが満開となり

上を仰いで歩く季節となりました

 

ふと足もとを見ると

土も無いような側溝の割れ目から

ぐいっと背を伸ばして

道路まで顔を出したタンポポ

 

タンポポは2度成長する

という言葉を思い出しました

 

タンポポの花の茎は短く

花が咲き終わると萎れて下を向いて

いきます

いったん枯れたかのように見えた茎は、また上に向かって力強く成長し

遠くへ綿毛を飛ばすために

もと咲いた花の位置より

長く高くなってゆくのです

 

なんとも勇気づけられる

自然界のシステムではありませんか

 

歳をとっても次の世代に残すもの

 

それを自ら発信することは

自然界の一員であるあなたにもできるんだよ

 

そんな言葉を道端のタンポポから

かけてもらって

また満開の桜を仰ぎ見ながら

歩き出す駅までの道。

あとちょっと

あと10分。

 

 

日の出時刻の6:50を目指して

ヘッドランプをつけて 

真っ暗な山道をひたすら登ってきた。

 

あとちょっと、あとちょっと。

 

腕時計を見ながら

前に出なくなってきたきた足に

神経を集中して言い聞かせ

筋肉に伝達させる。

 

気温はマイナス8℃だというのに

頭からは湯気を出し

ギリギリで間に合った日の出の瞬間。

 

歩を止めたと同時に

身体中が一気に凍りつき

吹き出していた汗は塩の結晶へと変わる。

 

熟したみかんのような濃いオレンジ色の太陽の光を目をつぶって

じっと全身に浴びる。

 

1℃、また1℃

気温が上がっていく。

山頂に据えられた温度計の

上昇する赤い水銀が

体内をめぐる血液と同化しているようだ。

 

4時間以上かけて

辛くて苦しい山道を登り

この太陽が上がる瞬間の数秒で

下界から持ってきた

腐った精神を吐き出し

この先数ヶ月分のエネルギーを

吸収する。

 

東京の空って

 

広い空に映る変化をフルスクリーンで見れない

 

でもこれが毎日見慣れた空だから

視界が狭くなってるなんて

全然気がつかない

そもそも空ってこんなもんで

夕焼けさえ目に入らない

 

 

どこから車が飛び出してくるか

周囲に変な人はいないか

都会は空なんか見るより

他に注意しなくちゃいけないことが

たくさんあるんだ

目の前の事にばかり気を取られ

先の方は人混みでまったく見えないのが都会

 

 

これって私の人生の縮図

 

 

時には頭上に広がる空を

山に登って

フルスクリーンで見てみよう

 

 

社会にも

人混みにさえも

自分の存在が「不必要」となった時

 

 

どうする

 

そんな質問を自分に投げつけて

町の灯の消えた夜中の帰り道、

ふと立ち止まって呆然とする自分

 

 

 

ずぅっと先まで見渡せる山に登って

果てしない空を見上げてみる

 

今まで見えていなかったものが

見えてくる

見逃していたものの形

知らなかった事の発見

気づかなかった人の心

 

 

所属するコミュニティから切り離された時

誰も信じられなくなった時

人の感情に振り回された時

 

 

誰もいない山に登り

空を見上げてひとりじめしてみる

 

 

自分が本当に大切にしたいものが

見えてくる

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過去を変える方法

時間は過去から未来に流れるもの。

 

飛ぶ鳥が私の頭上を飛んでいけば

「どこへ飛んで行くのだろう」

と思うし、

ベンチに座っている私の目の前に降り立てば

「どこから飛んで来たのだろう」

と思いを巡らせる。

でも鳥は飛んでいるだけだし、私は見ているだけ。

同じ時間に存在しても

鳥にとっての過去未来と

私の過去未来は同じじゃない。

 

動画を逆回転して過去に戻り

そこからリスタートできたら

二度と同じ間違いは起こさない、

あの時ああしていれば・・・

なんてしょっちゅう襲いかかる後悔の念。

 

時間は過去から現在、未来へと流れてゆくもの・・

そりゃそうでしょ。

昭和に生まれ、平成に生きてる。

 

でも待って。

川は上流から下流へと流れる。

 

上流でスタートしたカヤックが

どんどん目の前を通過して

未来である下流へゴールを目指して流れていく。

コースをクリアできなかったり

岩にぶち当たるカヤックだってある。

そして1着、2着・・と順位が決まる。

 

つまり原因は未来にあって

結果は現在に現れているのだから

変えるべきことがあるとしたら過去ではないの。

 

ゴールを設定すれば

スタートしてからのプロセスは変えられる。

つまり、あれよあれよと過去になっていく

現在進行形の私たちの行動は

思いもかけない潜在意識が働いた結果の

自分自身の未来の意思決定によってとらされている

ものなのではないの。

 

窮地に置かれても前を向いている?

障害物があったら諦める?

 

そんなイマイマの現在進行形の私たちの行動は

1着を絶対に勝ち取る!

2着でもいいか・・

3着なら万々歳。

といった意識の奥底に横たわる意思決定で

動いているのではないだろうか。

 

だとしたら過去は変えられる。

時間は逆方向にだって作用する。

 

一番自分が幸福を感じる方向へ時間は流れるんだ。

 

 

いつまでそのままでいる?

星の名前を覚えると

夜空を見上げるのが楽しくなり、

花の名前を覚え得ると

毎年その花の咲く時期が待ち遠しくなります。

でも毎日乗っている中央線と山手線の駅名を覚えても

通勤電車に乗るのはちっとも楽しくなりません。

フシギダネ。

ポケモンを捕まえながら

夕飯の買い物帰りに見える山のシルエット。

 

手相カフェ・テオのある青梅は奥多摩パワースポットへの入り口。

夕日が落ちるのは

ちょっといかり肩の大岳山の左、つづら岩のあたり。

御前山、日出山、御岳山と続いて

日本百名山のひとつ、雲取山。

そして登るのが辛かった川苔山。

縦走が楽しかった惣岳山、岩茸石山、高水山。

 

何万年も前からそこにある山はいつまでそこにあり続ける?

何万年も前から咲き続ける花はいつまで毎年咲き続ける?

 

山の斜面に立って耳を澄ませると

見えてくるもの、聞こえてくるものがあります。

 

落ちる夕日に取って代わって

今日の夜空に昇る月は

どうやら満月の面持ち。

 

自分の無意識に光が当たるような

長い長い光の帯です。

 

 

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結界を張る3つの方法

シーサーは守り神。

 

沖縄ではどこの家にも必ずオス、メス2頭のシーサーが

飾られています。

この2頭のシーサーの間に結界が張られているのです。

 

結界と聞くとおどろおどろしく感じますが

家の鍵を閉めるのも、横断歩道も、駅のホームの白線も

結界と捉えれば自分の身の回りのいたるところに

張られた結界に気づくはず。

 

さて、それでは自分自身の中の結界はどうやって張るのでしょうか。

 

ネガティブな思考や他人からのねたみ、

人間関係のよるストレス。

数え上げればきりのない魔物たちから自分を守る結界を張る方法とは。

 

1)自分の強いところを考える。

トラブルに巻き込まれたり、自信をなくした時には

どうしても弱い自分が顔を出してしまいがち。

そんな時こそ自分の強みを考えるのです。

早起きが得意、人より速く歩ける、人の顔と名前を忘れない・・

何でもいいのです。

自分の弱いところは数え上げたら無数に出てくるでしょうが

強いところはうなって考えなければ出てこないかもしれません。

でもどんな時でも自分の強みを考えられれば結界が張れます。

 

2)他人と比較せず、過去の自分と比較する。

となりの芝は青く見えるもの。

自分以外のたいていの人は幸せに生きているように見えるものです。

そんな周囲の人間を見るのではなく

1ヶ月前、半年前、1年前の自分を見てみましょう。

半年前にできなかった事ができるようになっていませんか。

年始めに掲げた抱負を遂行していますか。

他人ではなく自分と向き合う事を心がけていれば結界が張れます。

 

3)いつも鏡を持ち歩く。

そうは言っても・・と思われる方はまず物理的な結界を張ることで

自信を持つことから始めてみましょう。

鏡は反射の作用があります。

護身のお守りやブレスレットと同じですね。

自分にとって嫌な念を反射してくれると信じて小さな鏡をバッグに。

そんなことから始めてみると不思議なことに

思いもよらぬ効果があるものです。

 

 

さぁこれで貴方の力を邪魔するものはすべてシャットアウト。

いつでもリラックスできる自分だけの空間に守られていることを

実感しながら、なりたい自分に向かって集中力を発揮してみてください。

 

 

 

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ありのままの。

ありのーままのー姿見せるのよ

ありのーままのー自分になるの

社会現象にもなったアナと雪の女王の主題歌。

主人公がすべてから解放されて歌うさまは

小さな子どもから大人までの共感を誘いました。

 

さて、ありのままって?

 

難しいですよね。

だってものごころついてからありのままの自分を出すなんて

とっくにやめてしまっているはず。

今さらありのままって言われても

どんな自分がありのままなのかさえわからないのではないでしょうか。

 

対人関係が苦手、恋愛がうまくいかない、仕事の成果が上がらない、

こういう問題ってすべて自分以外の人間に意識が向かっていませんか。

自分の意見があっても口に出すと誰かから反対されたり、否定されたり。

ひどい時には馬鹿にされたりしてトラウマになっている自分がいたりします。

それが怖くて、わずらわしくて、口に出す前に

「いやいやそんなわけないし」「嫌われたくないし」「怒られるし」と

自分で先に否定をしてしまう。

そんなクセが知らず知らずのうちについてしまって

自分の意見、思考、感情を意識の奥底に沈ませています。

その意識は決して消えてなくなるわけではなく

潜在意識という名前に変わって何層にもなった心の底辺に横たわり続けます。

 

そう、ありのままって潜在意識のことだったんです。

 

この潜在意識をほじくりだして表現すること。

それがあのアナと雪の女王の主人公に皆が共感する理由なんです。

 

このありのままの自分は

過去の出来事、周囲の状況、自分の行動などの記憶、感覚的な印象、感動した思い出、

成功体験、失敗体験・・膨大なデータペースとなって休むことなく稼働しています。

そして夢の中や、とっさの判断、直感的なひらめき・・そんな具合にひょっこり顔を出す時があります。

でもそこにいつでも自由にアクセスして

そのデータを活用しない手はありませんよね。

他人のパソコンのデータをハッキングするわけではなく

自分だけの膨大で貴重なデータなのですから。

 

そこへアクセスする方法は、

根気よく回路を作ることが大切です。

今まで飲み込んでいた意見をその日のうちに自分に対して書き出すなり声に出すなりして表現してみる。

目の前のこと、皿洗いでも雑巾がけでも草むしりでも料理でもなんでも丁寧に無心で取り組んで見る。

腕組みする時、交差する腕を逆にする、靴を履く時の順番を逆にする、駅までの道順を変えてみる、など

いつもと違ったことをしてみる。

それだけじゃない、あなたに合ったいろんな方法があるのです。

人に肯定してもらう前にまず自分が自分を肯定してみる。

その方法に気づいた時、周囲を凍らせるだけではない、温めることだってできる

あなたの特別な能力が開花するのです。

 

応援しています。

ぜひやってみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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罪悪感

「自分が悪いんだ」「すべて悪いのは自分」「私は悪いことをしてしまった」

大きな社会的な罪ではなく、日常生活でそんな感情を感じる時、いや感じさせられる時がありませんか。

 

罪悪感を持たされた人は幸せになってはいけません。

毎日を笑って過ごしてはいけません。

罰を受けるのが当然なので、人から攻撃されても防御も反論もしてはいけません。

 

そんな感情を植え付けられた人間は「何かしてあげなければ」という感情を持たされます。

はい、そこで主人と奴隷の関係が成立します。

 

奴隷は自分を肯定してはいけません。

主人に対していつも恐れを抱いていなければなりません。

 

ある時は咳払いひとつで、またある時は陰湿な目つきで、ドアの開け閉めで

主人はいとも簡単に奴隷の恐怖を煽ります。

 

そんな奴隷が持たされた罪悪感を「無罪」にするためには・・

 

あなたがあなたでいること

 

そう、いつもどおりの愛情深いあなたでいること。

罪の意識を取り込まないこと。

あなたが苦しんでいたら周囲の人も幸せになれないことを理解すること。

 

「あなたのために」

ではありません。

「あなたがあなたでいるために」

です。  

 

「あの人のために何かをしてあげなければ」という感情はあなたがフィルターをかけてみているストーリー。

フィルターを外してみてください。

その物語は、主人公のあなたが「私が私であるためにこうしよう」というストーリーに生まれ変わります。

 

あなたの人生という小説の作者は

あなた自身なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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鏡の中の自分

手相カフェ・テオは2016年2月に一周年を迎えました。

写真はその時記念品としてお客様にお渡ししたコンパクト・ミラーです。

なぜ鏡を選んだのか・・

今日はそれについてお話ししたいと思います。

 

鑑定をしていてよく質問されることのひとつに

「あんな思いやりのない夫を変えることができるでしょうか」

「口うるさい母親を変えることができるでしょうか」

「何をしても自信のなさそうな子どもを変えることができるでしょうか」

などの「変えることができるでしょうか」シリーズがあります。

私は「できません」と答えます。

でも変えることができるたったひとつの方法を

この鏡の中に封じ込めてお渡ししました。

 

こんなふうに書くと「インチキ占い師」のレッテルを貼られてしまいそうですが

鏡はいたって普通の鏡です。お金もいただいてはおりません。

 

パカンと開けるとまずあなたが映ります。

左右の眉毛はきちんと対称に描けているでしょうか。

口のまわりに食べた物がついていたりはしませんか。

鏡をのぞきこんで確認します。

あら、たいへん!眉毛描いてくるの忘れちゃった!

とあわてて直そうとするのは鏡の中のあなたではなく

鏡をのぞきこんでいるあなたです。

鏡の中のあなたに眉毛を描いても

リアルなあなたは何も変わらないのです。

もうおわかりですね。

 

人は自分の中のコンプレックスや不快に思うこと、自信の無さを

無意識のうちに他人の中に見いだしています。

わかりやすく言うと「自分を棚に上げて」です。

ご主人に思いやりがないのも、親が心配性なのも、子どもがおどおどするのも

すべて自分の中にある、自分を許せない要素です。

それを自分が意識の奥のほうにしまい込んでいることを

まるで気がつかないふり、いいえ気がついていないのです。

 

眉を描き忘れるあわてんぼうだけど、ナチュラルな眉毛もなかなかいいかも!

夢中になってかぶりついたおにぎり、おいしかった!

と自分自身のその時の感情を大切にして

もう一度鏡をのぞき直してみてください。

自分自身を好きになって何度も鏡を見て

自分自身と対話をしてみてください。

 

人を変えようと思ったら

まず自分自身が笑顔とポジティブな思考を持つことです。

自分自身を好きになることです。

あなたが人に対して不快に思っていることは

まるで自分には無いようなふりをして

抑え込んでいる一番嫌いなネガティブな自分なのです。

 

 

リアルなあなたが変わらなければ、鏡の向こうのあなたも変わりません。

もちろん人も変わりません。

 

鏡はあなたを取り巻く人生そのものなのです。

 

 

 

 

 

 

 

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TGIF

Thank God, It's Friday!

今日は金曜日。

長かった一週間も終わり、やっと迎えた週末。

飲み会でしょうか、それともネットサーフィン?

 

4月からは新しい年度が始まります。

新入学生、新社会人もまた新しい人間関係を築いてゆくことでしょう。

 

さて新しい環境の中で、目的意識をもって始める生活。

人間関係でストレスを抱えたくはありません。

そのためには何を心がけたらいいのでしょう。

 

私はまず第一に

自分のものさしを持つことをお勧めします。

 

「人からどう思われているか」ではなく「自分はどうしたいのか」

「こんなことを言ったら嫌われないか」ではなく「どうしたらきちんと伝わるか」

人のものさしで自分を測ることはできません。

この1年のスタートでmyものさしを持つか持たないかの違いは大きいです。

 

大人になったあなたは人の価値観で生きていくのではありません。

自分の中で自分自身の価値観を築き、

人からほめられることを期待する自分を卒業してみてください。

 

きっと視界がひらけてくるはずです。

 

 

 

 

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やだな・・と思ったら

今や国民の名刺代わりとでも言うべきfacebook。

リア充が詰まったこのSNSに辟易している人が多いようです。

facebookを開くたびに

投稿者のリア充と自分の生活の格差を感じ

襲い来る自己憐憫の感情と闘う羽目になる人も。

 

facebookを通じて繋がる友達は

毎日会う友達でもなければ、親友でもない人達がたくさんいます。

そのコミュニティの中で受ける快、不快があるとしたら・・

 

もちろんリアルな生活の中でも

「この人やだな」と感じる人と

「この人といると時間忘れるわ」とか「元気になれる」と感じさせてくれる人がいますよね。

 

今日お伝えしたいのは、

自分にとって不快な関係は疎遠にしていきましょうということ。

なぜならその不快の渦に巻き込まれると

どんどん自分が価値のない人間だと勘違いさせられてしまうからです。

 

不快な人というのは

自分自身に対しての評価の低い人。

一見自信満々でプライドだけが高く

他人を批判したり、差し置いたりすることで

自分の価値を高めようとします。

 

周囲を見回してみてください。

何かにつけ文句を言っている人はいませんか。

自分自身の考えや価値観ではなく

ステータスや持ち物、家族を自慢ばかりする人はいませんか。

そんな人がいたらそっと距離をとって

決して巻き込まれないことが大切です。

 

写真は登山口に張られた結界です。

不快なものが近づけない目に見えない結界を張るたった一つの方法は

自分自身への評価を高めることです。

 

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残念な手相

手相鑑定をしていると

「娘はこの先大丈夫ですか」「息子は将来幸福になれますか」

そんな質問をよく受けます。

はい、わかりません笑。

 

詳しく言うと、

わからないわけではないけれど、ご自身の手相から子どもの将来を

わかろうと思った時点でアウトです。

娘さんや息子さんの人生はあなたの人生ではないからです。

もっと詳しく言うと、そんな心配が子どもさんを不幸にしてしまうということです。

これは「心配のタネ」というタイトルのブログを読むと

ご理解いただけると思っています。

 

この心配のタネの被害に遭われたお子さん達が

そのまま大人になってどれほどの苦しみを抱えていることか。

 

お子さんが幸せになるためには、お子さん自身のエネルギーが必要です。

おぎゃあと産まれたその時には生きるエネルギーに満ち溢れているのです。

そのエネルギーを吸い取るのが親の心配です。(心配だけではありませんが)

お母様がいくら心配しても幸せにはなれません。

それどころか心配すればするほど幸せが離れて行くとわかったら・・

そう、お母様自身の問題である心配のタネから育った苗を一日も早く

摘み取ることがお子さんの幸せにつながってゆきます。

 

お母様がしなければいけないことは心配ではなく

あの無垢なエネルギーに包まれた産声を聞いた瞬間に思った

「生まれてきてくれてありがとう」

という思いを持ち続けることだと思います。

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人生を動かすとき

公園の丘に立つ金木犀の大木の向こうに夕陽が沈みます。

 

臆病なマメタが真夜中に腹痛で苦しむジサマのために

勇気を出して夜道を医者を呼びに駆ける。

勇気を出したマメタが見たものは

今まで見たことのなかった

暗闇に光が灯るモチモチの木だった

という物語を思い出しました。

 

私は月に一度だけ営業するカフェをやっています。

まだレンタルスペースを借りてのトライアルです。

毎回毎回が試行錯誤の連続で

失敗ばかりの素人カフェです。

 

このカフェを出店する前は

ぼんやりと「自分が生涯関われる何かをやってみたい、な〜。」と

空想していただけで、このもやもやした形にならない考えは

いつも通り意識の底深くに沈んでいく予定でした。

 

そんなある日、

たまたま、本当にたまたまSNSで目にした

「古民家を自分たちの手で改築してレンタルスペースを作ろう」の投稿。

今思い起こせば、

自分のどこにそんな行動力があったのだろうと

不思議になるくらいの素早さで参加に名乗りをあげていました。

年代も違う、まったく見ず知らずの集団の中にたった一人で飛び込むなんて

今までの私には考えられないことです。

 

 

人は誰しもが何かの能力を持っています。

でも、自分を信じることができないと

その能力を見つけることも、気づくこともできずに

悶々とするのです。

「何をしたいのかわからない」

「進むべき道がみつからない」

それは自分を信じていないから。

 

自分を信じるというのは

リスクを取る勇気を持つことではないでしょうか。

 

敷居をまたげば七人の敵ということわざ通り世の中はリスクだらけ。

でもそのリスクをひとつひとつ検証してみれば、すべて自分の心の中に潜んでいる自分否定な思考ばかりだったりします。

 

上司に叱られたら・・

友達に裏切られたら・・

お客さんが来なかったら・・

どんどん湧き出る不安と失敗の仮説を立てると、もうそこで足がすくんでしまいます。

人が何かにトライする時、自分が傷つかないように最悪の状況を思い描くのは防衛本能。

当然の事です。

でもそれと同時に

こんなことをしたらこんなに喜んでくれる人がいるはず

という仮説も立てられますよね。

そのプラスの仮説で勇気は沸き起こるのです。

 

もちろんリスクを取ることを選択したわけですから

心折れたり、ズタボロになることだってあるでしょう。

でも、「勇気を出した」という事実は

何物にも代え難い自信となって自分の真ん中に根付きます。

心が折れたら次はどうしたら心が折れないかを考え、実行すればいいのです。

 

人生は選択、決断、行動のくり返し。

進むか、とどまるか。

 

進むことを選択したその時から。

 

なりたい自分への人生は動き出すのです。

 

 

 

 

 

 

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自らを輝かせるものは他人の中にある

自然は緻密で壮大なクリエイターだ。

 

吐く息も白い寒い朝、

草の先端にダイヤモンドに劣らぬ輝きを放つ氷のしずく。

そのきらびやかなジュエリーを身にまとった草は

朝日を細胞内に取り込んで

氷点下の寒さの中でも青々と若返ったかのようだ。

 

自らを輝かせるもの。

それは自分の内包する能力であることはもちろん、

その能力に外的な作用が生じてこそ初めて輝きを放つ。

 

たとえば・・・

オリンピック選手。

同じ競技で闘う相手がいるからこそ

自らの能力を発揮し、切磋琢磨した結果、人に感動を与え輝くことができる。

医者はどうだ。

病気に苦しむ人がいるからこそ

知識を高め、技術を磨き、尊い命を救うのだ。

そんな特殊な能力がなくったって

環境保護、教育、国際交流、夫婦になること、子どもを産むこと、天寿をまっとうすること・・・

そう考えるとすべての人間の存在がダイヤの原石と考えられる。

 

人生で意味のあることは

社会が「価値のあるもの」と捉えていることに貢献することだ。

その「価値のあるもの」は私達全員が包含しているものであり

お互いが与え、受け取れるものなのである。

 

道端の草に降りたからこそ

凍てつく朝に光り輝けた夜露。

その草もまた、夜露のダイヤを身にまとい

自らを輝かせているように。

 

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実体のない影

すっかり腰が曲がってはいるが、しっかりとした足取りで歩く。

シルバーカーの助けを借りてはいるが、目的をもった足取りだ。

 

老女の長い長い人生の足跡と同時に

これからの自分の人生に思いをめぐらせる。

歳を重ねれば重ねるほど

影のように襲い来るであろう喪失の哀しみ。

家族を失うかもしれない、夢や希望を失うかもしれない、

信じていた友人に裏切られたり、

お金や仕事、健康や身体的機能も徐々に失われていく日々を呪うかもしれない。

受け入れがたいことに

怒りに身を震わせることも、泣き叫ぶことも、

すべてをシャットアウトすることもあるだろう。

 

それでも日は昇り、一日が始まる。

シルバーカーに買い物袋をぶらさげ、

生きてゆくために老女は歩く。

 

すべてを受け入れた時

実体のない影に怯えることもなくなる。

 

これから何を失っても後悔のないように

しっかりと自分の影を落としながら

今を生きてゆくために歩く。

 

 

 

 

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バランス

今日も一日が終わり陽が沈む。

金色の夕陽が空を幾重にも彩る。

 

地上では寒さの中でも青く茂る葉が色を失い

山々がシルエットになり

夕陽をフレーミングしてゆく。

 

明と暗、陰と陽、光と闇のバランスの中に身を置くと

迫り来る闇への恐怖と

やがて明ける光への安堵が折り重なる。

 

闇があってこその光、女があってこその男、裏があってこその表。

誕生の喜びには死への悲しみがつきまとう。

どちらも決して欠けることのない森羅万象の法則。

完全無欠のバランスだ。

 

 

一瞬も止まることなく

刻々と変化する自然界の抜群のバランスを保つ秩序に気づく時、

絶望の後には必ず希望がやってくることにも気づくのだ。

 

夜が長ければ長いほど、闇が深ければ深いほど

希望の光は眩しく明るい。

 

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ダルマさんとにらめっこ

燃え盛る炎の中に放り込まれるダルマたち。

 

そう、昨年頑張って両目が入ったダルマさん達が

目出度く御役御免で供養されているのだ。

 

炎で顔が熱くなるのも、目が乾いて閉じれなくなるのも忘れて

じっと見入る。

 

めらめらと燃えてゆくダルマとにらめっこしながら

自分の腹わたから取り出してこの火の中に放り込みたいものが

あるのに気がついた。

 

「思い込み」

 

いちばん厄介で消し去りたい私の中の負の産物だ。

 

過去の記憶の中で刷り込まれた

削除したはずの不要なデータに付随して湧き上がってくる。

 

カッとなって思わず反論したい時、

思いもよらない言葉に凹む時、

コミュニケーションがうまくとれない時、

自分がみじめに思える時。

そんな時に条件反射で頭をよぎる

自尊心の裏返し、防衛本能のすり替え・・

 

こうでなくては、

こうあるはずだ、

私はわたし、

しょせんこんなもの、

どうせそうだろう、

私さえ我慢すれば・・

 

支離滅裂で本当の自分はどこへやら。

 

ダルマさんとにらめっこをしながら考える。

 

そうか、なるほどね、そういう考えもあるんだね、

ちょっと待てよ、私は何のルールに縛られてる?

私の常識はあの人にとっても常識か?

 

こんな問いかけを自分にしながら

去年の小さなダルマを

炎めがけて思いっきり投げこんだ。

 

今年は一回り大きなダルマを買って帰ろう。

 

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自分が自分であるために

南に面した山肌にはすっかり雪がない。

降り積もったまま、

まったく溶ける気配のない北面に立つ。

 

人工的な音が何もしない山の中では

吹く風が木から木を伝わって

冷気とともにゴォーっという音が回っている。

 

一本の木になってみる。

 

抗うでもなく、倒れるでもなく

吹く風に共鳴できるだろうか。

 

寒いと弱音を吐くでもなく

南面の木を妬むでもなく

不動で立ち続けられるだろうか。

 

枝の中に冬ごもりのために巣食った虫をついばみに来る鳥を

追い払うこともせず、

春の芽吹きを信じることができるだろうか。

 

音を感じ、風を感じ、

手袋もしていない手のひらの感覚がなくなる頃

ひとつの答えが降りてくる。

 

この場所を選んで根を張り、枝を広げ成長してきたのだ。

 

春は必ずやって来る。

 

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本当の自分に出会う旅

お堂にひと足踏み入れて息をのむ。

 

秋田男鹿半島の真山の麓にある真山神社。

なまはげで有名なこの神社に

一万三千体の木彫小仏が壁一面に納められているお堂がある。

 

手相をじっと見ていると

手のひらが語るストーリーが浮き上がってくるように

一万三千体の仏像が私に語りかけてくるようだ。

 

一人ひとりの手のひらが違うように

木彫の仏像もまた一体一体違う表情を持っている。

 

ひとつひとつ表情を見ていくと

ここにも私、あそこにも私がいる。

 

喜びも悲しみも妬みも怒りも

一体ずつの感情が丁寧に供養されているのだ。

 

まさに一万三千人の自分に出会う旅。

 

あまりにも有名ななまはげの影に隠れて

人っ子ひとりいない忘れ去られたようなお堂で

こんな出会いがあるとは。

 

自分の中の幾通りもの自分。

昔の自分、今の自分、未来の自分。

怒っている自分、泣いている自分、笑っている自分。

旧知の自分、見ず知らずの自分。

その一人ひとりに挨拶をするように

三方の壁に納められた仏像と会話をし

なぜか深い安堵を覚えて下る山道。

 

 

 

 

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心配のタネ

どこから飛んで来たの。

心配のタネ。

一つの袋の中に無数のタネが入っていて

心の中ではじけると確実に根付いて

気が付くと小さな心の中はあふれんばかりの心配の芽でいっぱい。

 

「ハンカチは持ったの?」

「雨が降るから傘を持っていきなさい」

「宿題はやったの?」

母親として当然と思えて実は呪いの言葉たち。

お母さんは心配してるのよ、あなたのことを。

そんな呪文を唱えながら

小さな心に無数の心配のタネを植え付ける母親たち。

 

「ほら、ハンカチを持っていなかったから困ったでしょ。」

「ほら、雨が降ったから傘が役に立ったでしょ。」

「ほら・・・」

 

子ども達から「自分で考える」という大事な作業を奪って

自分の心配を我が子になすりつけ、安堵する。

心配のタネを植え付けられた子ども達は

「あぁ、お母さんの言うことを聞かなかったから」

「やっぱりお母さんの言うとおりになった」

と不安の答え合わせをして心配のタネを大事に育てて

大人になってゆきます。

 

今年の目標は何ですか?

 

目標を達成するためには意思の力が必要です。

意思は筋肉と同じで

鍛えなければ役に立ちません。

運動不足でいきなりフルマラソンは走れません。

まずはストレッチから。

2km、5kmと距離を伸ばして行きましょう。

意思を鍛えるのも同じ。

一年の目標の前に明日の目標、一ヶ月の目標を立てましょう。

未来の事を心配する前に目の前の事に集中しましょう。

 

心配のタネを植えつけられた人は

自分の中で立派に開花した心配の花のタネを

よかれと思って他の人にも植え付けます。

こうして心配のタネはどこまでも遠くへ飛んでゆきます。

 

どこからでも飛んで来る心配のタネが

自分の心に根付かないように

意思の力を鍛えましょう。

 

さぁ、今年の目標は?

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カオスの中の秩序

ご存知、渋谷のスクランブル交差点。

外国人観光客も驚く観光名所となっている。

「It's crazy!」と叫びながら写真や動画を撮る外国人。


この一見カオスのような交差点。

事故も起こらず、転ぶ人も見かけない。

源平の合戦のように押し寄せる歩行者同士は整然とした秩序をもって

障害物を避け、ぶつかることもなく交差点を縦横無尽に渡り切る。


生まれて初めて覚えた交通標記、青は進め、赤は止まれ。

黄色の次は赤になるから少し急いで、周囲に注意して。

そうそう、危険を予測することも大事なこと。


避難訓練では「押さない、駆けない、しゃべらない」なんて教わったっけ。

幼稚園ではおもちゃを譲り合うことも覚えた。

小学校では思いやりを、コミュニケーションを。

中学校では部活動を通して最後までやり切ることの大切さ、チームワークを。

高校では目的を持つことを。


 

毎日の生活も同じ。

めまぐるしい日常で起こる出来事に

個人個人の知識や考え、行動がちゃんと体系付けられていて

たいていの事はこなしてゆける。


カオスのようでカオスじゃない。

センター街へ、駅へ、道玄坂へ。

知力と行動力を総動員して目的地へ。


目的さえしっかり持っていれば

幼い頃に学んだことを駆使して

道は開ける。


学校で学んだことは学問だけじゃない。

生きることを学んだのだということを思い出したスクランブル交差点。

 

 

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親が完璧だって誰が決めた?

cafeころんの庭にあるツリーハウス。


まっすぐとか平行とか均等とか、

左右対称とか垂直とか整列などといった言葉が

まったく通用しない。

同じ長さの木材は2本とないし、角度もバラバラ。

それでも上に登ってみると抜群の安定感。

なんて不思議!


人間もそうだ。

完璧なんてありえないシロモノを追求している人はいつも不安を感じている。

他人のものさしを借りて寸法を測っているのだから不安定きわまりない。


誰しも小さな頃は親の言うことが絶対で

親こそが完璧なものだと大きな勘違いをして育つものである。

でもある日、気がつく。

「親だって人間じゃん。」

その気づきのチャンスを失って大きな勘違いをしたまま大人になると

完璧主義人間の誕生である。


完璧なようでいていとも簡単に壊れるハリボテだ。


直角を保ちたかったら自分は70度を負担しよう。

あとの20度は誰かにおまかせだ。

自分が完璧でないことを認めることができた時、

相手の欠点をカバーする人間になれるだろう。


cafeころんの象が乗っても壊れそうにないツリーハウスは

直線でも直角でもない大木の持つ個性に寄り添って

びくともしない安定感を保っている。

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みてみて!

熊目撃情報!

こわごわとハイキングコースを歩いてみる。

無計画の極みで臨んだツケが回り、雨は降ってくるし、日は暮れてくるし。

本当に熊と出会いそうな状況になってきたので行程を半ばであきらめて脇道へそれ、JRの駅へ。

 

みてみて!

無人駅の改札。

遠くから高い切符を買って来た人にはなんとも「甲斐のない」改札である。

直立した見なれぬ改札機。その後ろにはひっそりと切符回収箱と書かれた箱が。

誰もいないし、誰も切符を受け取ってくれないのははなはだがっかりなものだ。

 

人は多くの場合、みてみて!という欲求を持っているものである。

頑張った自分を誰かに認めてもらうことで

目標達成を達成した時の大きな自信となってゆく。

成長の根幹となっているといっても過言ではないくらいだ。

 

しかしそのみてみて!の裏側にある真理にお気づきだろうか。

「誰か」に認めてもらう=他人からの評価

大幅なポテンシャルを見込める発育段階の幼少期においてはそれもいい。

しかし成人して、社会人となって目標を持った時、

「誰かの評価」に振り回されているとたいていの場合、自信の喪失につながってゆく。


「自分の評価」のものさしの目盛りは人からの「偉かったね、がんばったね」ではなく

「ありがとう」と感謝された時にマックスになるのではないだろうか。


人の役に立つこと。

困っている人を助ける、社会の発展に貢献する、悲しんでいる人の心の支えとなる

何でもいい。

自分の行動が、発見が、発明が、アイデアが、文章が、歌が、料理が、そして何より

自分の存在が誰かの役に立って「ありがとう」のコトバをもらえたら

「誰かの評価」が「自分の評価」に変わり

人は初めて自分自身の人生を行きている実感を持てるのではないか。




この無人駅の無言の切符回収箱も切符を入れたら「ありがとう」のひとことが

流れたらいいのにね、と思いながら小さな秋の遠足を終了した。





 

 

 

 

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逃げ道を断とう

「もうトシだから」「時代が変わったから」「昨日寝てないから」「お金がないから」

何かをやろうとする時、必ず頭をもたげてくるのがこの言い訳。


失敗しても「自分」のせいではなくなる魔法のコトバ。

成功したら「こんなハンデがあったのに」と自己評価も倍増。

こんな万能な言い訳だから誰もが使いたくなってしまうのもうなずける。


一方でこの魔法のコトバが常習化すると

問題に立ち向かう意欲が薄れてきて現実逃避ばかりするようになる。

自分の本当の能力や意欲を向上させることなく

真の達成感や満足感を得られないまま、

不安を山積みさせるだけの忌まわしの呪文となる。


何かに立ち向かう時にこのコトバが口から出たらご用心。

安心できるのはその時だけ。

プライドが保てるのはその時だけ。

自分を守れたように思えるのはその時だけ。


この呪文を唱えている限り

不安を根こそぎ断つことにはつながらない。

自分の背後に山のような不安を積み上げる作業をコツコツとしているだけなのだ。


自分への言い訳を用意しないことが

真の自分と向き合って成長できる最良の方法であることを覚えておこう。

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意味のある偶然

やっと出会えた。

以前から気になっていたビール、「東京ブルース」。

連休の最終日、福生の石川酒造まで出向いて、

いよいよ名前負けしていないか確認する時がやってきた。


敷地内のレストランや蕎麦処はすでに満員御礼。

かまわない、このビールに会うためだけにやってきたんだから。


売店で購入し、テーブルや椅子が置かれている木陰のガーデンへ。


シュポン。

オレンジの甘い香り。

一口飲むとその香りとは裏腹なドシンとした重み。

喉にフェイドアウトしていくグレープフルーツのような苦味。

「東京ブルース」の名にふさわしい。


あぁ、わざわざ醸造元まで来ただけのことはある。


なぜか誰も来ない静かな木陰のガーデンで味わう「東京ブルース」は

まるで今まで歩いて来た人生を反芻するかのような五感で味わえるビールだった。







さて、精神を思い切り開放し、満足して出口に向かうと「個展」の文字が目に飛び込んできた。


酒瓶が転がっている絵画のフライヤー。

あぁ、きっと絵を観たらもっと精神が喜ぶに違いない。


階段を上るとwoodyな建物はさすが酒造の蔵らしい。


ひと目で福生とわかる大ぶりの絵。

母子をテーマにした絵、裸婦、童話の挿絵、静物画、デッサン画・・

順々に堪能していると

製作者である画家の大山瞳さんとお話することができた。


飲み物やお菓子まで用意されていて

蔵に流れる音楽、絵画、照明、かすかな絵の具の匂い・・

五感をフル稼働させながらここでもまた精神が開放されていくのを感じることができた。


この個展を訪れたのはきっと「意味のある偶然」。

さてさて、大山瞳さんの個展ではお土産に素敵な作品のポストカードまでいただいて、

駅までの大きな幹線道路16号沿いを歩き始める。

ダンプがバンバン走るこの道には商店と思しきものはない。

と思ったらこれが摩訶不思議なお店が店先の商品に隠れるように1軒だけたたずんでいた。


上を見上げると「HAPPY COMPANY」とかかれている。

普通だったらきっちりと閉められた戸を開ける勇気が起きないような店構えだ。


それでも何か妖気のような、いや陽気だろうか、

なにかの気を感じておそるおそるドアを開ける。


意外にも中から店主の「いらっしゃいませ」ではなく「こんにちは、こんにちは!」の

明るい声に出迎えられる。


小菅村の村営住宅18,000円の物件に住むというスキンヘッドのこのご主人、

いつもは夜7時に店を開けるというのにこの日はたまたま5時に店を開けていた。


古着とアクセサリー、雑貨を扱うこのお店、なんと夜7時から夜中の3時までの営業という。

「なぜ夜?」の問いかけに「夜眠れない人のために」の答え。

あぁ、やっぱり。

私の五感は、いや六感は正しく作動していた。


通りすがりの冷やかし客である私に

旧知の知人であるかのようによもやま話をしてくれたこのご主人のお店のドアを開けたのも

私にとって「意味のある偶然」。



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prepared mind

ノーベル生理学・医学賞を日本人が受賞。

ニュースで受賞者の大村氏がインタビューで「prepared mind」という言葉を口にしていた。


「あ!それ!」

私自身がいつも心に留めていること。


「偶然は構えのある心にしか恵まれない」


偶然をどうやってモノにするか。

意味のある偶然は「prepared mind」を持った人のみに訪れる。

つまり、チャンスってやつはゴロゴロしていて、どこにでもあるのに

アンテナを張っていない人は気づかずにスルーしてしまい、

常にアンテナを高くもって受信状態を良好にしている人はそのチャンスを逃さない、

ということである。


博士はお財布の中にいつも土壌採取用のビニール袋を携帯していて

どこに行っても土壌を採取するのを忘れなかったという。


博士の高く張り巡らしたアンテナが一握りの土の中の微生物から

3億人もの人間を救うチャンスをもたらしたのだ。


私が手相に興味を持ったのは

長い通勤時間を読書して過ごすため、

ブックオフでふと手にとった100円の手相書がきっかけである。


あの時立ち寄ったブックオフで

100円で手に入れた偶然から伸ばしたアンテナは

いろいろなものを受信した。


あの瞬間、今はないあのブックオフ、そしてあの100円。

それらは私にとって意味のある偶然の連鎖だったんだと

実感している。

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岐路に立つ

どちらの道に進もうか。

誰しも人生の岐路に立つ時が来る。


迷い、不安が邪魔をして

進む道が見えなくなる。


右?左?まっすぐ?

それとも今来た道を引き返す?


迷いや不安は問題解決の第一歩。


気の済むまで悩んでみるといい。


他人の評価や基準や思惑を寄せ付けず

苦しいと思うほど悩んでみるといい。


自分の弱みを思う存分吐き出してみるといい。


からっぽになった自分をちょっと離れて見てみると

弱みだけじゃない自分が見えてくる。


進む道が見えてくる。



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一人だけの時間

現代社会は孤独を避けるためにいろいろなものが用意されている。


一人暮らしでも家に帰れば、インターネット、テレビ、メール・・

気ままに誰かと繋がるツールがあって時間を紛らわせてくれる。


それは決して悪いことではないけれど

自分と向き合う時間からの逃避とも言える。


忙しい、忙しいと動きまわることばかりに終始していると

客観的に物事をみることができなくなってくる。


まるでハツカネズミが狂ったように回し車の中を走るがごとく

目の前の作業しかできずに、周囲が見えなくなる。


トンネルの入り口から遠くの出口の光をとらえ

最初の一歩を確実に踏み出す。


そして長い暗闇の中で自分と向き合いながら孤独と親しむ。


それを十分に楽しむことができる人こそが

このカオスのような現代社会の中でも

自分を見失わず、価値のある日常を構築していけるのだ。


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手を合わせるとき

お寺や神社へのお参り。

あなたは何を思いながら手を合わせますか?

「試験に合格しますように」
「家族全員が健康でありますように」
ほとんどが七夕の短冊に書くお願いごとのたぐいではないでしょうか。
困った時の神頼み、誰でも経験があります。

でも今度お参りするときに
ひとつお勧めしたい手の合わせ方があります。
それは他力本願のお願いごとではなく、ただ感謝するだけ。

手を合わせた時に
「試験に合格させていただきありがとうございます」
「家族が皆健康でありがとう」
なんでもいいのです。
そうするとほら、こんないいこともあった、あんな嬉しいこともあったと幸せの再確認ができます。 
できないことや未来の不安を確認する思いを抱くより、ずっと気持ちが前向きになります。
幸せをつかむことができたのは貴方自身の努力のたまものです。
それを神様に感謝するという行為で確認するというわけです。
悪いことが起こっても良いことが起こっても
それは神様のせいでもおかげでもなく貴方の行動の成果なのです。

さぁ、今度はお寺や神社の賽銭箱の前、大きな鈴をガランガラン鳴らして
堂々とご自身の努力の成果を数え上げ、神様に報告してみてください。


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ラッキーのタイミング

「あの人どうしてるかなぁ」なんて思った時に、

偶然その人から電話がかかってきたり、メールが入ったことはありませんか。

 

「新しい仕事を始めようかなぁ」なんて考えていた時に、

偶然ばったり会った友人から仕事の話が舞い込んだ、なんてことは?

 

偶然とは思えないほどタイミングよく幸運が舞い込む時は

きっと貴方の強い意識が高まっている時です。

 

最初は小さなことから始まり、

それに気がついて自分の意識を高めていくと

もっとそれがひんぱんに起こるようになります。

 

その小さな偶然とも言える「よいタイミング」に

敏感に気がつくことが大きな必然につながってゆくのです。

 

意識のアンテナをピンと張って歩いてみてください。

タイミングは向こうから貴方を探してやって来ます。

 

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最高の自己紹介

私は人のことを知ろうと思う時、2つのことが気になります。

 

「行動」しているか。

その人自身の「目」でものを見ているか。

 

口先だけで決意表明することは誰にでもできますが、

行動に移すとなるとそう簡単にはいきません。

 

勇気と決断力が行動となった時、初めて人に気持ちが伝わると

考えるからです。

 

 

「お金がないから」「頭が悪いから」「時間がないから」と

自分への言い訳ばかりを探していたり、

他人からの評価ばかりをうかがっていると

自分の「目」でものが見えなくなります。

他人の目を通して見たものを、

さも自分の「目」で見たかのように

錯覚してしまいます。

 

自分の「目」で見たものを形にすることこそが実現。


自分がやりたいと思ったこと、わくわくすることを

行動につなげてみてください。

単純なことでも、毎日毎日信念を持って続けてみてください。

 

きっと自分の思いは人に伝わります。

 

貴方のことを知ってもらう最高の自己紹介だと思います。

 

 

 

 


 

 

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司令官は自分

「早く支度しなさい」「これ明日までにやっておいて」「ちゃんと勉強しろ」

何気ないこんな言葉、言ったり言われたり。

人に命令するのもされるのもいい気持ちはしません。

 

でも!

自分が自分に命令するなら誰にもいやな思いもさせず、

その結果が自分にも他人にも良い結果をもたらす効果がある!

そう!

その瞬間に自分の性格を希望通りに変えられるのは自分自身なのです。

 

毎日、毎日噴き出してくる不安、心配、怒り、不満、悲しみ。

その根源が自分の脳内にあるのだから、

その脳でいくら解決策を考えたって答えが出てくるわけがない。

 

自分の潜在意識に命令できるのは自分だけ。

 

でも自分でも意識していないから潜在意識。

その潜在意識を操作するなんて

これは他人にものを言うより難しい。

 

腕を組む時、どちらの腕が上になりますか。

靴を履くときはどっちの足から?

 

そんな日常の動作もすべて潜在意識に支配されています。

 

試しにやってみてください。

朝、玄関を出る前にいつもと違う足から靴がはけるかどうか。

自分の意思で自分の意識に命令するってそういうこと。

 

これでいいのかな、私大丈夫かな、と不安が不安を呼んで

いつまでもこころが晴れないのはそんな思考のクセがついているから。

そしてそれを変えられないのは、

そう考えるのが毎朝同じ足から靴を履くのと同じようにラクだから。

 

試しに考えてみてください。

これでいいんだ、私は大丈夫って。

 

何十年も同じ足から靴を履いてきたのを変えられないように

何十年もかけてつけてきた思考のクセは強い意思がなければ

なかなか変えることはできません。

今日出来たって、明日にはころっと忘れてまた同じことを考えている。

 

でも人に命令するより、人から命令されるより

ずっと良い結果をもたらすのは

自分で自分に命令することなのです。

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私の超リラックス方法

手相鑑定はとても集中力を必要とします。

 

最初はざわざわとした周囲の話し声や音楽が耳について

線が読めないのですが、ほんの数秒でまったく何も聞こえない状態になり

手相が浮き上がって見えてくるのです。

それからはその方のヒストリーが語りかけてくるといったイメージです。

 

日頃そんなふうに集中力を酷使しているせいか

無性に精神を解き放ちたくなる衝動にかられます。

 

そんな時は近くの山に登ります。

人はほとんどいません。音もありません。

 

いつものように一気に登り、見晴らしの良い場所の大木を背に寄りかかります。

目は遠くの稜線へ、口はたぶん半開き、

もしかしたらよだれまでたらしているかもしれないぐらい。

手足はだらしなく放り出し、絶対人には見せられないと思うほど弛緩した状態。

 

するとその半開きになった口から勾玉の形をした私の魂がすうっと出て

目を向けた先の稜線へと飛んでゆきます。

その勾玉の形をした魂は木々の間をくるくると回り、

苔むした岩の水分を吸い、

ひらひらと散る葉や花をかいくぐり、

落ち葉の下にもぐり、

山の中の精気を存分に吸い取って

出た時と同じようにすうっと音もなく私の口から体内に戻ります。

 

魂が戻ってくると、かすんでいたような目や頭の中に酸素が満ちたように

クリアになり、身体が軽くなり、なんとも言えない爽快感が体中に

満ちるのです。

 

ある日、そんなことを初めて人に話したところ「それは瞑想ですよ」と言われ

はっとしました。

 

瞑想だなんて意識したこともなく、ただただパンパンになった頭を抱えて

山に登り、座り込むだけ。

 

これが瞑想だとしたら、きっと誰にでも簡単にできることではないかしら。

 

人は常に頭の中で考えています。

「お昼は何食べよう」「今日の仕事の段取りは」「電車の中で大声で話すな」

次から次へと自分の意識がひとりごとをつぶやいています。

そんな雑念だらけの頭の中をクリーニングすると

集中力と行動力がよみがえります。

 

人によって方法はさまざまだと思いますが、

眠ったわけでもなく、食べ物を食べたわけでもないのに

身体中に満ちるあの感覚は何なんでしょう。

 

皆さんの瞑想の方法をぜひ教えてください。

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誰かの役に立つこと

ほんの少し水面から顔を出した意識の上で

あっぷあっぷしながら潜在意識の海でほぼ溺れかけている日常。

 

誰かの役に立っていますか。

 

誰かの役に立っていることを実感するって力がみなぎってきます。

 

でも、寝たきりのお年寄りや赤ちゃんは

誰かの役に立つ行為や行動なんてできません。

それでも小さい時の自分を可愛がってくれたおばあちゃん、

生まれたての泣いてばかりいる赤ちゃんだって

立派に周囲の人間の役に立っています。

それは「存在」。


そこにいてくれるだけでいい「存在」。

 

自分は誰かの役に立つ「存在」になっているのかな。

 

家族の中では出来の悪い「存在」だったり

おりこうさんでなければほめてもらえない「存在」だったり。

 

とても「存在」だけでは自分が人の役に立っているとは思えません。

 

だから一生懸命行動します。

誰かのささやく「あなたのため」という言葉の裏に隠された

「わたしのため」という事実に気がつくこともなく、

ほめられたい一心で、認めてもらいたい一心で。

 

それは「自分のため」の人生ではなくて「誰かのため」の人生を

生きているということ。

 

「存在」だけで誰かの役に立っていることを実感するたったひとつの方法。

 

それは、家族の中でも、友人の中でも、社会の中でも

対等の関係を築いてゆくこと。

 

「誰かのため」に行動するのではなく

「自分のため」に行動することが自信につながります。

 

その自信はめぐりめぐって人の幸せにつながります。

 

「存在」だけで人を幸せにすることができるように

自信を持って行動できる人間に私はなりたい。

 

「自分のため」に太陽の光をふんだんに浴び、

雨の恵みを受け、太い幹を育て、思う存分に枝葉を伸ばしたこの木が、

人々を日照りから守り、寄りかかる安心感を与える木陰を作ったように。


 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

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規格外

テレビで枝豆の選別をしているのを見ました。

さやにきっちり3粒入っているのがL、3粒入っていても形が悪いのがM、

2粒しか入っていないのがS、だそうです。

それ以下の小さなものは最初に機械ではじかれます。

小さなものだって実が入っているのにね。食べられるのにね。

 

背が低いから、ダミ声なんです、アトピー肌が気になって・・

などの身体的特徴だけでなく、

お姉ちゃんだから、女の子だから、長男だから、男でしょ、日本人たる者・・・。

自分が好んで決めたわけでもない生まれた順番、年齢、性別、国籍にいたるまで

どこかの誰かの既成概念にはめ込まれ、

幼い頃から生きづらい思いをしてきた人のなんと多いことか。

 

その概念は刷り込まれるうちに、いつしか誰かの概念じゃなくなって

自分の不安や心配になって大きく大きく重たく重たくのしかかってきます。

 

きれいな形のきっちり3粒入った枝豆でない自分。

ベルトコンベアの上ではじかれないように、

あたかも3粒入っているかのようにさやをふくらませて装い続け、

「3粒入っているね、優秀だね、Lだね、合格だね。」と言われることに

心血を注ぎます。

でも残りの1粒か2粒は不安や心配でふくらんださやです。

 

その心配や不安でパンパンになった空っぽのさやは

いつしかはじけます。

一歩も前に歩き出すことのできない自分が残ります。


自分はわかっていたのです。

規格外なのに3粒入りの立派な枝豆を装っていたのを。

 

2粒だっていいんです。

ちょっと形が悪くたって大丈夫。

規格外バンザイです。

 

そう思えたら生きるのが楽しくなります。

 

cafeころんのツリーハウスにかかった吊り橋。

規格外だって

100点満点がとれなくたって

早く走れなくたって

いい子じゃなくたって

ミライへの吊り橋を渡る勇気を持つことの方がどんなに大切か。

 

cafeころんでこの吊り橋を見て

ワクワクしてください。

きっと何かを感じることができると思います。

 

 

 

 



 

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原因と目的

行動を起こす時に必要なのは「未来の自分のためにこうありたい」

と強く思う気持ちです。

 

行動を起こす時に邪魔なのは「過去の自分はこうだったからできっこない」

と自分に言い訳する原因です。

 

生まれた時から刷り込まれてきた不安、心配、憂鬱、強迫観念・・・

そんなことが山のような荷物となって一歩が踏み出せません。

行動を起こすモチベーションとなるのは

過去の情けない自分を思い起こすのではなく、

かっこいい未来の自分を思い描くこと。

 

そこを切り分けて考えると、初めの一歩が踏み出せて

行動しているうちに霧が晴れ、向かって行く方向が定まってくるのです。

 

私は小さな頃から虫が大の苦手です。

そんな私が庭の木にできた蜂の巣を退治できるなんて!

 

庭に出るとブンブンと羽音をたてて向かってくる蜂に危険を感じ駆除を決意。

何日も前から巣に集まる蜂の生態を観察し、

駆除方法を調べ、シュミレーションをくり返し

とうとう一人の力で刺されることもなく駆除することに成功しました。

 

ちょっと「未来のかっこいい自分」というほどではありませんが、

苦手意識を克服し、行動に移したことでさまざまな手段を模索することができ、

虫一匹に大騒ぎをしていたかっこ悪い自分とは決別できたのです。

 

苦手だとか、不安なものって今までの環境の中で

刷り込まれていただけであって、立ち向かってみると

案外乗り越えられたりするものです。

 

あなたの苦手なことは何ですか。

その原因は過去のかっこ悪い自分ではないでしょうか。

 

 

 

 

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うまいっ!

先日カフェにお越しくださったご夫婦。

ランチを召し上がった後、

お酒を飲みながらゆったりとした時間を過ごされていました。

 

そのご主人様は何かを最初に口にされる時、

必ず「うんっ!うまいっ!」という第一声が飛び出します。

 

奥様もそれにニコニコとしながら相槌を打っています。

 

ランチを食べた時も、ビールを飲んだ時も、おつまみにお箸をのばした時も

気持ちいいほど周囲に聞こえる声で「うまいっ!」と声にされます。

 

私は驚きました。

料理を提供する私どもがうれしいのはもちろん、

それを聞いた奥様も周囲の人もそのひと声で笑顔になります。

ありきたりな料理でもそのひと声で極上な料理に生まれ変わります。

 

きっとご家庭での奥様のお料理にも

まずそのひと声を発していらっしゃるのでしょう。


料理の味そのものだけでなく、

その背景にあるすべてにこめられたその言葉から

ご本人のお人柄、

そして愛情に満ちあふれたご家庭を想像することができました。

 

「うまいっ!」は魔法のスパイス。

その場が愛に包まれます。

嫌なことが吹き飛びます。

 

皆様もコショウや醤油とともに

ぜひこのスパイスをご家庭にお揃えになってみてください。

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やろうと思ってた

ものごとをじっくり考える。

いいことですね。

でも考えてばかりで行動しないのは考えていないのと同じことです。

もったいない。

せっかく思考した時間が水の泡です。

 

「今やろうと思ってた」「暖かくなったら始める」「来年は頑張る」

こんな言葉を使う多くの人は行動しません。

「今」やらない人は、暖かくなっても来年になってもやらないのです。

 

テストで良い点を取った時、仕事で良い成果をあげた時、

「優秀だね、頭がいいね」とほめられる。

その時は気分がいいですね。

「頑張ったね、努力したんだね」とほめられたらどうでしょうか。

これもなかなかうれしいものです。

 

人はおもしろいもので、知性を褒められるとチャレンジをしなくなります。

でも努力を認められるとさらに高度な問題に挑んでいく勇気が得られます。

自分を賢く見せることに注力すると失敗や間違いを犯すリスクを回避する心理が

働くようになるからです。

思い当たるふしはありませんか。

 

誰でも失敗を恐れる気持ちは持っていますが、

失敗を失敗のままにしておくことが失敗そのものなのです。

成功だけをほめられていると、プライドだけが肥大化していきます。

失敗のリスクを取り続けることがチャレンジです。

失敗と向き合えば成功への道筋がみえてきます。

チャレンジは行動。

ネガティブだから行動できないのではなく、

行動しないからネガティブになっていくのです。

 

人生は選択、決断、行動のくり返し。

それに必要なものはポジティブで失敗を恐れないチャレンジャー精神なのです。

 

 

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叶屋

青梅の町は古くからの家が多く、あちらこちらに屋号の入った蔵をみかけます。

 

これは叶屋さんでしょうか。

 

「叶」は願望が実現するという意味です。

 

漢字の名言を引用すると、

口から出るのは+な事もあれば、−な事もあります。

だから口から出るさまざまな否定的な言葉は「吐く」とも言います。

でも、−な事を言わないようにすると・・

願いが「叶う」。

 

毎日の暮らしの中で口から出るネガティブ言葉は実にさまざま。

弱音を吐く、毒を吐く、つばを吐く、捨てぜりふを吐く・・

自分を振り返ってみると、言ってます、言ってます。

 

漢字の名言、わかりやすいですね。

嫌な言葉を口からひとつ出すたびに願いがひとつ逃げてゆく。

口から出すのは+なことだけ、と肝に命じておけば願いが

近寄ってきてくれるような気がします。

 

きっと昔は商売をやっていても弱音を吐かず、お客さんを大事にして

立派な蔵を建てた「叶屋」さんだったのでしょう。


自分も「叶屋」の番頭さんになったつもりの会話をこころがけ、

願いに一歩でも近づきたいものだと思わずにはいられない漢字遊びでした。

 


 

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心の窓と鍵

自己紹介というのが苦手。

小学校から現在に至るまで何度となく要求されてきた自己紹介だが

一度としてうまく言えた試しがない。

 

人間には心の窓がある。

 

大きく開いている人もいれば、ほんのすきま風が通る程度にしか

開けていない人もいる。

ぴったりと閉ざして鍵までかけている人だっている。

 

心の窓が大きく開いていればいるほど人との会話の接点が増え

アクセスの頻度が高くなる。

 

心の窓を大きく開けている人はきっと自分自身を理解している。

長所も短所も受け入れて納得している人に違いない。

 

短所には目を閉じ、耳を塞ぎ、受け入れることをしたくない、

ましてや気がつかない私の自己紹介がひどいのも

こうして考えてみるとうなづける。

 

この写真はナチュラル・ノスタルジーなカフェころんの窓。

庭につづくこの窓はいつもは開け放たれていて

玄関から抜ける風が心地よい。

鍵もちょっと壊れていて締めるのにひと苦労するほどゆるい窓だ。

 

そんな自己紹介が上手なカフェだから

人が集まり、人が笑い、人が育つのかもしれない。

 

 

 

 

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不安の正体

高い所が怖かった。

 

幼稚園でクラス全員がジャングルジムに上って撮った写真がある。

ひとりだけ皆と同じ高さまで上れず一段低いところで写っている。

何十年もたった今でも覚えているその時の気持ち。

 

高い所が怖かった。

 

今は高層ビルから見る夜景を美しいと感じ、

吊り橋も渡ることができる。

 

人間は高い所への恐怖感を本能的に備えていると思う。

高い所から落ちた経験があったり、

落ちたらどうなるかということを想像することができる。

 

鳥のような翼もなく、ボイスレコーダーのような頑強な作りの肉体でもない。

高層ビルや吊り橋から落ちたらどうなるかを想像するのは容易い。

「死」から身を守らなければ子孫を繁栄させることもできないのだ。

 

幼い頃は周囲に「死」というものに触れる機会もなく

万全と「死」への恐怖だけが大きく膨らんでいた。

 

大きくなるにつれ、生き物が死ぬのを見たり、葬式に参列したり、

病院へ見舞いに行ったりして「死」が誰にでも訪れるものだという理解が

深まると同時に「高い所」への恐怖も薄れていった。

 

私達の日常は死ばかりではなく、さまざまな不安や恐怖に満ちあふれている。

ただ恐れているばかりでは美しいものに感動する心や

楽しいことに触れる機会を逸してしまう。

 

その不安や恐怖の正体をつきとめてみよう。

 

きっと人生がひときわ輝いてみえてくるはずだ。

 

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3大がっかり

世界には、いや国内にも3大がっかり名所と呼ばれる所があったりする。

観光客が多い割には規模が小さかったり、

有名であるのに期待を裏切る要素が満載の名所である。

 

人間にも期待を裏切る3大言い訳がある。

お金がない。

時間がない。

自信がない。

自分自身でも過去に何度も言ってきた覚えがある。

 

だがこの3つの中で万人に平等に与えられているのに

失ったら二度と返っては来ないものが時間だ。


お金は一文無しからだってどうにかして増やすことができる。

自信もからくりさえ理解して努力すればつけることができる。

でも時間だけは目減りしていくだけのやっかいなシロモノ。

どうやって時間という無限のようで有限な財産を増やしていけばいいのか。

 

イライラして煙草を吸う時間。

凹んだ気分をヤケ酒で紛らわす時間。

あたりを見回すと皆が捨てている無駄な時間がゴロゴロ転がっている。

 

そうだ、ストレスで消費する時間をなくせば時間は増えるのではないだろうか。

すなわちストレスをなくす。

なんだか難解な方程式が解けたような。

 

やらなければいけないことを一番先にやる。

やりたくないけれどやらなければならないこと、

それはいつでも行動にブレーキをかけてしまって時間を消費する最大の原因。

いっそのことやらないか、一番先にやる。

 

すべてを一人でやらない。

一人でやったほうが早く終る、とか人に迷惑かけたくない、とか。

そんな理由で自分を縛り付けてやることを山積みにしているのも時間の浪費。

周りの人を味方につけて多くの力でやりとげる。


なんだか真剣に考えると考え方や行動で

時間という資産を増やすことも可能な気がしてくる。

 

世界3大がっかり名所のような人間にならないように

3大言い訳と向き合ってみるストレスフルな月末の帰り道。


 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

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はぐれ蛍

生きて光りながら飛ぶ蛍を見るようになって何年だろう。

 

都会で生まれ育った私はとしまえんの昆虫館でしか蛍を見たことがなかった。

 

ここ青梅では蛍が生育する絶好の場所があり、

この地に住むようになってから梅雨の時期になると

毎年ナマ蛍を鑑賞している。

 

さらさらと流れる小川の音だけの暗闇の世界。

 

淡い緑色にふわりと光っては消える蛍たち。


外敵を驚かすためとも求愛行動とも言われる明滅は

闇があるからこそ役立つ光のコミュニケーション。

 

闇は苦悩、忍耐、迷い、不安、貧困、病気、差別。

それらがあるからこそ光る希望。

 

明るい場所では必要とされない光だからこそ

闇の意味があるのだ。

 

人間が渡れない小川の向こう岸に光る蛍たちからはぐれて

飛んできた一匹をそっとつかまえて葉の上に乗せてみる。

 

ずいぶん道を間違えてしまった蛍はそれでも淡く淡く光りながら

仲間たちとコミュニケーションをとろうとしているようだ。

 

ちゃんと自分の居場所へ戻るのよ、と手のひらにのせてそっと空に放つと

安心したかのようにほわっと光り闇の中に消えていった蛍は

いつかの私だったのかもしれない。

 

 

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トマトの花が咲いた。

 

こんなに天気がいいのにうつむいている。

写真が撮りにくいし、どんな花なのかもよくわからないほど地味だ。

 

トマトの原産地アンデスでは標高が高く、

受粉を促すハチなどの昆虫がいない。

 

太陽に向かって咲く花が目立って美しいのは、

花粉を運んでくれる昆虫を引き寄せるためでもある。

 

そこで地味なトマトは考えた。

 

風。

 

うつむいて咲けば風が花粉を運んでくれる。

 

地味で目立たず、うつむいて咲く花にも

風は優しい。

 

 

 

 

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バランス

何日か前の夕焼け。

 

天地創造の日はこんなだったのではないだろうか。

 

闇の中から生まれる光。

昼と夜、月と太陽、空と海、そして男と女。

 

お互いが存在することで成り立つ森羅万象。

どちらも過不足なく見事にバランスがとれている。

 

勉強がはかどらない時、仕事がうまくいかない時、恋愛が成就しなかった時、

体内の細胞がすべて下降線をたどるような気がする。

そんな時に脳内で頑張ってくれるのが有名なやる気物質アドレナリン。

人間の脳でさえもバランスがとれる仕組みになっているのだ。

 

恋愛の賞味期限は3年といわれる。

ひとつの恋愛の中で媚薬ホルモンが分泌し続けることはない。

そう、森羅万象バランスがとれることになっているこの世界、

恋に落ちたときのようなドキドキ感が一生続いては困るからだ。

この媚薬ホルモン、分泌するのは長くても3年から4年。

だから3〜4年交際した男女であれば、ホルモンに惑わされることなく

お互いを理性的に見ることができ、結婚しても長続きするというわけだ。

 

でもドキドキ感が消えたならマンネリが待っていると考えるのはちょっと早い。

それなら媚薬ホルモンに代わるわくわくホルモンを互いに分泌すればよい。


行ったことのない場所、いつもとは違うファッション、

二人で新しいことを始めてみる。

 

「星の王子さま」を書いたサン・テグジュペリはこう言っている。

 

愛とは、お互いを見つめ合うことではなく、

ともに同じ方向を見つめることである。



 

 

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肯定文の威力

インパクトのある看板ですね。

 

「この先に行ってはいけません!」とか「立入禁止!」と書かれた看板より

ずっと抑止力があります。

絶対入りたくないです。

不思議です。


ちょっと意味合いが違いますが

駅前の放置自転車にも「ここに置いてはいけません」より

「どれでもご自由にお乗りください」と書いた方が

放置する人がいなくなりますね、きっと。

 

飲食店に入って少し手の込んだ料理を注文したとします。

「すぐにはできません」と言われるより

「少々お時間かかります」と言われた方が同じ時間待つのにも

気持ちの余裕が変わってきます。

 

肯定文ってすごいですね。

 

特に決意を表す時に肯定文は有効です。

 

「失敗しないぞ」と思うより「成功するぞ」「達成しよう」と

思う方が成功する確率が高くなります。

 

「失敗」という言葉に意識が集中してしまうと

あたかも失敗を達成するということにもなりかねません。

 

ネガティブな言葉より、ポジティブな言葉の方が脳に大きな影響を

及ぼすと言われています。

 

どうにもならない自分を救う究極の手段ともいうべきポジティブ思考。

 

あなたの使う言葉は否定文?

それとも肯定文?

 

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シンデレラの落としたガラスの靴も右足だった

右足から靴を履くと一日が幸せになる。

こんな言い伝えがヨーロッパにはあるそうです。

ギリシアの自然哲学者、ピタゴラスも「右足から歩み始めよ」と

言っています。

 

根拠があるのかないのかわかりませんが、

自分が毎日どちらから靴を履いているのか気になりました。

 

左!

これは由々しき事態です。

さっそく明日から右足から靴を履き、右足から玄関を出なければ

と心新たにしました。

 

しかし私はなぜ左足から靴を履くのでしょう?

右利きだから?

右手にバッグを持つから?

そうやって考えてみると靴下を履くのも左、足を洗うのも左足からと

日常の動作の順番が決まっています。

習慣とはおそろしいものです。

みなさんはどうですか?

 

これは何十年もの生活の中で、自分がやりやすい方法を無意識に

身体に刷り込んで覚えさせていったのではないでしょうか。

 

人間は、身体だけでなく心を安定させるためにも

いろいろな方法を使います。

 

イライラしたり、ちょっと不安になった時

音楽を聞いたり、歌ったり、自然の中に出かけたり。

 

でもそんな方法が何も見つからない時。

 

いつも毎日の生活の中でしている動作の順番を変えてみるのはどうでしょう。

 

嫌な気持ちというものは過去何十年もの間、自分の中に刷り込んできた

自信の無さの裏返しなのではないでしょうか。

人に認めてもらえなかったり、

良い子、良い人でいるためにいろいろなことを我慢したり犠牲にしてきたことが

長い時を経て不安やストレスとなって積み上がり、

ざわざわとした嫌な気持ちとなっているような気がします。

 

長い間積み重ねてきたものですから

そう簡単には考え方を変えることができません。

毎日靴を履く順番をすぐには変えられないように。

 

まず、強い意志を持って繰り返し繰り返し日常の動作を変えてみる。

潜在意識で行っていたことを書き換えることの練習です。

 

さぁ、私にも自然に右足から靴を履き、右足から玄関を出る日が

やって来るのでしょうか。

 

 

 

 


 

 

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ウッドデッキパーティ@cafe ころん

cafe ころんは、手相カフェ・テオが月に一度出店するレンタル・カフェ。

 

廃屋をリフォームして作り上げたカフェにはなんと庭があります。

今、その庭の大きなヒノキと柿の木を支えにしたツリーハウスを建築中。

 

費用はクラウドファンディング、労力は有志、

あとは協力してくださるみなさんの心意気で

ツリーハウスは完成に向かって着々と進行中。

https://faavo.jp/tokyonishitama/project/508

 

昨日はツリーハウスのウッドデッキ部分の完成を祝して

パーティが開かれました。

 

売上はもちろんツリーハウス建設資金に。

 

誰もが一度は憧れたことのあるツリーハウス。

ほんのちょっと高いだけなのに、

一瞬にして子どもの頃の自分に戻れるタイムマシン。

 

こども達に木の温もりを!

青梅杉で作る木のテーマパークを駅前に作りたい!

 

そんな思いの人たちが集まって作るツリーハウスは

大きな大きなタイムマシン。

たくさんの大人達のこどもマインドと

たくさんの子ども達の大人へのステップを積んで加速中!

 

毎週日曜日・月曜日はツリーハウスday。

どなたでもツリーハウス作りに参加できます。

 

7月の完成目指して一人でも多くの方に関わっていただければと思います。

もちろん完成後に遊びに来ていただくのも大歓迎です。

 

新しい青梅のランドマークとなる日をお楽しみに。

 





 

 

 

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真水より泥水

青梅には吹上しょうぶ公園という6月には見事な菖蒲で彩られる公園があります。

 

もう咲いているかと散歩がてら訪れてみると、勢い余って咲いてしまった感の

菖蒲が一列、二列・・

まだ少々早かったようです。

 

それでもところ狭しと飛び回ってはさえずるウグイスの声が菖蒲園を囲む山々に

反響して、彼にとっては格好のコンサートホールとなっていました。

 

その入口の沼地に咲き始めていた蓮の花。

 

泥水が泥水であるほど大輪の花を咲かせると言います。

 

人間界と同じじゃありませんか。

 

泥水の中を無呼吸泳法で成長し、立ち上がって水面に顔を出し

なんとも神々しく咲く大輪の花。

 

澄んだ真水では小さな花しか咲かせることができないと知り、

猛然と力が湧いてきました。

 

苦しくても辛くても悲しくてもそれはそれでいいんだ、

それがドロドロとしていればしているほど成長することができ

水面から顔を出したときには満面の笑顔をたたえることができるんだ。

 

蓮の花が住処のお釈迦様はきっとこれを知っていたんですね。

 

咲き始めた蓮の花の中に、ちらりとお釈迦様が見えたような気がして

満開の菖蒲が見られなくても得をした気分になりました。

 

お釈迦様の宗派さえ知らない私にも微笑んでくれた蓮の花。

思わず手を合わせてから帰る散歩道。

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暗い岩屋から抜け出すために

コンビニというには少し抵抗のある酒屋なのか、パン屋なのか、

八百屋なのかわからないひなびた総合食料品店の店先に

店主の趣味なのか大きな水槽が置いてあります。

 

赤や白のヒラヒラと泳ぐ金魚の水槽とは別の水槽にひとりぼっちの生物。

どうやらナマズのよう。

岩と岩の間にじぃっと身をひそめ、

こちらが水槽に顔を近づけてジロジロ見ても微動だにしません。

 

山椒魚・・

井伏鱒二の作品を思い出しました。

 

山椒魚は悲しんだ・・

で始まるこの物語はぼーっとしている間に大きくなりすぎて

岩屋から出られなくなった可哀想な山椒魚のお話です。

 

「何たる失策であることか」

とうめいた山椒魚の後悔、焦り。

 

なぜぼーっとしていたの。

多分そこが安心できる場所だったから。

安心ってなぁに。

与えられた場所で言われた通りのことをして誰かにほめられること。


そう、人間ってほめられるとうれしい。

でもほめられるためにはいい子でいなくちゃいけない。

 

いい子でいるってぼーっとしていることと同じこと。

自分で考えなくてもいい、誰かが言った通りのことさえしていれば

いい子ね、お利口ね、ってほめてもらえる。

 

でもほめてもらう代償に考える力を奪われる。

自由な行動を制御される。

抜け出せなくなって初めてわかる暗くて狭い世界の哀しさ、

自由の尊さ。

高価な代償を支払って得るものは無気力、自信のない自分、

そして絶望。


もっと広い世界に出てごらん。

身を守りたければ隠れていないで武器をもちなさい。

広い川を泳ぐために自由自在に使いこなせる武器を持ち

自分の意志で泳ぐんだよ、

と水槽の中のナマズに心の中で語りかけた昼下がり。

 





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上れるはずの階段

駅までの道。毎朝上る階段。

この一段目の手前まで来ると頂上を見上げて身構える。

 

「うへぇ・・。いつになったら軽快に上れるんだろう。」

「右端を上る?それとも左端?

坂道はジグザグに登るとラクだと聞いたことがあるぞ。」

「途中で一回休む?いやいやそんな時間ないし。」

などなど頭の中は階段征服のことでいっぱい。

 

上り終えると心拍数は上がり、しばし息を整える。

やっぱり今日もダメだった・・の繰り返し。

 

急がば回れの言葉どおり、ちょっと回り道をすればこんな階段上らずに済む。

しかし自虐的性分なのか、負けず嫌いなのか、回り道はしない。

人間苦しい道を選べば能力が開花するはず、

こんな階段上れなくてどうする、これは修行だ、などと

自分に言い聞かせながら、階段を睨みつけ

飽きもせず上ってはハァハァと惨敗に終わっている。

 

ある日。

家を出てから足は勝手に駅に向かっていたが、

夢中で考え事をしていて問題のポイントにさしかかったのも覚えていない。

もちろん頂上を見上げることもなければ、ジグザグ上りもしていない。

気がついたのは階段を上り終えて、モッコウバラが美しく咲く次の曲がり角だった。

息が乱れていない。

なぜ?

 

潜在意識・・?!

若くないんだからこんな階段駆け上がるなんてできるわけないよ。

毎日繰り返し上り続けているのに一度も成功したことがないし。

どうせ私なんか・・・

 

頭の中では威勢のいいことを考えているふりをして

潜在意識ではそんな失敗経験の確認作業をしていただけなんじゃないのか。

 

潜在意識おそるべし。

 

待てよ・・

それじゃあその逆に、上れることを潜在意識に刷り込めばいいんじゃない。

どうやって・・?

自己暗示?無理無理。

だって暗示をかけた時点で顕在意識として存在してしまう。

 

たった一度の成功は無意識の下で達成することができた。

そうだ!無意識だ!

失敗も成功もない。階段も平地もない。気負いも落胆もない。

あるのはただ駅という目的地に向かって進むという行動だけ。

 

すばらしい解答を片手に意気揚々と家を出て明日の朝も階段に臨む。

らくらくと上れるはず・・だ。

 

あぁ、手に負えない潜在意識と格闘の日々。


 

 

 

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FANCL銀座スクエア初出店

HAPPY MOTHER'S DAY!

 

今回は美と健康をテーマにしたFANCL銀座スクエアに出店いたしました。

 

手相カフェ・テオではマルタからのオーガニック食材を多く使っています。

http://maltaste.com

 

今日はマルタからのワインや食材の試飲試食のためのプレートを

担当させていただき、特別イベントとして手相鑑定も!


ワインやプレートを銀座の真ん中とは思えないゆったりとしたテラスで

楽しみながら手相鑑定ができるなんて・・と多くのお客様に

嬉しいご感想をいただきました。

 

青梅で起業を目指すレンタル・カフェで営業している私達にとって

ここ銀座での営業はいつも以上にたくさんの学びの空間となりました。

 

青梅で学んだこと、銀座で感じたこと、毎回さまざまなトライ&エラーを

繰り返しながら大きく成長していきたいと思っています。

 

おかげ様で銀座でも料理、手相鑑定共々ご好評をいただきましたので

次回も出店の運びとなりそうです。

 

出店の折には、ウェブサイトにてお知らせいたしますので

お近くにお住まいの皆様、どうぞお立ち寄りくださいますよう

お願い申し上げます。

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青梅大祭

青梅の街にはこんなポテンシャルがあるんだ!

と思い知らされた5月3日。

 

駅前から青梅街道を埋め尽くす人、人、人・・・

 

山車の競り合い、喧嘩囃子。

血気盛んな男衆のパワーが町中にあふれ、

そのエネルギーに酔いしれる13万人の来場者。

 

いつもは指で数えられるほどの人間しか歩いていない通りに

こんなに人が集まるなんて。

 

おかげさまでお祭り支度をしたテオにも

たくさんのお客様がお越しくださいました。

 

いつかお祭りと同じパワーをこのcafeころんから、手相カフェ・テオから

放って、青梅の町が毎日お祭りのような活気に満ち溢れる日が来ることを

願っています。


 

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パワスポ天国 青梅

青梅にはパワースポットが随所に点在しています。

 

1300年の歴史を誇る名刹塩船観音寺薬王寺は御朱印ガールも多く訪れる

パワースポットの代表格。

 

境内には2万株を超えるつつじがこれから盛りを迎えます。

 

赤、白、ピンクと色とりどりにつつじが咲きほこる5月3日の大祭には

真言宗修験道の柴燈護摩がたかれ、法螺貝を吹きながら山伏達が行列で現れると

真っ赤になった火の中を真言を唱えながら火渡りの荒行が行われます。

一般の方も参加することができるそうです。

 

天気がよければつつじの丘のてっぺんからスカイツリーが見えることもあります。

 

壮大なつつじと火渡り荒行を同時に見れるチャンスは5月3日の一日だけ。

 

本来は厳しい修験を行って初めて得られる力を、その場所を詣でるだけで

身分性別を問わず得られるというパワースポットでの大イベント、一年に一度の大チャンス。

 

どうぞお見逃しなく!

 

 

 



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刹那

里は葉桜となる頃、最後の桜、そして桜の最期を観るために近くの山へ。

 

日頃の運動不足を呪いながら、あえぎあえぎ山を登り見晴台にへたり込むと、

人の気配のまったく無い山はプッと耳が詰まるほどの静寂に包まれていました。

 

緑深い山のところどころに混ざる桜が淡い霞のよう。

 

思考を停止してだらしなくポカンと開けた口から吐き出した魂が

尾根を伝って山の中に吸い込まれてゆきます。

 

日常にまみれて汚れて歪んだ魂が、

春の霞の中をさまよって、桜の刹那の精気を浴びてまた私の身体に戻ってくる頃

静寂な山にひらひらと音が聞こえたような気がしました。

 

桜の最期に間に合った。

 

ほんの数日だけの花霞。

 

人間が100年生きたとしたって宇宙から見れば

桜の花びら一枚散る時間にも値しないほどの刹那。

 

その刹那にできること。

 

桜のように、雨上がりの虹のように

儚く消えてゆくものがその瞬間に放つもの。

 

このちっぽけであさましい人間にもそんな瞬間を迎えることができるでしょうか。

 

 

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ご来店ありがとうございました

4月3日、4日には手相カフェ・テオも3度目の営業日を迎えることができました。


予約のお客様をはじめ、たくさんのお客様にご来店いただいたにもかかわらず、

時間が足りず、お待たせしてしまったり、鑑定できずにお帰りいただくことになったお客様、

本当に申し訳ありませんでした。


誠心誠意の鑑定を心がけたい気持ちが先に立ち、ご来店頂いた多くのお客様にご不便をおかけしてしまい

営業するたびに抱える課題が山積みになっています。


このレンタル・カフェは起業を志す人々のトライアルの場ではありますが

ひとつひとつ課題を解決しながら、皆様に心地よくお過ごしいただけるカフェを目指していきたいと

思っております。


お越しいただいたお客様全員が鑑定を体験いただけますよう

お問い合わせフォームからのご予約をよろしくお願いいたします。

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御岳山に登ったことがありますか

青梅の街を散策しているとよくこの扉に貼ってあるお札をみかけます。


牙を剥いた犬のようですが・・・


これは東京の西の最果て青梅、御岳山頂上にある「武蔵御嶽神社」のお札です。

武蔵御嶽神社に祀られている主祭神は

「櫛眞智命」(くしまちのみこと)といってなんと占いの神様です。


この地で占いを始めたことに運命を感じてしまいます。


毎年1月には非公開で

(行っても見れませんよ。非公開というだけで霊験あらたかに思えてしまいますね)

太占祭(ふとまにさい)が行われます。

太占・・高校の日本史で習ったような記憶が。

それもそのはず、現在では富岡製糸場で名高い群馬県貴前神社と、

この「武蔵御嶽神社」だけに伝わる日本最古の占いだそうです。


男鹿の肩の骨を焼いて作物の豊凶を占うのだとか。

だから今でも青梅の農家や民家には作物の豊作を願って

この御岳山「武蔵御嶽神社」のお札が貼られているということです。



さて、本題の牙を剥いた犬のような絵が描かれたお札に戻ります。


この占いの神様の他にも何体かの神様が祀られていて、

そのひとつ「大口真神」という神様は通称「おいぬさま」と呼ばれていますが

実はオオカミなのです。


まだまだ日本ができたばかりのころのお話でしょうが

日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征のとき、

この御岳山から西北に進もうとしていました。


もうヤマトタケルがここ通ったんだ!

と知っただけでパワースポット感満載であります。


そしてこの深い山奥の邪神が大きな白鹿と化して道をふさぎました。

(神話にありがちな設定ですね)

ヤマトタケルは山蒜(やまびる)で邪神を退治したものの、

その時山谷が鳴り響き、雲霧が発生して道に迷ってしまったそうです。

そこへ忽然と白狼が現れ、ヤマトタケルの軍を西北へ導いたそうです。


この神話、あながち作り話ではないと感じるのは

ここ青梅では今でもちょっと山に分け入ると鹿を見かけることがあるし、

(白くはないです。どちらかというと黒っぽいワイルドな鹿です)

昔はそりゃオオカミだっていたでしょ、というぐらいの深い山なのです。

ちょっと気温差が生じると川だって滝だってたくさんあるから

濃霧だっていとも簡単に発生するのです。


というわけで妙に納得してしまう狼信仰。


その時ヤマトタケルはオオカミに「此の山に留まり、地を守れ」と仰せられたそうな。

以来、「おいぬさま」と崇められ様々な厄除け

道中で難を救う旅行安全の神として信仰を集めています。


「おいぬ」は「老いぬ」にも通じて長寿の神様としても、

また戌は安産・多産の神様として有名で、

昔から妊婦さんは「戌の日」には安産のお参りにいきますね。


休日ともなれば、多くの愛犬家が可愛いワンコを連れて

登山をしています。


さてゴールデンウィークも間近。

東京の西の最果て、御岳山に登ってみるのはいかがでしょうか。




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僕の前に道はない        僕の後ろに道はできる

高校の教科書に載っていたような・・

高村光太郎の作品「道程」の一文です。


去年の2月には大雪が降り、cafeころんのあるここ青梅の駅裏手にある山の上には

3月でもまだこんなに雪が残っていました。

人間はおろか猫や犬の足あとさえ一つもついていません。

一歩一歩踏み出すと、高校時代に出会ったこの詩が頭の中に舞い降りてきました。


手の平には「運命線」と呼ばれる線が手首から中指方向へ立ち上がっています。

流年法というものさしのような方法を使って何歳でどんなことが起こったとか起こるとか

人生のストーリーを読み解いていきます。


まるでこの雪野原を歩く足あとのように手の平にも運命が刻まれていきます。

転ばずに歩けるでしょうか。

転んだ時には誰かが救いの手を差し伸べてくれるでしょうか。

道が二手に分かれた時にはどちらの道を選んだらよいのでしょうか。


迷いながら、決断しながら刻々と物語が描かれていくのです。


ああ

人類の道程は遠い

そしてその大道はない

自然の子どもたちが全身の力で拓いていかねばならないのだ

歩け、歩け

どんなものが出てきても乗り越して歩け

この光り輝く風景の中に踏み込んでゆけ


僕の前に道はない

僕の後ろに道はできる




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色のない景色に少し色がつく瞬間

3月7日(土)2回目のPalm Reading Cafe THEOの営業を終えました。

 

前回に引き続きたくさんのお客様にお越しいただきありがとうございました。

今回はこのホームページからのご予約もいただき、そして開店時間も早めての営業となりました。

 

これはお客様が撮ってくださったTHEO営業中の写真です。

夕暮れ時のあたりがモノトーンになる時。

暖かい灯りがともされると、そこだけが血の通った体内のように色みを帯びる時間です。

 

 

生きていると楽しいことばかりではありません。

もう勘弁してくれと放り出したくなることが山のよう。

自分が楽しいと思う時ってどんな時でしょう。

友達と遊んでいる時、買い物している時、家族とのだんらん・・・

たしかに!

 

自分が楽しく思えることを一生続けられたらいいな。

人のためじゃない、自分のため。

でもそれは人を喜ばせることだったり、楽しませることだったり。

結局自分が本当に楽しいと思えるのは自分の考えたこと、提供したことやものが

「人に喜んでもらえること」なのがおかしい。

 

人間社会ってなんてよくできた仕組みなんだろう。

 

楽しい事を探して頭の中をぐるぐるぐるぐる回っている回遊魚のような考えが

お刺身となってお皿に上がる。

そんな時、目の前のモノトーンの風景が少しだけ暖色を帯びて色を認識できる感覚になります。

 

それをイメージできた私にとって記念の一枚です。

 

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If Winter comes, can Spring be far behind?

冬来たりなば春遠からじ。


寒さの苦手な私は秋風がそよそよとする頃から

冬の気配を感じて、もう翌年の春を待ち遠しく

思いこの言葉を呪文のように唱えます。


日本は四季がはっきりしていますから春夏秋冬は

行儀よく並んでいて順番が狂うことがありません。

春→冬→秋→夏なんてことがないので安心です。


冬さえ来てしまえばこっちのもの、

焦らなくたってその次に並んでいる春は確実に

やってくるのです。


外に出ると春の気配はあちらこちらに。


見てください、この背筋をピンと伸ばして

まっすぐ前を見据えたこの梅の花。

希望に満ちたミライにアンテナを張り、視界を

広げているように見えませんか?


梅の花を観てこんな勝手な解釈をしていると

明日からの行動力につながるような気がしてきます。





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トライすること

起業を目指す人がトライアルで事業を起こせる場という環境を得たことは、私にとって大きなチャンスでした。

 

自分の手相を観てみると「今でしょ。」と言っています。

そのチャンスの時期だけでなく、この企画を考える源となった人物や協力者の線もしっかり現れています。

そこは自称palm reader(手相を読み解く人)、何のためらいもなく、負の要素を感じることなく出店を決意しました。

 

準備の段階でワクワクすることはあっても

不安を感じることは全くありませんでした。

 

なぜ私が不安を感じなかったのか。

 

それは実践を一度も踏んだことのない無知の塊であったという一言につきると思います。

 


「情報は知識ではない。本当の理解は実験に始まり実験に終わる。」

 というアインシュタインの言葉通り、出店までの準備期間中は経営に関する情報や心理に関する情報、本やネットに氾濫する情報を詰め込んだだけのただのハリボテですから不安や恐怖など感じようもないはずです。

 

そしてなんの不安もなくワクワクする気持ちだけで迎えた手相カフェ・テオ初出店の日。

 

サインボードを出したとたんに続々とご来店くださったお客様。

気がつくと日が暮れて、空はオレンジ色に変わり、空以外の物体は影となっていました。

 

無我夢中で過ごした一日はオレンジ色の空と同じ心地良い達成感と疲労感、

そしてその風景は同時に自分を覆い始めた影に気づかせてくれました。


 

無知な愚か者が何かに気づく・・

それは無謀な実体験であったりします。

あぁ、あの本で読んだことはこういうことだったのか。

あの人がアドバイスしてくれたのはそういうことなのか。

初めて情報と行動がマリアージュして理解となる瞬間です。

影に色がつく瞬間です。

その影は日がまた昇れば色のついた実体としてよみがえるのです。

 


目や耳から得た情報を行動を通して理解につなげていくこと、

それは人間にとって永遠の課題であると思うのです。

 

幼い少年がたくさん転んでケガをして学習し、

自分の身長の倍もあろうほどの幅の川を飛び越すことができるまでに成長するように。

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手相カフェ・テオ オープン

Palm Reading Cafe "THEO"

JR青梅駅近くのシェアスペース@cafeころんで初出店しました!(2015.02.07)

 

初日からたくさんのお客さまにお越しいただき

本当にありがとうございました。

 

このシェアスペースはだんだん人通りが寂しくなる青梅の商店街に活気が戻るよう、起業のトライアルの場として「自分のお店を持ちたい」人たちの手で廃屋をリフォームして作り上げたものです。

 

どことなく懐かしく感じるナチュラル・ノスタルジックなカフェは人と人との間隔を少し近づける作用も働くようです。

 

カフェの中で知り合った見ず知らずの人同士が

お茶を飲みながら、ランチを食べながら

自然に会話をしたり、写真を撮ったり。

 

店内のそんな様子を見ながら、

青梅の街だからこそ起こる化学変化を感じました。

 

手相鑑定にも多くのご依頼をいただき、

本当にありがとうございました。

 

次回は2015.3月7日(土)を予定しております。

 

どうぞお気軽にナチュラル・ノスタルジックなカフェ、THEOで起こる化学変化をお楽しみください。

 

※手相鑑定の予約状況確認はこちらを▶予約状況

 予約のお申し込みはこちらから▶お問い合わせ

 

 

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手相って?

手のひらを開いてみてください。

無数の線が刻まれていて世界に一つだけの自分の手相。

この手相から何がわかるのでしょう。

ドキドキしますね。

 

性格、思考のタイプ、健康状態、転職や結婚など人生の転換時期、

その他人生にまつわるいろいろな事がわかります。

これから自分の身に起こる、または既に起きたことも伺い知ることができるので、

当たるとか当たらないという占いの範疇に入っているのでしょう。

 

でも単なる「占い」で終わらないのが手相の奥深いところ。

なぜなら過去のことはともかく、未来に関しては手相を変えることができるのです。

手相を変えることができるですって?!

・・・と疑心暗鬼の方もいらっしゃると思います。

もちろんサインペンで描いたりするわけではありません。

もしあなたが何かに気づき、そして行動を起こせば手相はどんどん変わっていきます。

当たる、当たらないで一喜一憂するよりも、今現在の手相を読み解いて、

自分の力で未来をデザインしていくということが可能なのです。

 

手のひらに描かれていることはもちろん良いことばかりではありません。

将来起こりうるアンラッキーなことだって正直に描かれています。

よく言われるのが「良いことだけ教えてください!」

え?それってもったいないです。

だって悪いことが起こる予測ができるのですから、そのアンラッキーの種から

ラッキーの花を咲かせることだってできるんです。

良いことだけ知らされてもうれしいのはその時だけですからね。

 

だから私は「占い師」と呼ばれたくありません。

恐山のイタコのように霊が憑依して私の口を通して語るわけではありませんし、

私自身に特別な霊能力があるわけでもありません。

英語では「palm reader」(手相を読み解く人)って言います。

ちょっとカッコいいですね。

 

私が手相を読み解いて、手のひらを開いたご自身が納得する最良の方法で

未来をデザインしていく。

 

そんな形でやっていければ最高です。

 

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行動で未来は変わる

そうだ 奥多摩へ行こう

タンポポは2度成長する

タンポポは2度成長する

 

サクラが満開となり

上を仰いで歩く季節となりました

 

ふと足もとを見ると

土も無いような側溝の割れ目から

ぐいっと背を伸ばして

道路まで顔を出したタンポポ

 

タンポポは2度成長する

という言葉を思い出しました

 

タンポポの花の茎は短く

花が咲き終わると萎れて下を向いて

いきます

いったん枯れたかのように見えた茎は、また上に向かって力強く成長し

遠くへ綿毛を飛ばすために

もと咲いた花の位置より

長く高くなってゆくのです

 

なんとも勇気づけられる

自然界のシステムではありませんか

 

歳をとっても次の世代に残すもの

 

それを自ら発信することは

自然界の一員であるあなたにもできるんだよ

 

そんな言葉を道端のタンポポから

かけてもらって

また満開の桜を仰ぎ見ながら

歩き出す駅までの道。

あとちょっと

あと10分。

 

 

日の出時刻の6:50を目指して

ヘッドランプをつけて 

真っ暗な山道をひたすら登ってきた。

 

あとちょっと、あとちょっと。

 

腕時計を見ながら

前に出なくなってきたきた足に

神経を集中して言い聞かせ

筋肉に伝達させる。

 

気温はマイナス8℃だというのに

頭からは湯気を出し

ギリギリで間に合った日の出の瞬間。

 

歩を止めたと同時に

身体中が一気に凍りつき

吹き出していた汗は塩の結晶へと変わる。

 

熟したみかんのような濃いオレンジ色の太陽の光を目をつぶって

じっと全身に浴びる。

 

1℃、また1℃

気温が上がっていく。

山頂に据えられた温度計の

上昇する赤い水銀が

体内をめぐる血液と同化しているようだ。

 

4時間以上かけて

辛くて苦しい山道を登り

この太陽が上がる瞬間の数秒で

下界から持ってきた

腐った精神を吐き出し

この先数ヶ月分のエネルギーを

吸収する。

 

東京の空って

 

広い空に映る変化をフルスクリーンで見れない

 

でもこれが毎日見慣れた空だから

視界が狭くなってるなんて

全然気がつかない

そもそも空ってこんなもんで

夕焼けさえ目に入らない

 

 

どこから車が飛び出してくるか

周囲に変な人はいないか

都会は空なんか見るより

他に注意しなくちゃいけないことが

たくさんあるんだ

目の前の事にばかり気を取られ

先の方は人混みでまったく見えないのが都会

 

 

これって私の人生の縮図

 

 

時には頭上に広がる空を

山に登って

フルスクリーンで見てみよう

 

 

社会にも

人混みにさえも

自分の存在が「不必要」となった時

 

 

どうする

 

そんな質問を自分に投げつけて

町の灯の消えた夜中の帰り道、

ふと立ち止まって呆然とする自分

 

 

 

ずぅっと先まで見渡せる山に登って

果てしない空を見上げてみる

 

今まで見えていなかったものが

見えてくる

見逃していたものの形

知らなかった事の発見

気づかなかった人の心

 

 

所属するコミュニティから切り離された時

誰も信じられなくなった時

人の感情に振り回された時

 

 

誰もいない山に登り

空を見上げてひとりじめしてみる

 

 

自分が本当に大切にしたいものが

見えてくる

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過去を変える方法

時間は過去から未来に流れるもの。

 

飛ぶ鳥が私の頭上を飛んでいけば

「どこへ飛んで行くのだろう」

と思うし、

ベンチに座っている私の目の前に降り立てば

「どこから飛んで来たのだろう」

と思いを巡らせる。

でも鳥は飛んでいるだけだし、私は見ているだけ。

同じ時間に存在しても

鳥にとっての過去未来と

私の過去未来は同じじゃない。

 

動画を逆回転して過去に戻り

そこからリスタートできたら

二度と同じ間違いは起こさない、

あの時ああしていれば・・・

なんてしょっちゅう襲いかかる後悔の念。

 

時間は過去から現在、未来へと流れてゆくもの・・

そりゃそうでしょ。

昭和に生まれ、平成に生きてる。

 

でも待って。

川は上流から下流へと流れる。

 

上流でスタートしたカヤックが

どんどん目の前を通過して

未来である下流へゴールを目指して流れていく。

コースをクリアできなかったり

岩にぶち当たるカヤックだってある。

そして1着、2着・・と順位が決まる。

 

つまり原因は未来にあって

結果は現在に現れているのだから

変えるべきことがあるとしたら過去ではないの。

 

ゴールを設定すれば

スタートしてからのプロセスは変えられる。

つまり、あれよあれよと過去になっていく

現在進行形の私たちの行動は

思いもかけない潜在意識が働いた結果の

自分自身の未来の意思決定によってとらされている

ものなのではないの。

 

窮地に置かれても前を向いている?

障害物があったら諦める?

 

そんなイマイマの現在進行形の私たちの行動は

1着を絶対に勝ち取る!

2着でもいいか・・

3着なら万々歳。

といった意識の奥底に横たわる意思決定で

動いているのではないだろうか。

 

だとしたら過去は変えられる。

時間は逆方向にだって作用する。

 

一番自分が幸福を感じる方向へ時間は流れるんだ。

 

 

いつまでそのままでいる?

星の名前を覚えると

夜空を見上げるのが楽しくなり、

花の名前を覚え得ると

毎年その花の咲く時期が待ち遠しくなります。

でも毎日乗っている中央線と山手線の駅名を覚えても

通勤電車に乗るのはちっとも楽しくなりません。

フシギダネ。

ポケモンを捕まえながら

夕飯の買い物帰りに見える山のシルエット。

 

手相カフェ・テオのある青梅は奥多摩パワースポットへの入り口。

夕日が落ちるのは

ちょっといかり肩の大岳山の左、つづら岩のあたり。

御前山、日出山、御岳山と続いて

日本百名山のひとつ、雲取山。

そして登るのが辛かった川苔山。

縦走が楽しかった惣岳山、岩茸石山、高水山。

 

何万年も前からそこにある山はいつまでそこにあり続ける?

何万年も前から咲き続ける花はいつまで毎年咲き続ける?

 

山の斜面に立って耳を澄ませると

見えてくるもの、聞こえてくるものがあります。

 

落ちる夕日に取って代わって

今日の夜空に昇る月は

どうやら満月の面持ち。

 

自分の無意識に光が当たるような

長い長い光の帯です。

 

 

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結界を張る3つの方法

シーサーは守り神。

 

沖縄ではどこの家にも必ずオス、メス2頭のシーサーが

飾られています。

この2頭のシーサーの間に結界が張られているのです。

 

結界と聞くとおどろおどろしく感じますが

家の鍵を閉めるのも、横断歩道も、駅のホームの白線も

結界と捉えれば自分の身の回りのいたるところに

張られた結界に気づくはず。

 

さて、それでは自分自身の中の結界はどうやって張るのでしょうか。

 

ネガティブな思考や他人からのねたみ、

人間関係のよるストレス。

数え上げればきりのない魔物たちから自分を守る結界を張る方法とは。

 

1)自分の強いところを考える。

トラブルに巻き込まれたり、自信をなくした時には

どうしても弱い自分が顔を出してしまいがち。

そんな時こそ自分の強みを考えるのです。

早起きが得意、人より速く歩ける、人の顔と名前を忘れない・・

何でもいいのです。

自分の弱いところは数え上げたら無数に出てくるでしょうが

強いところはうなって考えなければ出てこないかもしれません。

でもどんな時でも自分の強みを考えられれば結界が張れます。

 

2)他人と比較せず、過去の自分と比較する。

となりの芝は青く見えるもの。

自分以外のたいていの人は幸せに生きているように見えるものです。

そんな周囲の人間を見るのではなく

1ヶ月前、半年前、1年前の自分を見てみましょう。

半年前にできなかった事ができるようになっていませんか。

年始めに掲げた抱負を遂行していますか。

他人ではなく自分と向き合う事を心がけていれば結界が張れます。

 

3)いつも鏡を持ち歩く。

そうは言っても・・と思われる方はまず物理的な結界を張ることで

自信を持つことから始めてみましょう。

鏡は反射の作用があります。

護身のお守りやブレスレットと同じですね。

自分にとって嫌な念を反射してくれると信じて小さな鏡をバッグに。

そんなことから始めてみると不思議なことに

思いもよらぬ効果があるものです。

 

 

さぁこれで貴方の力を邪魔するものはすべてシャットアウト。

いつでもリラックスできる自分だけの空間に守られていることを

実感しながら、なりたい自分に向かって集中力を発揮してみてください。

 

 

 

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考えるより動け

あと10分。



日の出時刻の6:50を目指して

ヘッドランプをつけて 

真っ暗な山道をひたすら登ってきた。


あとちょっと、あとちょっと。


腕時計を見ながら

前に出なくなってきたきた足に

神経を集中して言い聞かせ

筋肉に伝達させる。


気温はマイナス8℃だというのに

頭からは湯気を出し

ギリギリで間に合った日の出の瞬間。


歩を止めたと同時に

身体中が一気に凍りつき

吹き出していた汗は塩の結晶へと変わる。


熟したみかんのような

濃いオレンジ色の太陽の光を目をつぶって

じっと全身に浴びる。


1℃、また1℃

気温が上がっていく。

山頂に据えられた温度計の

上昇する赤い水銀が

体内をめぐる血液と同化しているようだ。


4時間以上かけて

辛くて苦しい山道を登り

この太陽が上がる瞬間の数秒で

下界から持ってきた

腐った精神を吐き出し

この先数ヶ月分のエネルギーを

吸収する。





東京の空って


広い空に映る変化をフルスクリーンで見れない


でもこれが毎日見慣れた空だから

視界が狭くなってるなんて

全然気がつかない

そもそも空ってこんなもんで

夕焼けさえ目に入らない



どこから車が飛び出してくるか

周囲に変な人はいないか

都会は空なんか見るより

他に注意しなくちゃいけないことが

たくさんあるんだ

目の前の事にばかり気を取られ

先の方は人混みでまったく見えないのが都会



これって私の人生の縮図



時には頭上に広がる空を

山に登って

フルスクリーンで見てみよう



社会にも

人混みにさえも

自分の存在が「不必要」となった時



どうする


そんな質問を自分に投げつけて

町の灯の消えた夜中の帰り道、

ふと立ち止まって呆然とする自分




ずぅっと先まで見渡せる山に登って

果てしない空を見上げてみる


今まで見えていなかったものが

見えてくる

見逃していたものの形

知らなかった事の発見

気づかなかった人の心



所属するコミュニティから切り離された時

誰も信じられなくなった時

人の感情に振り回された時



誰もいない山に登り

空を見上げてひとりじめしてみる



自分が本当に大切にしたいものが

見えてくる